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78.she is like a stone(3)

前回の話

イスラはミレイヌに父親と自分のどちらを取るかを強制的に選ばせた。

今日の空は良く晴れ渡っている。

相変わらず外にいると寒さを感じずにはいられないが、雲一つない青空の下で輝く日差しはこの寒さを少しばかりマシなものにしてくれた。


「イスラ様、寒いので手を握ってもいいですか?」


隣に立っているミレイヌはそう言うと返事も待たずに俺の手を握って来た。

俺の手を握る彼女の手は確かに冷えており、俺の手から貴重な熱が奪われる。


「えへへ、温かいですね」

「そうね」


ミレイヌは嬉しそうに俺の手に自分の指を絡めた。

俺はその手を振りほどくこともなく、目の前の景色を何となく眺めていた。


王都の郊外に立つ大きな屋敷からソファやテーブルなどの家財や絵画や壺などの装飾品が次々と外に運び出されている。


ここはミレイヌの実家……だった場所である。


結局ミレイヌの父親であるキケロ男爵は自ら経営するリベール商会の財務状況を立て直すことができないまま内部からの労働争議もあり、リベール商会は倒産してしまった。


その際に男爵の爵位とリベール家という家名も剥奪され、ミレイヌは男爵令嬢のミレイヌ・リベールからただのミレイヌとなった。


また、キケロ元男爵が残した借金の返済のため、彼の資産の差し押さえが入っているのだが、俺はミレイヌを連れてその現場を見学させてもらうことにした。


これもミレイヌの心を折るための策の一環だったのだが、当の彼女は自分の生まれ育った家が無残な姿になっていくことに驚くほど無関心である。


「ミレイヌさん、あなたはこの家の家財で残しておきたいものはないのかしら?」

「ありません。こんな家に残っているものなんて何の価値もありません。……そうだ、せっかくなので、この家を一度完全に破壊して、新しく屋敷を建てるのも悪くないかもしれません。イスラ様の部屋も用意するので、いつでも遊びにいらっしゃってください」


ミレイヌは無邪気な様子で実家の破壊を提案してきたが、恐ろしいほどに後悔や悲しみといった負の感情が読み取れない。

彼女は本当にこの屋敷への執着がないのだ。


「新しい家を建てたら是非呼んでほしいわ。引っ越し祝いに何か好きなものをプレゼントしてあげるわね」

「プレゼントなんて恐れ多いです。私にはイスラ様が側にいてさえくれればそれでいいんです」


ミレイヌは手を握るだけでなく、俺の腕に抱き着くような形でくっついてきた。

そして俺の方を見上げるようにして唄うように言葉を続けた。


「だからイスラ様、私に黙っていなくならないでくださいね。イスラ様がいなくなってしまったら、きっと私は生きていけません。その代わり、私はイスラ様のためなら何でもします。だから、嫌いにならないでください。ずっと、ずっと私を側に置いてください」


ミレイヌは懇願するような目でこちらを見つめている。

その目は以前にはなかったほの暗い何かを感じさせるような不思議な目をしていた。


そんな目を見ていて不意に前世のことを少し思い出した。

借金で首が回らなくなり、ギャンブルで一発逆転を狙った男がいたのだが、その男が種銭ほしさに借金の申し込みをしてきた時の顔がフラッシュバックのように頭に浮かんだ。


今のミレイヌはその男と同じような顔をしている。

自分の都合のいいものしか見ない、信じない。

そんな曇った瞳では何も見えるはずがない。


「私はどこにも行かないわ」

「ありがとうございます。イスラ様の近くにいられるなんて、私は幸せ者です」


そう言うミレイヌの顔は本当に満足そうだ。

恐らくは自分でも本当は失ったものの大きさに気づいているにも関わらず、それを認められないがために、代わりに得たものを過大評価しているのだ。


こいつは既に俺のことを盲信する信者となっており、文字通り俺のために全てを捧げるだろう。

こうなったことが確認できた以上、もはやこの場所にいる意味はない。


「ミレイヌさん、この後良ければ私の屋敷に来ないかしら?」

「もちろんお供いたします」


いくら天気がいいとはいえずっと外にいては体が冷える。

一代で男爵まで成り上がった男の夢の残骸を尻目に、俺たちは温かな場所へ向かった。


屋敷に戻った俺はミレイヌを自室に入れた。

座りながら話でも聞いてやろうと思っていたのだが、ミレイヌは部屋に入ると扉も閉めずに俺の体に抱き着いてきた。


「ミレイヌさん、このままだと歩きにくいわ」

「イスラ様……イスラ様イスラ様」


ミレイヌは俺の言葉も聞こえていないのか、夢中で俺の体に顔を押し付けている。

仕方がないので、俺は自分で部屋の扉を閉めて、彼女を振りほどかないようにゆっくりと室内を移動した。


ゆっくり時間をかけて三人掛けでも余裕があるほどの長ソファに移動してようやく腰を下ろすことができたのだが、するとミレイヌは俺のことを押し倒してきた。


ソファの上で仰向けになり、ミレイヌのことを抱きかかえる形になる。

ミレイヌは俺の胸に顔を埋めているので、表情は分からないが、彼女の呼吸は感じられるので、意識はあるはずだ。


「イスラ様……いい匂いがします」


ミレイヌは甘く、蕩けきった声でぽつりと呟いた。


『匂いがする』とは以前ノインにも言われたことではあるが、その時は良い匂いか悪い臭いか明言されていなかった。

しかし今、どうやらそれが前者であることが明らかになった。


普段から自分の匂いのことは気にしていなかったが、勝手に良い匂いになっているならば悪臭がするよりは都合がいい。


「わたし、イスラさまをしんじて、よかった」


ミレイヌの声はトロンとしており、まるで寝ぼけているかのようなトーンだ。


いや、もしかしたら本当に眠ろうとしているのかもしれない。

彼女も最近は忙しくしていて疲れが溜まっていたのは間違いなさそうだ。


俺はゆっくりとミレイヌの頭を撫でてやった。

一瞬、彼女の呼吸が乱れる。

胸元に当たる息がくすぐったい。


「ミレイヌさんは頑張っていて偉いわね」


そして優しく声をかけてやった。

確かこいつはこうされるのが好きだったはずだ。


最初のうちは息遣いやしがみつく強さがリアクションとなって感じられたが、次第に呼吸は一定になり、彼女の腕の力も抜けていった。


俺はミレイヌが完全に寝息を立てていることを確認して撫でる手を止めた。

そして彼女を起こさぬよう気を付けつつ、ミレイヌの体を転がして彼女をソファの上に寝かせつつ、自分は体を起こした。


仰向けになったミレイヌの顔は幸せそうなものだったが、目尻には涙が浮かんでいる。


「ミレイヌさん、今、幸せかしら?」


俺は寝ているミレイヌに問いかける。

当然返事などない。


「これからもっとたくさんのお金を私に貢ぎなさい。そうしたらこれくらいの幸せならいくらでも与えてあげるから」


俺がそう言うと、ミレイヌの顔が動いた。

まさか起きていたのかと驚いたのはつかの間で、彼女は寝たままだらしなく顔を緩めただけだった。


その拍子に目尻の涙が流れて一筋の線となった。


そういえば、俺はいつから涙を流していないだろうか。

努力の末、好きな時に涙を流せるようにはなったが、自然と目から涙があふれたということは記憶にない。

それほどまでに冷徹な人間だということかもしれないが、それならそれで構わない。


石のように冷たい心でも、温かな人間を演じて他者から金を毟れるのだから。

次回投稿日:4月29日(月)

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