68.おいでよ、平民の村(1)
前回の話
イスラはモーリスの働く食堂で給仕の体験をした。
「イスラ様、先日は本当に申し訳ありませんでした!!!」
「頭を上げなさい、モーリス。あれは私も好きでやったことだから気にしないで」
モーリスが働く食堂で、給仕の手伝いをしてから二日後、俺は改めてモーリスと会う約束をして屋敷に招いたのだが、彼女は俺と目を合わせるや否や、腰のあたりまで頭を下げてきた。
俺はとしてはあの日のことは貴重な経験になったと思っているので、これほど頭を下げられるとは思っていなかった。
「貴族であるイスラ様に給仕をさせるなど、あまりに不敬でした。イスラ様に給仕の手伝いを提案した子も後でとても反省していました。なので、どうかお許しください」
「だから頭を上げなさい、モーリス。私はあなたにも、あなたの同僚にも初めから怒ってなどいないわ」
こんな感じで俺はモーリスの誤解を解く必要があり、根気強く宥めてからようやく本題に入ることができた。
「それで、改めてあなたに会いたかった理由なのだけれど、アバン王子の婚約者を決める選考会の二次選考の件で少し相談があるの。調べたところ個人での選考ではなくて、グループでの選考になるかもしれないという噂があってね」
「そうなんですか!? 私のところには何もお知らせは来ていないですが、イスラ様のところには何かお知らせが来ているのですか?」
「いえ、公式な通知は一切ないわ。あくまで噂。もし、その噂が本当だったとしたら、私達で協力しないかしら?」
「私は全然いいんですけど、イスラ様はいいんですか? 私なんかと一緒のグループで」
「もちろんよ。むしろあなただからこそ、お願いしたいのだけど?」
金と時間を使って情報を集めている俺とは違って、その日の暮らしで手一杯であろうモーリスは案の定二次選考のことについては何も知らないようだ。
俺の話を聞いて、モーリスは恐縮した様子を見せつつも、嬉しそうにはにかんだ。
「分かりました。イスラ様にそこまで仰っていただけるなんて、とても嬉しいです。精一杯頑張ります」
「ありがとう。詳しい作戦は改めて情報が揃ってから伝えるわね。公式のアナウンスは恐らく年明けになるだろうし」
「え、年明けですか?」
モーリスは嬉しそうにしていたのだが、次の選考が年明けであることを聞くと、表情を一変させた。
驚きというか、意外というか、そんな感じの顔だ。
「年明けだと都合が悪いの?」
「いえ、私てっきり年内にまた呼ばれるかもしれないと思って年末に故郷の田舎に帰るのを控えていたんです」
「今から予定を変えられないの?」
「私の故郷は本当に田舎なので、王都から直行できるような乗り合い馬車はほとんどないんですよ。いつもは同じ方向に向かう人をもっと前から探して、お金を出し合って馬車を用意するんですけど、今からだと難しいと思います」
モーリスは力なく急な帰省の困難さを説明してくれた。
考えてみれば馬車の手配には結構な金がかかるわけで、その出費を憂うのは当然のことである。
俺は貴族であり、自分の馬車(魔動車)を所有しているので、その考えには至っていなかった。
モーリスとの会話は平民の生活のリアルを感じられて勉強になる。
それはそれとして、俺は一つの思い付きを口にした。
「それなら私があなたを送ってあげようかしら?」
「えっ、イスラ様がですか? そんな、悪いですよ」
「別に構わないわ。私は馬車も魔動車も所有しているから好きに使えるの」
モーリスの故郷がどこかは知らないが、俺は今まで辺境の田舎にはあまり足を運んだことがない。
それを案内人付きで見学できるのだから、悪い話ではない。
「私の故郷は馬車で丸一日ほどの距離ですが、よろしいのでしょうか? 恐らく日帰りは難しいので、最低一泊はする必要があると思いますが」
「あなたの故郷には宿泊施設はあるのかしら?」
「いえ、訪れる方などほとんどいないような村なので、住民の家しかありません。泊るとしたら、うちに泊まっていただくしかありません」
「あなたさえよければそれでも構わないわ。侍女を一人連れて行く予定だから二人になるけれど、泊めてもらうことはできるかしら?」
普段であれば平民一人相手にここまで執着することはないが、モーリスに関しては別だ。
彼女には最終的にアバン王子の婚約者レースから脱落してもらう必要があるので、今からその時の備えをする必要がある。
家族の情報というのはその人物を直接調べるよりも多くの情報を得られることもある。
モーリスを上手く蹴落とすための材料として家族の情報を仕入れるのは悪くないはずだ。
モーリスは少しの間悩んだが、里帰りの誘惑には勝てなかったようで、すぐに俺の説得に応じてくれた。
「それなら、お願いしてもよろしいでしょうか? 何もないところですが、精一杯おもてなしいたします」
こうして俺はモーリスの育った村を訪れることになった。
後日。
俺は約束通り、モーリスを魔動車に乗せて彼女の故郷を目指した。
運転は侍女のメッツに任せ、俺とモーリスは後部座席でくつろいでいた。
「馬が引かないのに走るなんて不思議ですね。それに馬車よりも揺れが少なくて助かります」
モーリスは初めて乗車した魔動車にビクビクしていたが、慣れてくると窓の外の景色を楽しむくらいの余裕を見せてくれた。
モーリスの故郷は王都からはかなり離れており、朝に出発したにも関わらず、到着は日の入り近い時間だった。
モーリスの故郷はしがない男爵家の治める辺境の田舎で、特産物も特にないような何もない地域のようで、村全体の雰囲気も質素で素朴な感じだ。
俺とメッツはモーリスに連れられて村の中を歩いたが、住民たちは遠目で俺のことを眺めてきており、明らかに警戒されていた。
「ここが私の家です。狭いですが、どうぞお入りください」
モーリスは他の村人の様子など気にしておらず、故郷の空気に触れて上機嫌で俺達を歓迎した。
年季の入った木造平屋の建物だったが、背に腹は代えられない。
俺はモーリスに続いて建物に足を踏み入れた。
モーリス家は丁度夕飯の支度をしており、両親と思われる男女と、弟妹と思われるガキが3人ほどテーブルを囲んでいた。
「あれ、モーリス。あんた帰るなら帰るって教えてよ。……そちらはお客さん?」
「お母さん、ごめんね。急に帰れることになって。こちらはイスラ様とその侍女のメッツさん」
モーリスは母親らしき女性に俺達を紹介した。
急な話だったので当然だが、モーリスの母は娘の帰省と突然の来客のことは知らない様子だった。
モーリスの母は明らかに俺とメッツを訝しんだ目で見たが、俺は気にせず自己紹介をした。
「はじめまして。私は子爵家のイスラ・ヴィースラーと申します。こっちは侍女のメッツです。モーリスさんとは親しくさせていただいていて、彼女がここに帰るための馬車がないと言っていたので、お送りさせていただきました」
俺がよそ行きの振る舞いで恭しく礼をするのを、モーリスの家族は息を呑んで見ているのが分かる。
こんな田舎には到底似つかわしくない洗練された所作なのだから、無理もない。
モーリスの母は我に返ると慌ててペコペコと頭を下げた。
「すいません、貴族様とは知らずに失礼をいたしました。何もないところですが、ごゆっくりどうぞ」
モーリスの母は気の強そうなおばさんだったが、俺が貴族だと分かると態度を軟化させた。
そしてそれにつられてガキ共も俺に会釈をした。
「急に押しかけてしまったので、特別なもてなしはしていただかなくて構いません。ただし、少しばかり食料を分けていただきたいのと、寝る場所だけお貸しいただきたく思います。もちろん、後で相応のお礼はさせていただきます」
「それはもちろんです。丁度これから夕食なので、よろしければ食べていってください」
俺はにこやかに話すように心がけていたし、モーリスの家族も笑顔で会話に応じてくれたが、俺が“お礼”という言葉を発した瞬間にモーリス母とモーリス父の目が露骨に真剣になったのは面白かった。
モーリス本人も素直な性格をしているが、この親の元で育ったというのであれば納得である。
「ありがとうございます。お言葉に甘えてご相伴に預かります」
俺はモーリスの母の提案通り、夕食をごちそうになることにした。
夕食のメニューはパンとシチューというごくごくありふれたものであり、味も普通だ。
何も特別なものはないが、強いて言えばガキが3人もいて騒がしいくらいか。
「今日は妹たちも静かですね。きっとイスラ様の高貴さを肌で感じたからでしょうね」
しかしどうやら騒がしいと思っていたのは俺だけで、モーリス曰く普段はもっと騒がしいのだとか。
そんな環境で食事ができるのか疑問に思ったが、モーリスの家族とも雑談を挟みつつ、食事の時間は過ぎ去った。
「イスラ様、我が家には個室がないので、寝る時は全員居間で雑魚寝になります。どうかご容赦ください」
「構わないわ」
そしてこの家には浴室はないので、食事の後はすぐに就寝の流れになった。
玄関から家の外を見ると、外に明かりは一切なく完全な暗闇だった。
辺境の田舎らしく夜は静かで暗く、娯楽は存在しない。
俺は居間の隅の方に陣取り貸してもらった毛布をかぶって横になった。
モーリスの家族たちも各々横になり、気が付くと室内の明かりも消され、室内も闇に包まれた。
移動の疲れもあり、すぐに眠れる……と思っていたのだが、思わぬ弊害があった。
(寒くて寝られない……っ)
毛布を与えられたとはいえ、年末の寒さをしのぐにはあまりにも心もとない装備だった。
毛布の中で震えていると、耳元で囁く声が聞こえた。
「イスラ様、寒くないですか?」
暗くて顔は分からないが、声はモーリスのものだった。
「少し寒いわ。暖を取れるものはあるかしら?」
「申し訳ありませんが、そういったものはありません」
俺は素直に寒さを訴えたが、モーリスの答えは無常だった。
「なので、私が温めて差し上げます」
俺が内心絶望していると、モーリスは俺の毛布に入ってきて自らの体を密着させ、俺の体に腕を巻き付けて抱きしめてきた。
最初は気恥ずかしさから反射的に引きはがそうかとしたが、モーリスの体は温かく、柔らかかった。
気恥ずかしさと寒さを天秤にかけたら比べるまでもなく寒さの方が耐えがたい。
俺は引きはがそうと動かした手を引っ込めてモーリスの抱擁を受け入れた。
「これが我が家の冬の暖の取り方です。私も少し寒かったですが、イスラ様、温かいです」
モーリスは何故か誇らしげにそう口にしたが、きっと彼女の家族も身を寄せ合って寝ているのだろう。
俺は心地よい温かさと圧迫感を感じつつ眠りに落ちた。
翌朝。
いつものように日の出前に目が覚めたが、見知らぬ天井が見えたことに戸惑った。
すぐにここがモーリスの家であることを思い出したが、体が何かに縛られたように動かない。
首は動くようなので、右に動かすとモーリスの寝顔が間近にあった。
昨日の寝る前と同じように俺の体にしがみついて安らかな顔でよく寝ている。
無理に起こすのは可愛そうなので、そっとしておくことにした。
次に首を左に動かすと、なんとメッツの寝顔が目の前にあった。
メッツも寒さから俺の毛布に潜り込んできたようで、モーリスと同じように俺の体にしがみついている。
俺はメッツの寝顔を見たことはほとんどなかったが、普段は絶対に見せないようなだらしない表情を晒している。
昨日の移動で疲れていたのか、あまりに幸せそうな顔で眠っていたのでこちらも起こすのは忍びない。
状況を整理すると、今できることは一つしかない。
(…………寝るか)
今は真冬の朝だというのに、幸いにも妙に温かくて心地の良い圧迫感を左右から感じた。
俺は再び目を閉じて大人しく二度寝を決め込んだ。
次回投稿日:3月30日(土)
続きが気になる方は是非ブックマークしてお待ちください。
高評価、いいね、感想をいただけたら励みになります。




