79.Re:温泉旅行(1)
前回の話
イスラはミレイヌが家族を切り捨てるよう仕向け、自身への依存をより強固なものにした。
冬の寒さは徐々に緩やかになり、春の兆しを感じるようになってきた。
窓から差し込む日差しは暖房の効いた室内には少々過剰な温かさをもたらした。
そんなある晴れた日の昼下がり、自室で書類仕事をしているとレアがやって来た。
「イスラお嬢様、少しお話をよろしいですか? 一つお願いがございます」
「何かしら?」
俺は作業の手を止めてレアの顔を見た。
レアは何かを思いつめるような顔をしている。
何か悩みでもあるのだろうか。
レアは恐る恐るといった様子でその“お願い”の内容を教えてくれた。
「今度イスラ様と二人でお出かけをする機会をいただけないでしょうか」
「別に構わないけれど、どこに行くのかしら?」
「それは……秘密にさせてください」
レアの恐々とした態度とは裏腹に、申し出の内容自体は慎ましいものだった。
二人で外出する機会を作るだけならば、予定を調整すれば容易いことだ。
しかし行先を秘密にするというのはどういう意図だろうか。
公爵令嬢失踪事件から1年半以上経過しているが、未だにレティシアのことを覚えている人物は多い。
そのため貴族が多くいる場所に無策で出ていくわけにはいかない。
レティシアの生存と俺との関係が白日の下となった場合は俺の破滅が決定されてしまう。
俺が返事を考えていると、レアは続けて言った。
「それと、お出かけには些かお金が必要になります」
「どのくらい?」
「……金貨10枚ほど」
レアのお願いというのはどうやら俺を連れ出すだけでなく、何か金を使うことがあるようだ。
しかもそれは金貨10枚という大金。
しかし、考えてみればこの一年半以上、彼女は慣れない使用人仕事をよく頑張ってくれたし、できるだけその望みをかなえてやりたいのもまた事実。
悩ましさはあるものの、行先不明なのは看過できない。
「金貨10枚は私が出すわ。だけど、やっぱり行先は事前に教えて」
俺が出せる譲歩としては行先を明らかにしてもらう代わりに金を工面してやるというところだ。
俺としてはそこが妥当な落としどころだと思っていたが、レアは納得していない様子を見せた。
「どうしても行先はお伝えしなければなりませんか?」
「ええ。それは絶対に譲れない」
「かしこまりました」
レアはもう一度だけ行先の秘匿を提案したが、俺もここで折れるわけにはいかない。
すると彼女は観念したかのように自身の立てた計画を教えてくれた。
「以前二人で温泉に行ったと思いますが、同じ部屋にもう一度泊まりたいのです」
「なるほど。それで金貨10枚ね」
以前、レアがまだ公爵令嬢だった頃、親睦を深めるという名目で二人で温泉宿に泊まったことがあったが、レアは再び同じ場所に行きたいと言ってきた。
その時の宿泊費用が金貨10枚であり、今回レアが要求した金額と一致する。
レアが行先を隠したがった狙いは分からないが、あの宿に二人で泊まるということであれば、第三者に彼女の存在が露見することはないだろうし、問題はない。
「そういうことなら構わないわ。前回と同じ部屋を取っておくわね」
「ありがとうございます」
かくして俺達は再び二人きりの旅行を楽しむこととなった。
数日後。
俺は早速例の宿に予約を入れて、レアの提案から一週間を待たずに出発をすることができた。
前回は馬車での移動だったが、今回は魔動車を用いているので、快適さは増している。
「…………」
しかし快適になった車内に会話はなかった。
前回の時はレティシアが気安く話しかけてくれたのだが、今は上下関係が逆転している。
俺の方から声をかけてやればいいのだが、最近俺がやっていることはレアには話せないことが多すぎる。
そういった秘密を回避しながら話題を探すのが面倒なので口を開かずにいたのだが、その結果重苦しい沈黙が流れている。
「レア、着いたわよ」
「はい」
永遠にも続くかと思われた移動だったが、それもようやく終わりを迎えて目的地の宿にたどり着いた。
俺は帳場で手続きを済ませてからレアと二人で部屋に入った。
部屋の中は記憶の通り豪華絢爛なままであった。
初めて入った時は度肝を抜かれたが、二回目ともなると感動も半減だ。
前回来た時は一緒に風呂に入ったり、周辺を散策したり、食事を楽しんだりといったことがあった。
レアは今回もそういったことを期待しているのだろう。
「イスラちゃん……!!」
そう思っていると、レアは俺の名を呼びながら俺のことを唐突に抱きしめてきた。
鼻先に彼女の匂いがふわりと香る。
そういえばレアはレティシアだった頃から整髪料などは変えているはずなのに、近くで感じる匂いにはあまり変化はないような気がする。
ノインやミレイヌは俺から匂いがするというようなことを言っていたが、これがいわゆる“レティシアの匂い”というものなのだろうか。
しかし今はそれよりもこの状況についての確認が先だ。
「レア、何をしているの?」
「ここでは私はイスラちゃんの友人のレティシアだよ。前にここに来た時、私は『この部屋にいる間、イスラちゃんは私を対等な友達だと思って』ってお願いして、イスラちゃんもそれに同意したの。……覚えてる?」
レア……いや、レティシアの言葉を聞いて俺は自分の記憶を掘り起こした。
確かにあの時レティシアは畏まってばかりだった俺に対等な友人だと思って話してほしいというようなお願いをしてきたような気がする。
しかし、それが具体的にどのような文言だったか、期限はなかったか、条件はなかったかなど細かい内容は忘れてしまった。
ここで全てを忘れたふりをするのも一つの手ではあるが、せっかくレティシアが必死に考えたであろう策をつまらないやり方で無下にするのは面白くない。
「思い出した」
「なら、話をしよう。これまでのこと。これからのこと。使用人のレアじゃなくて、親友のレティシアとして」
レティシアは俺から体を離すと、息がかかるほどの距離でまっすぐ俺の目を見つめてきた。
彼女の美しい瑠璃色の瞳に俺の顔が映っているのが見える。
その瞳からは迷うことない力強さを感じる。
彼女はただ俺と友人として話をするためだけにこの場を用意したことを、俺はようやく理解した。
この部屋はもはや一泊金貨10枚の高級客室ではない。
3部屋あるリビングも4部屋ある寝室も風光明媚な庭も部屋に備え付きの露天風呂も全ては無用の長物になり下がった。
ここは俺を囲うためにレティシアが用意した檻であり、俺はまんまとその罠にかかってしまったようだ。
それならば俺も覚悟を決めるしかない。
正々堂々、卑怯な嘘でこの場を乗り切ってみせる。
次回投稿日:5月2日(木)
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