65.なくて七癖
前回の話
イスラは父から爵位を継承して屋敷を自分のものにした上で、レアとファラを隠れ家から屋敷に連れてきた。
レアとファラを屋敷に置くようになってからというもの、今まで俺の世話はメッツの専売特許だったが、レアにもその仕事の一部を割り当てるようになった。
メッツは少しだけ不満げだったが、レアに色々と仕事を教えてくれている。
俺はいつものように日の出の頃にベッドから抜け出してストレッチをしていた。
最近は俺の周囲も賑やかになり、こういった静かな時間は寝る直前と起きた直後、それと書類仕事の時などに限られるようになったが、別段悪い気はしない。
そんなことを考えていると、メッツとレアが俺の部屋に入って来た。
「「おはようございます。イスラお嬢様」」
「おはよう、メッツ、レア」
静かだった部屋がにわかに人の気配で満ちる。
俺は部屋の入口を一瞥して挨拶を返した。
使用人の顔を見ると一日が始まったという実感が湧いてくる。
「レアさん、イスラお嬢様はご気分が優れない時や、不機嫌な時はこちらを見ずに挨拶を返されます。なので今日のご機嫌は問題なさそうです」
「……たった今、不機嫌になったわ」
メッツはレアに色々と教えてくれているのはありがたいが、こういった俺の細かい癖まで暴露されるのは少し決まりが悪い。
レアもレアでそういった情報に嬉々として頷いているから困ったものだ。
「イスラお嬢様、髪を整えますので、こちらにおかけください」
俺の嫌味は完全に無視されつつも、メッツが鏡台の前から俺に声をかけた。
髪の手入れも自分でできるのだが、使用人の仕事を奪い過ぎるのも良くないので、昔から髪の手入れはメッツにやってもらっている。
今日も俺は大人しくメッツの指示通りに鏡台の前に腰かけた。
しかし、昔とは違い、今はレアがいる。
「それでは、失礼しますね」
今日はレアが俺の髪を整えてくれるらしい。
レアは手に櫛を持ち、俺の髪を梳き始めた。
「イスラお嬢様の髪は綺麗ですね」
「そうかしら? 私から見たらレアの髪の方が綺麗だと思うけど」
「そんなことありません。私は自分の髪を触ることはあまりありませんが、イスラお嬢様の髪は細くてサラサラなので、ずっと触っていたいほどです」
レアは俺の髪を優しく触りながら、その手触りについて熱弁してきた。
そりゃ自分の髪をずっと触るような奴はいないだろうと指摘しようと思ったが、これ以上の口論は不毛だと思ったので、何も言い返さないでおくことにした。
櫛を入れ終わった頃にメッツが口を挟んだ。
「今日は髪型を変える練習もしましょう。レアさん、できますか?」
「はい、やってみます!」
俺は普段は背中くらいまでの長さの髪をそのまま靡かせているが、時には髪をまとめなければならないこともある。
そういった時はメッツにやってもらっていたが、今日はレアにその練習をさせるようだ。
髪を適当な長さのところで折り返してヘアピンで固定しつつ、最後はバレッタで留めて後頭部で纏めあげた。
俺は首を左右に動かしながら鏡で確認したが、特に問題はなさそうだ。
「ありがとう、レア。うまくできているわ」
「もったいなきお言葉です」
レアも口では謙遜しつつも、自分の仕事の出来栄えに満足しているようだ。
普段、髪をまとめるのはパーティの時や、運動をする時が多いのだが、今日はそういった予定はない。
しかしせっかく髪をまとめたのだから、それを生かしたいものだ。
「レア、メッツ。今日はストレッチの時間を長めに取るわ。いつもより激しめの運動もするから、水浴びの準備をお願い。あと、朝食はいつもより多めに……レア、どうかした?」
俺は二人にこの後のことを指示しようと思ったのだが、その途中からレアが目を丸くして俺の方を見た。
あまりにも驚いたような顔だったので、思わず何事かと聞いてしまった。
「すいません、メッツさんの言う通りだと思ったので」
「メッツの? どういうことかしら?」
「メッツさんがここに来る前に、イスラお嬢様は髪を纏めたらきっと運動をするだろうし、それに合わせて水浴びと、多めの朝食を所望されるだろうと言っていました」
レアは驚いた原因を教えてくれた。
どうやら、メッツはこの部屋に来る前から俺の行動について予測していたらしい。
「さて、レアさん。イスラお嬢様の仰る通り、水浴びと朝食の支度をしましょう」
「あ、メッツさん、待ってください」
俺は抗議の意味を込めて無言でメッツを睨んだが、メッツは何食わぬ顔で自分の仕事に戻るべく退室し、レアもそれに続いて俺の部屋を出た。
俺は思わずため息を吐いてこの後の行動について再考したが、今更行動を変えるのも負けた気がするので、予定通りストレッチを再開した。
そして予定通りストレッチと水浴びを終えた俺は、朝食を摂るためにダイニングに向かった。
テーブルには既に朝食が並んでいる。
食べ応えのある少し固めの黒パンと野菜のスープ、ベーコンエッグが並んでおり、俺のオーダー通り、パンがいつもよりも一つ多かった。
食事の前にコップに注がれたグレープフルーツジュースに手を伸ばしたが、ふと良からぬ考えが頭をよぎった。
朝食の時の飲み物はジュース、牛乳、茶など、いくつかの種類からメッツが選んでいる。
この飲み物のチョイスもメッツが俺の好みを把握しているつもりで選んでいるのならば、あえてそれを否定してみてやろう。
ちなみに、今の気分は酸味の効いたフルーツジュースだったので、メッツの選択はドンピシャに嵌っている。
「メッツ、悪いけれど今は牛乳の気分なの。牛乳を用意してくれないかしら?」
「かしこまりました」
メッツは俺の意地悪な申し出にも顔色一つ変えずに対応し、牛乳の入ったグラスを持ってきた。
俺は意味のない優越感に浸りながら牛乳を口にした。
そんな俺とメッツのやり取りを、近くで控えていたレアが先ほどと同じような驚いた様子で見ていた。
……すごく嫌な予感がする。
「レア、どうかした?」
「いえ、またメッツさんの言う通りになったな、と。メッツさんはイスラお嬢様はきっと朝食の席で何かメニューの交換を指示するだろうと言っていました。黒パンではなく白パンにしろと言うか、飲み物を牛乳あたりに変えるよう指示するだろうと言っていました」
レアからの種明かしを聞いて、俺の心からは先ほどまでの優越感は完全に消え去り、惨めさと申し訳なさが湧いてきた。
俺の密かな仕返しすらもメッツにはお見通しだったようで、すべては彼女の手のひらの上だったのだ。
「私ってそんなに分かりやすいかしら……?」
「いえ、私が長年イスラお嬢様のお世話をしてきた結果分かるようになったものです。イスラお嬢様が特別分かりやすい方であるということはございませんよ」
俺は思わず自虐的なことを言ってしまい、メッツにフォローされることになってしまった。
主人の自虐を聞かされる使用人の心境を考えると、こういった発言は控えるべきなのだが、
どうしても愚痴らずにはいられなかった。
結局朝食の間ずっとメッツとレアから気を遣われ続け、余計にダメージを負うことになったのだが、思い返せばいつぞやレティシアとジョーカーゲームで遊んだ際も俺の癖を盗まれていた結果敗北したこともあった。
こういう機会にそういった癖をなくしていかないと、今後の対人でのやり取りの際に致命的な隙となりかねない。
メッツやレアは普段から俺をよく見ているから細かいことにも気づくだけで、むしろ俺の弱点を教えてくれる存在だという見方もできる。
指摘された部分はどんどん改善していこうと少しだけ前向きな気持ちになれた。
朝食の後は少し落ち着くための時間が欲しかったので、自室で一人書類仕事をすることにした。
一人で書類に筆を走らせていると、部屋にファラが入って来た。
「イスラ・ヴィースラー。お前宛ての手紙だ」
メッツとレアは別の仕事をしているのか、今朝のやり取りの後なので顔を合わせにくいと思っているのかは分からないが、珍しくファラが手紙を届けてくれた。
「ありがとう、ファラ」
俺は礼を言ってその手紙の中身を見ようとしたが、ファラが俺を見たまま退室しない。
何か用でもあるのだろうか、と思ったらファラが口を開いた。
「イスラ・ヴィースラー、いつもよりも姿勢が悪くないか? 何か嫌なことでもあったか?」
ファラは当たり前のように俺の様子から今の気分を言い当ててきた。
メッツやレアではなく、俺のことを敵視しているファラにまでだ。
その瞬間、俺の心は再びとてつもない敗北感で満たされた。
「私ってそんなに分かりやすいかしら……?」
「おい、急にどうした? とにかく、手紙は渡したからな!」
ファラは困惑しつつも面倒な空気を察してか脱兎のごとく逃げ出した。
結局その日は昼食を終える頃まで沈んだ気分で過ごすことになったのだった。
次回投稿日:3月21日(木)
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