6.反撃準備(2)
前回の話
敵対する侯爵令嬢であるラスカル・マテリアルを排除するべく、イスラは財閥を形成しつつあるナスル商会の代表であるナスル・マクニコルという協力者から情報を仕入れるのであった。
夏が過ぎ、ようやく空気が涼しさを取り戻し始めた頃、俺は王都にある緑地公園を歩いていた。
公共の場であることを加味して普段着るようなドレスではなく、町娘風の機能性重視の地味目な服を選び、髪も一本に纏めてなるべく平民に見えるよう工夫した。
王都には貴族から平民、その下の乞食まで様々な身分の者が生活しているが、この緑地公園はどちらかというと平民の憩いの場である。理由は簡単で、貴族連中は自前で植物園を所有していたり、自分の屋敷の庭に植物を植えればいいので、こういった公共の場で自然を楽しむのは中流階級がメインになるのだ。
それではなぜ俺がこんなところにいるのかというと、会いたい人物がいるからだ。
園内を歩き回っていると、目的の人物はすぐに見つかった。
俺よりも年上のはずだが、俺よりも童顔で小柄なその少女は芝生の広場の木陰で足を延ばして座っていた。
いつもはドレスを着た姿を見ていたが、今日は彼女も平民風の装いであるため、普段と印象は違って見える。しかし、何も考えていなさそうなアホっぽい表情はいつもと変わらない。
俺は真っすぐにそいつに近づき、声をかけた。
「すいません、もしかしてユフィー・グリーア様ではありませんか?」
「人違いです!! ……ってもしかしてイスラ……?」
「はい。イスラ・ヴィースラーです。このようなところで会うなんて偶然ですね」
「良かった~。タリスマンかと思った。…あ、タリスマンって私の先生のことね。本当は今はお勉強の時間なんだけど、こっそり屋敷を抜け出してきたんだ。タリスマンにばれたらめちゃめちゃ怒られるからびっくりしたよ」
その人物とはレティシアの取り巻きの一人であるユフィー・グリーア伯爵令嬢だ。
俺が話しかけると飛び上がらんばかりに驚いたが、相手が俺であると分かるやホッとした様子を見せた。
以前の読書会の時も思ったが、この女は頭が悪い。
単純に勉強が苦手なようで、愚かではないが知性の足りなさは会話の節々に表れている。
「そういえば、イスラと二人で話したことってなかったよね。せっかくだからおしゃべりしようよ。ここに座りな。芝生の上って気持ちいいよ」
「……それでは失礼します」
ユフィーは自分の隣をポンポンと叩くと、俺がそこに座るよう促した。
そのマイペースっぷりに内心呆れつつも、俺は今日彼女と接触するためにここに来たので芝生の上にハンカチを敷いて、そこに腰かけた。
「私の家ってね、結構遠くにあるんだけど、そこは自然が豊かですごくいいところなんだ。王都もいいところだけど、たまに自然に囲まれたくなったときはここに来るの。イスラはここにはよく来るの?」
「たまにですね。私もこういった自然に囲まれた場所に無性に来たいと思うことがあるので」
「そっか。そうだよね。私たち、似た者同士だね」
「恐縮です」
ユフィーは嬉しそうにしていたが、俺はここに来るのは初めてだ。
『たまに来ている』というのはユフィーに取り入るための嘘だ。
ちなみにユフィーの家の領地が遠方であり、幼少期をそこで過ごした彼女は自然を愛するようになったこと、王都に来てからはたまに屋敷を抜け出してこの緑地公園に来ていることは事前に調査済だ。
「イスラは可愛くていい子だ。レティシア様が気に入るのも分かる気がするな」
「ありがとうございます。……私はレティシア様に気に入ってもらえているのでしょうか?」
「うん。見てれば分かるよ。レティシア様っていつも笑顔でニコニコって感じだけど、イスラに話しかける時はニコニコニコニコって感じだし」
ユフィーはそう言ってまたあははと笑った。
彼女もまたよく笑うが、その笑顔はレティシアの張り付いた笑顔とは異なり、本当に楽しそうに笑うのだ。
こうして話をするまで、彼女のことはただの馬鹿貴族と思っていたが、実際に話をするとその愛嬌は知性の不足を補って余りある強みだと感じた。
屈託のない女の笑顔はそれだけで魅力的に映るものだ。
ましてやユフィーはそこそこ顔もいいので、笑った顔はレティシアとは違った意味で可愛らしい。
しかし、レティシアが主催する会ではユフィーは大人しくしていることが多い。
俺が集めた資料でもユフィーの評価はただの落ちこぼれの馬鹿娘という見方が多かったと思く、明るく社交的というような評価はなかった。
恐らく誰かさんから『馬鹿は黙ってろ』というようなことを言われたのだろうな。
せっかくなので、その誰かさん最有力候補と思われる人物の話をしてみよう。
「レティシア様に気に入っていただけるのは嬉しいのですが、ラスカル様からは私はレティシア様の友人として『格』が足りないと言われてしまいました」
「ああ、ラスカル……様ね」
ラスカルの名前を出すとあからさまにユフィーの声のトーンが下がった。
この様子だとやはりラスカルはユフィーにも圧力をかけたことがあるのだろう。
「ラスカル様の言う『格』について私なりに考えてみたのですが、答えはでないままなのです。このままではレティシア様と親しくさせていただくことはできないのでしょうか」
「私はそんなことないと思う。レティシア様はそんなこと言わないし。全部ラスカル……様が勝手に言ってるだけなんだから」
「そう言っていただけると心強いです」
案の定ユフィーはラスカルのことを嫌っているようだ。
こちらから話を振ったのだが、ユフィーはすっかりラスカルへの不満が溜まっていたようで勝手に話を続けた。
「私もね、あいつに色々言われたことがあるの。レティシア様とお話するのに言葉遣いがなってないとか、話題が面白くないとか。そりゃ、確かに私はちょっと敬語とか難しい話とか苦手だけど、それでも私だってもっとレティシア様とお話したいのに、あいつがいつも邪魔するんだ。けどあいつって侯爵令嬢でしょ? 自分より偉い人の言うことには逆らうなって父上から言われてるから何も言えないんだ」
ユフィーはこちらが周囲の人に話を聞かれていないか心配するほどに大きな声でラスカルへの批判を口にした。
ラスカルはもうじき俺が排除する。その後にあの取り巻き連中で一番立場が上になるのはユフィーだ。この様子ならばラスカルがいなくなった後でユフィーが俺の邪魔をしてくるとは考えにくい。
さんざんラスカルへの不満をぶちまけたユフィーは、はっとしたように慌てて言葉を続けた。
「どうしよう。ラスカル…様のことをあいつって言っちゃった。ばれたら大変だ」
あわあわと手を動かしながら慌てている。
その様子がおかしくて、俺はついクスっと笑ってしまった。
「イスラ、何がおかしいのさ」
「申し訳ありません。ですが、今の話は私しか聞いていないので大丈夫ですよ」
「それもそうか。……いや、イスラが聞いたならやっぱりダメじゃない?」
「私は今の話は誰にも言わないですよ」
「本当?」
「はい。本当です。二人だけの秘密です」
「それなら大丈夫か。良かったー」
この短い会話の中でもユフィーはコロコロと表情を変えて喜怒哀楽を全身で表現した。
人間は無意識に自分が持っていないものを高く評価してしまうことが多いが、彼女の天真爛漫さは俺が一生かけても得ることができないものなので、とても貴重なもののように思えた。
彼女との会話は何となく心が洗われるような気持になり、思わぬ充足感をもたらした。
その後もユフィーは最近食べた美味しいお菓子の話や、昨日見た夢の話、楽しみにしていたお出かけの日ににわか雨に降られた話などのとりとめもない話を楽しそうに話してくれた。
しかしそんな時間は突然終わりを迎えた。
「いけない! そろそろ屋敷に帰らないとまずいかも! それじゃあまたね、イスラ!」
一方的に俺にそう告げるとユフィーは勢いよく立ち上がり、パタパタと走り去っていった。
「嵐のような女だったな」
一人取り残された俺も、もうこの公園に用はないため帰ることにした。
帰り道に犬の散歩をしている平民とすれ違った際に、その犬が無性に可愛く見えたので、じっと見つめたら、飼い主の女が
「良ければ触ってみる?」
と声をかけてくれたので、少し犬と戯れた。
俺は黙って犬を触っていたかったが、買い主の女が話しかけてきた。
「この辺では見たことない顔だけど、どの辺りに住んでいるの?」
「西地区の外れに最近田舎から引っ越してきました。王都はすごいところですけど、地元の自然が恋しくなって、気が付いたらここにいたんです」
「そうだったんだ。犬は好きなの?」
「はい。昔住んでいた家でも2頭飼っていました。2頭とも寿命で死んでしまいましたが」
「そうだったんだ。私はだいたいいつもこの時間に散歩してることが多いから、またこの子と遊びたくなったらこの時間にここにおいで」
「ありがとうございます」
俺は口から出まかせで会話をやり過ごし、犬を撫でまわすことに集中していた。
ちなみに犬を飼ったことはないのだが、なんとなく撫で方は体が知っていた。
前世の俺は詐欺師でありながら犬好きだったのかもしれない。
名前も知らぬ犬は腹や背を撫でると全身で嬉しさを表現するため、見ていて気持ちがいい。
数分の間、犬との時間を楽しんだ俺は飼い主に礼を言って改めて帰路についた。
(人間もあれくらい素直で可愛らしければいいんだがな)
俺は俺の思う通りに動く生き物は好きだ。
駒は多いに越したことはない。
レティシアは優秀な駒になりうる人材だが、身分が高すぎて小回りが利かない場面があるだろう。
ユフィーとは今後とも仲良くしておきたいものだ。
次回投稿は3日~7日後です。(投稿日未定)
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