5.反撃準備(1)
前回の話
アバン王子の婚約者であるレティシアと仲良くしていると、ラスカル・マテリアルという侯爵令嬢に目をつけられた。
ラスカルを排除するためにイスラは密かに策を検討するのであった。
ある日の昼下がり、俺は手紙を書きながら考えていた。
(手紙よりも早い通信手段はないものか)
俺は転生しているものの、前世の記憶はない。
しかし何かの拍子に思い出すことはある。
つまらない知識も多いが、病気や怪我の簡単な治療方法や、旨い飯の作り方など役に立つ知識もあった。
しかし手紙を書く時にはいつも何かを思い出せそうで思い出せない。
これが一番早い方法だと分かっていても、何故か全くそんな気がしない。
もっと早く遠くの相手とやり取りをする方法が前世にはあったはずなのだが、皆目見当もつかない。
(文字より早いとしたら……音声か?)
音声を直接相手に届けるには例えば糸を使うのはどうだろうか。
昔ティーセットで茶を飲んでいた時に2つのティーカップの底を糸で繋ぐことで、数メートル離れた相手に声を届けることができる装置の存在を思い出したことがある。
早速作って試したところ、実際に離れた距離の相手に声が届いたのだ。
しかし糸では張りつめていないと音は伝わりにくいし、張りつめ過ぎると切れてしまうこともあるだろう。
それならば地下に糸を通すことができれば、あるいは……
「イスラお嬢様、マクニコル様がいらっしゃいました」
「ありがとう、今行くわ」
考え事をしながら手紙を書いていたら、書き終わる前にタイムリミットが来てしまった。
俺は書きかけの手紙はそのままにしてメッツに呼ばれるがままに来客の対応に向かった。
客間に着くと、立派なスーツを着た初老の男がソファに腰かけていたが、俺の入室に気が付くと立ち上がって俺に頭を下げた。
「イスラ様、いつもお世話になっております」
「こちらこそわざわざ来てくれてありがとう。どうぞかけて」
改めて着席を促し、俺も彼の正面のソファに腰かけた。
この男はナスル・マクニコルという商人で、俺の協力者だ。
元々はしがない卸売業社をやっていた彼に経営の指南と資金の援助を行った結果、彼の会社であるナスル商会はこの国でも有数の大商会となってくれた。
7歳の頃に偶然思い出した前世の記憶により、卸売は輸送業や街づくり、娯楽施設の開発と合わせて行うことでその効果は数倍にも跳ね上がることを理解した俺はすぐにその計画を実行に移すべく動きだした。
7歳のガキの言葉をほとんどの者はまともに取り合ってくれなかったが、ナスルは真剣に聞いてくれた数少ない商人の一人だった。
資金力や人柄も考慮した上で、最終的にナスルと組むことを決め、小規模な馬車業者の買収や統合、地方の農村との作物の売買契約や、温泉地への交通網整備やその沿線開発を猛スピードで進め、ナスル商会は5年ほどでこの国の広範囲の物流と交通網を掌握した。
コンサル料として毎月全売り上げの1%を上納してもらっているのだが、これが結構な金額になり俺を資金面で大きく支えてくれている。
「それで、イスラ様。今回私めをお呼びになったのはどういったご用件でしょうか?」
ナスルは昔から礼を重んじる男であったため、圧倒的な資金を得た今でもつけあがることなく、俺に対して恭しく接し続けている。
「マテリアル侯爵家やその領地との取引はどのくらいあるかしら」
そんなナスルに来てもらったのは他でもない、ラスカル・マテリアル侯爵令嬢への対策立案の一環だ。
「マテリアル侯爵家ですか。いつも贔屓にしていただいていますよ」
「具体的には?」
「マテリアル侯爵家の領地ではトマトの生産が盛んです。収穫の時期にはその買い取り、運搬を任せていただいております。また、肥料、農具などの農業用品の販売や他の地域の特産品の販売もさせていただいております。葡萄酒や、魚の干物などが人気ですな。マテリアル侯爵領は内地でありますので」
「マテリアル侯爵領内で他業者との競合はあるかしら?」
「いえ、少なくとも私の耳には入っておりません。マテリアル侯爵領で元々活動していた業者よりもうちの商会の方が買い取り値の高さ、売値の安さ、用意できる荷馬車の量の全ての面で上回っていたため、元の業者を残す必要はないと思います」
ナスルは淀みなく俺の質問に答えた。事前に質問事項は伝えていなかったが、当然のように取引先の情報を答えられるのは流石だ。
そしてマテリアル侯爵家は既にナスル商会にかなり依存しているようだ。
「もしマテリアル侯爵領内での取引を全て中止した場合、ナスル商会にはどのくらいの損害が出るかしら?」
「既存の取引を全て中止した場合、損害賠償金がかなりの額になるかと思いますが、今後新規の取引を中止するということであれば他の取引や事業で補填は可能な範疇かと」
ナスルの回答に俺は心の中で密かに安心した。
ラスカルは排除したいが、その際に俺の資金源でもあるナスル商会に迷惑をかけるわけにはいかない。
しかしこの様子ならラスカルの排除の際に、マテリアル侯爵家ごと潰してしまうというのも悪くない。
「イスラ様、つかぬことを伺いますが、マテリアル侯爵領での商売を気にされて、何をされるおつもりなのでしょうか」
俺が思案していると、ナスルは俺を訝しむようにして聞いてきた。
確かに突然このようなことを聞いては不思議に思うだろう。
とはいえ馬鹿正直に『マテリアル侯爵家を潰すための材料を探している』と答えるのは憚られる。
「いえ、かの侯爵家について良からぬ噂を耳にしたものだから少し気になっただけ。今は気にしなくても構わないわ。確かな情報が入ったらすぐにあなたにも共有します」
「……そういうことでしたら構わないのですが」
ナスルは恐らく俺の嘘に気が付いているが、それ以上は詮索してこなかった。
優れた商人は利益の絡まないことに対して無暗に首を突っ込まない。
知らないことの方が利益になることもあるのだ。
「それよりも今年の上半期の結果はどうだった? 今回来てもらった本題はそちらなのだけど」
「それでしたら資料を用意していますが、結論から言えば、今期も順調に顧客を伸ばしています。こちらをご覧ください」
ナスルはカバンから決算資料を取り出し、説明を始めた。
始めに『どういったご用件で』などと言っていたくせにこういうところは抜け目がない。
まあ、毎年この時期に上期の振り返りをしているので、彼も当然その件での呼び出しであることは分かっていたはずだが、そのことをあえて自分から口にしないでいるところに彼の慎重さが表れているとも言える。
不要な話題を提供した結果、損することになるのは馬鹿らしい。
そういたリスク管理の一環なのだろう。
決算の報告を聞くに、ナスル商会は今年も絶好調のようだ。
もはや一部の特権業者以外には国内に競合はいないと言っていい。
ナスルの指示次第で物も金もある程度好きに動かせるようにまでなっている。
無論、無暗やたらと強権を発動することなどあってはならないが、いざという時に使える選択肢は多いに越したことはない。
「以上が報告ですが、ご質問はございますか?」
「いいえ。報告ありがとう。今年も素晴らしい成果ね」
「ありがとうございます。イスラ様の先見の明があってこその結果です。それから毎月のお支払いについてですが、今月分は上期の好調を加味して多少色を付けております。今後とも我々イスラ商会の発展のため、引き続きご協力を賜れればと思っております」
ひとしきり説明を終えると、ナスルはずっしりと中身の詰まった革袋を取り出して俺に差し出してきた。
見た目からして中身は金貨だ。毎月のコンサル料の支払いだろう。
「確かに受け取りました。いつもありがとう。これからもお互いにいい関係でいられることを祈っているわ」
俺はそれを受け取ると中身を確認せずに脇に置いた。
この男がこれまで報酬のちょろまかしなどという安い不正を行ったことはない。
むしろ今回は色を付けたと言っているため、俺の予想よりもかなり多めに支払ってくれているのではないだろうか。
ナスルは報告を済ませるとそそくさと帰ってしまった。
商人が忙しくしているのはいいことだ。
俺は自室に戻って手紙の執筆を再開しようとしたが、何とも気が乗らない。
メッツに茶を淹れてもらうようお願いした。
メッツはすぐに茶を用意してくれたが、その間にナスルから受け取った報酬袋の中身を確認していたら、金貨が20枚ほど入っていた。
最近は毎月金貨15枚前後だったのだが、ナスルの奴金貨5枚もサービスしてきやがった。
しかし冷静に考えると、俺への支払いは純利益の1%なので、単純計算で毎月金貨1500枚程度の純利益を出していることになる。
商品の買い取りや従業員への給与、拠点の地代などの支出を差し引いた純利益でそれだけの金額になるのは恐ろしい。
「珍しいですね。イスラお嬢様が金貨の枚数を気にされるなんて」
茶を淹れてくれたメッツは金貨を眺める俺の姿を見て感想を漏らした。
実際俺は実物の金貨にあまり興味はなく、持ち金の計算をする時は専ら帳簿で確認する。
「一枚いるかしら? 今回はたまたま多く入っていたの」
「いえ、お申し出はありがたいのですがお断りさせていただきます。その金貨一枚を受け取ってイスラお嬢様に浅ましいと思われるくらいなら、欲のない清廉な精神の使用人だと思っていただける方が後々得になると思いますので」
「もったいないことをしたわね。けど、期待通りの回答だわ。流石はメッツね」
「ありがたきお言葉です」
メッツには俺の考え方を長年説いてきたので、こうなることは予想できていたが、本当に金貨一枚を捨てるような真似ができるのは流石だ。
俺は人を騙し続けて生きていくことになるだろうが、そんな中で信用できる人間が身近にいることはとても大事だ。
特に使用人が信用できない人間の場合、夜眠る際にも寝首をかかれないか毎夜震えながら過ごさなくてはならない。
(メッツには幸せになってほしいものだ)
俺は一つ間違えば破滅に一直線の詐欺師ではあるが、願わくば俺が断罪されてもメッツは新しい人生を歩んでほしいと思う。
メッツの淹れてくれた茶を一口飲む。うまい。
他所で茶を飲むこともあるが、メッツの用意した茶はどこで飲むものよりも旨い気がする。
「メッツのお茶はいつも美味しいわね。王宮の使用人にも引けを取らないのではないかしら」
「王宮なんかに興味はありません。私がお茶を淹れる相手はイスラお嬢様だけと決めています」
美味しい茶を飲んでも手紙を書くモチベーションは湧いてこないままだが、たまにはこうしてくつろぐ時間があってもいいだろう。
俺は手紙のことは一旦忘れてメッツとの会話を楽しんだ。
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