77.she is like a stone(2)
前回の話
イスラはミレイヌの父親の事業が倒産しそうだとの噂を聞きつけた。
その日は朝から雨が降っており、窓の外はどんよりとした空気が広がっていた。
室内は暖房を効かせているので温かいが、恐らく外はとても寒そうだというのが見ているだけで分かるほどだった。
今日はミレイヌと彼女の父親との話し合いの機会を設けたのだが、ミレイヌは既に俺の元に来ており、後は彼女の父親を待つだけだった。
「今日は一段と冷えますね」
「足元が悪い中来てくれてありがとう。もう少しであなたのお父様も来ると思うのだけれど」
「それは構わないのですが、あちらの方々は一体どなたでしょうか?」
ミレイヌは部屋の端の方に立っている三人の男の方を指さした。
その方向には安物の外套に身を包んだ屈強な男たちが並んでいる。
もちろん勝手に侵入してきた輩ではなく、俺が手配した人員だ。
「気にしないで。単なる保険のようなものだから」
俺が有無を言わさぬ語気で返事をすると、ミレイヌは納得していない様子だったがそれ以上の言及はしなかった。
「イスラお嬢様、お客様がいらっしゃいました」
「ありがとう、メッツ。ここに通してくれる?」
しばらく待つと、ミレイヌの父親であるキケロ・リベール男爵がやってきた。
直接会うのは初めてだが、顔はやつれており覇気のない中年男性という印象だ。
以前遠目で見たことはあったが、その時は活気に満ちた顔をしていた。
金に困った人間はそれだけで別人のように活力を失うものだというのを実感させる変貌である。
キケロ男爵は部屋に入り、ミレイヌの顔を見ると驚きの声を上げた。
「ミレイヌ。なぜお前がここにいる?」
「イスラ様、これはどういうことでしょうか?」
混乱しているのはキケロ男爵だけでなく、ミレイヌも困惑しながら俺の方を見た。
俺はその視線を無視してキケロ男爵に挨拶をした。
「キケロ男爵、お初にお目にかかります。私はヴィースラー子爵家の当主、イスラと申します。本日はあなたにこちらのミレイヌさんが代表を務めるミレイス商会からリベール商会に融資のお話をご提案できるかと思いましてお越しいただきました」
俺の言葉に二人は言葉を発せずにいた。
俺はミレイヌにはキケロ男爵が来るということだけを話し、どんな話をするかは伝えていなかった。
対して、キケロ男爵には金貸しの話という要件だけ伝えており、誰が、という部分は伝えていなかった。
混乱が場を支配したが、先に口を開いたのはミレイヌだった。
「イスラ様、私はそんなお話聞いていませんよ。どうして父の商会に融資する話になっているのですか!?」
「黙っていたのはごめんなさい。だけど、最終的な判断を下すのはミレイヌさん、あなたよ。私はあくまで話し合いの場を設けただけ。あなたもお父様を助けることも考えていると言っていたと思うけれど?」
「まあ、そうですけど」
ミレイヌは俺の用意したこの場に対して不満を口にした。
彼女は俺が勝手にキケロ男爵を助けることを決めたと思ったようだが、必ずしもそうではないことを説明してやったら一旦は引き下がってくれた。
多少強引ではあったものの、これで場は整った。
ここから先は楽しいショータイムだ。
「さて、キケロ男爵。先ほど申し上げたように、私達はあなたに融資を考えています」
「ふざけるな。元を辿ればミレイヌが私の商会から職人を引き抜いたのが原因だろう。お前たちが一方的に私達の邪魔をしておきながら恩着せがましい」
交渉をしようと会話を始めたら、キケロ男爵は早速俺達を非難してきた。
獲物はこれくらい生きがいい方が後々面白くなりそうなので、これは嬉しい演出だ。
とはいえ、会話にならないほどの鳴き声は必要ない。
「口の利き方には気を付けてください。私達の他にあなたに融資を考えている人がいるのかしら?」
俺はできる限り冷徹な声と視線でキケロ男爵を牽制すると、男爵は苦々しい顔をして口を閉じ、場は静かになった。
その静寂に満足した俺は軽快に言葉を重ねた。
「心配なさらなくてもあなたの誠意が伝われば、融資の件は考えて差し上げますから」
「……御託はいい。条件は何だ?」
「そうですね、まずはあなたがミレイヌさんをどう思っているかを話していただけますか?」
「出来の悪い娘だ」
キケロ男爵はこのような状況でもミレイヌのことを認めようとしなかった。
ここまで強情なのはある意味では大したものだが、もう少し気勢を削ぐ必要がある。
「あなたはその出来の悪い娘にも頼らなければならない今の自身の状況を理解しているのでしょうか? ミレイヌさんに何か言うことがあるのではなくて?」
「…………出来の悪い、という部分は取り消そう」
「それだけかしら? 聞いたところによると、あなたはミレイヌさんに随分冷たくしてきたようだけど、その態度で本当に私達が納得すると思っているのかしら?」
キケロ男爵は少しの間何かを考えていたようだが、結局出てきたのは失言の修正だけでミレイヌへの謝罪はなかった。
ここに至ってもまだ自分の立場を理解できていない目の前の男に苛立ちを覚えた俺は思わず語気を強めてしまった。
俺の不快さを察したのか、キケロ男爵は悔しそうに顔を歪めながらもようやくミレイヌの方に向き直り、頭を下げた。
「ミレイヌ、すまなかった。今までのことも詫びよう。この通りだ」
俺は横目でミレイヌの顔を見た。
ミレイヌは嬉しそうな表情を浮かべてとても得意げだった。
この景色は彼女がずっと見たかったものだったはずだ。
「仕方ないですね。そこまで言うなら許してあげてもいいですよ」
そして今までで一番機嫌の良さそうな声で勝ち誇った。
ミレイヌはこれで満足かもしれないが、俺はここで終わらせるつもりは毛頭ない。
ここまでは余興で、むしろここからが本番だ。
俺はミレイヌに頭を下げたままのキケロ男爵の頭上から改めて声をかけた。
「娘さんに許してもらえてよかったですね。しかし、それはそれとしてあなたは今日、融資の依頼を私たちにするために来られたはずです。そのためには先ほどの謝罪とは別にしかるべき言葉と態度が必要かと思いますが?」
俺の提案を聞いたキケロ男爵は頭を上げ、再び困惑を露わにした。
ミレイヌは何か言いたそうにこちらを見ているが、俺はそれを無視してキケロ男爵に告げた。
「今の言い方で理解できませんでしたか? つまりは頭が高い、と言っているんです」
キケロ男爵は何か言いたそうにこちらを睨んだが、何かに抵抗するかのように再度ゆっくりと頭を下げた。
「頼む。リベール商会を立て直すだけの資金を援助してほしい。この通りだ」
その声には屈辱の色が滲んでおり、自分の娘と同じような年の小娘に頭を下げて借金を申し込むことへの葛藤が感じられた。
真っ当な人間らしさを感じられて悪い気はしない。
「もう一度だけ言います。図が高い。もっと頭を下げられるでしょう?」
しかし俺はそんなキケロ男爵の人間性も平気で踏みにじる。
目的のためであれば見も知らぬ中年男の矜持などどうでもいい。
「どうしたんですか? できないんですか?」
礼の姿勢から動かないキケロ男爵にもう一度声をかけると、キケロ男爵は今度はゆっくりと膝を折り、そして地に手を付け、そして最後に額を床に押し当てた。
「この通りだ。頼む」
足元からキケロ男爵の懇願が聞こえてくる。
悪くない光景だが、これでもまだ足りない。
「イスラ様、そろそろ……」
「そういえばミレイヌさん、足元が汚れているのではないかしら?」
ミレイヌが何か言いかけたようだが、俺は言葉を被せてその発言を遮った。
「えっ、あ、はい。外は雨だったので」
「それはいけないわね。……キケロ男爵、娘さんの靴を綺麗にして差し上げたらいかがかしら?」
俺がそう言うと、キケロ男爵はポケットからハンカチを取り出したが、俺が言いたいのはそういうことではない。
キケロ男爵がそのハンカチをミレイヌの足元に近づけたタイミングで俺はそのハンカチを自分の靴で踏みつけた。
「失礼。足が滑りました。そのハンカチはもう使えませんね。仕方がないので、ご自身の舌で綺麗にして差し上げるのはいかがかしら?」
俺は暗にキケロ男爵にミレイヌの靴を舐めろと命じたが、それは普通に生きていれば出てこないような発想の命令だと思う。
その手法は前世の記憶に関連する情報としてある日思い出し、実践の機会がないままであったものだったのだが、満を持して今回活用させてもらった。
この世界では類を見ないほどの屈辱的な仕打ちを聞いて時が止まったかのようにキケロ男爵とミレイヌは固まってしまった。
今度は先に動いたのはキケロ男爵だった。
「お前は、何を言っているんだ!?」
怒りのあまり言葉が乱れている。
怒りからか動揺からか、その声は震えていた。
「文字通りの意味ですが? 誠意があればできますよね? さあ、ミレイヌさん、お父様が足を舐めやすいように足を前に出してあげたらどう?」
ミレイヌは先ほどから固まったまま動かないので、俺が彼女の足を半歩ほど前に出すよう動かしてやった。
俺の言葉の意味は理解できても、なぜこのようなことをしているのかに対する理解が追い付いていないのだろうか。
キケロ男爵も先ほど憤りを示したのを最後に大人しくなってしまっている。
自らの窮状とプライドを天秤にかけている様子が手に取るように分かる。
しかし、最終的にキケロ男爵はゆっくりとミレイヌの足元に口を近づけた。
「あ」
足の甲に違和感を抱いてようやくミレイヌはリアクションを見せた。
実の父親の惨めな格好を見下すミレイヌの表情は悲しみと優越感でぐちゃぐちゃになっている。
彼女自身、今自分がどう思っているか分かっていないに違いない。
この辺りが潮時だ。
俺はパチリと指を鳴らした。
すると部屋の隅で待機していた男たちがキケロ男爵を取り囲んだ。
そして俺はこの見世物をクライマックスへと導いた。
「まさか本当に靴を舐めるなんて。卑しいにも程があるわね。申し訳ないけれど、そんな方に融資するなどお断りだわ」
俺は最初から融資などするつもりはなかった。
靴を舐めれば卑しいと罵り、舐めなければ誠意がないと断るだけのことだ。
案の定キケロ男爵は顔を怒りの感情一色に染め上げて俺に掴みかかろうとしてきた。
「ふざけるな! こんなものは茶番だ!!!」
しかし取り囲んでいた三人の男たちがキケロ男爵の体を取り押さえ、俺の方に伸ばされた腕は空を切った。
取り押さえられながらも喚き散らかすキケロ男爵を尻目に俺はミレイヌの方を向いた。
目まぐるしく変化する状況に付いていけず、立ち尽くしている。
そんなミレイヌにさらに俺は決断を迫る。
「ミレイヌさん、あなたはどう思う? お父様を助けたい?」
「え?」
「私は最初に言ったはずよ。最終的な判断を下すのはミレイヌさん、あなただと」
「…………」
「どちらにするかはあなたの自由よ。ただし、私の反対を押し切ってお父様に融資をすると言うなら、私はあなたと絶交するわ」
「え……!?」
生気の抜けたミレイヌの顔に焦燥が宿る。
俺が出した選択肢は父親を取るか、俺を取るかの二択であり、両取りはありえない。
「私は………………」
言葉を濁すミレイヌに俺とキケロ男爵からの説得が重なる。
「ミレイヌさん、あなたがお父様から受けた仕打ちの数々、許してもいいのかしら? 確かに家族を失うのはつらいかもしれないけれど、私がその傷を癒してあげるから心配しないでいいのよ?」
「ミレイヌ、そいつは絶対に信じてはいけない人間だ。お前は騙されている。このままではお前は絶対に不幸になるぞ」
相反する二つの意見が真っ向からぶつかり合う。
その真ん中に立たされているミレイヌは気が付くと目に涙を溜めている。
「私は…………私は…………」
俺と父親の顔を交互に見つめるミレイヌは中々判断を下さない。
こんな状態の人間に冷静な判断など期待できない。
しかしこれこそが俺の狙いであり、冷静になれば家族を切り捨てるなどありえない。
そのありえない判断をさせるために冷静な判断力を奪った。
最後に必要なのはほんの少しの後押しだけだ。
「ミレイヌさん、お願い。私を信じて」
「ミレイヌ、そいつを絶対に信じるな」
ミレイヌは少し俯いた後、弱弱しくも自身の決断を口にした。
「私は……イスラ様を信じます……」
この瞬間、彼女の運命は決まってしまった。
これからミレイヌは俺の嘘でどこまでも転がり落ちる。
まるで坂を転がる小石のように。
次回投稿日:4月26日(金)か27日(土)
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