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46.晴耕雨読

イスラはアバン王子とレティシアの婚約解消のために動き始めた。

春はすっかり通り過ぎ、じわじわとした暑さや、やたらと降りしきる雨に辟易する季節になったが、俺の気分は悪くなかった。


昨年は進展がなかったアバン王子とレティシアの婚約解消に向けた具体的なアクションを取ることができたのだ。

今回の策が失敗したとしても、また次の策を考えればいい。

いつかはその積み重ねが必ず実を結ぶ。


とはいえ今はできることがないので、他のタスクをこなさなければならないわけだが、今日はノインの相手をしてやる日だ。


いつもであれば、この世界に存在する人が人に危害を加えることができない法則、通称『平和の神の祝福』の抜け穴を見つけるための法律の話をするのだが、今日は少し趣向を変えてもいいかもしれない。


「いらっしゃい、ノインさん。足元が悪い中、来てくれてありがとう」

「……本日もお招きいただきありがとうございます」


前回と同じ時間にノインは俺の屋敷へとやってきた

多分だが、偶然ではなく彼女の几帳面さがそうさせたのだろう。


俺はノインを自室ではなく、今日は別の部屋へと案内した。

俺の自室を一回り狭くしたくらいの広さのその部屋には壁一面に本棚が置かれている。

部屋の真ん中には今日メッツに用意させた2脚の安楽椅子と小さめの丸いテーブルが置かれていた。


「……ここは……書庫でしょうか?」

「正解。今日は一緒に本でもどうかしら?」

「……いいと思います」


ノインは心なしか少し嬉しそうに俺の提案を受け入れた。

以前からノインは本が好きだというようなことを言っていた気がするので、断る理由もないだろう。

ノインは書庫の中を興味深そうに見まわした。


「……イスラ様はここの部屋の本は全て読まれたのですか?」

「元々この屋敷にあった本もここにまとめて置いているから、読んでいないものもあるわ。ただ、大半は私が購入した本だから、それらは全部読んだわ。中身を忘れてしまったものもあるかもしれないけれどね」

「……これだけの本を。流石です」


この世界にやってきて最初にやったことは、読み書きの勉強と、できるだけたくさんの本を読むことだった。

前世の記憶の影響か、この世界の文化や常識が妙に馴染まないことがあり、違和感を抱き続けていた。

そういった違和感を解消するために、本を読むことでこの世界のことを学習したのも今となっては懐かしい。


俺が昔のことを思い出している間に、ノインは早速一冊の本を手にして安楽椅子に腰かけ、そのまま本を読み始めた。

俺もまだ読んだことがない本を適当に見繕って読書を開始した。


窓の外は雨模様のため薄暗く、部屋の中はテーブルの上に置かれたランプだけが唯一の明かりだった。

優しい明かりの中で、外からの雨音、本のページが捲れる音だけが聞こえる落ち着いた空間がそこにはあった。

そんな中で本を読むことだけに集中できることはこの上ない贅沢な気がした。


本を読み進めて、頭が疲れ始めた頃、見計らったかのように侍女のメッツが部屋に入ってきた。


「失礼します。お茶のご用意ができました」

「ありがとう。そこに置いてくれるかしら」


俺はテーブルの上に茶を用意するよう指示して読書に戻った。

視線は本の上を走らせているが、メッツが茶を淹れるのが音と匂いで感じられる。


「それでは失礼いたします」


メッツは手際よく茶と茶菓子を用意すると、気を利かせてすぐに退室した。


俺は茶を啜り、横に置かれた茶菓子にも手を伸ばした。

今日の茶菓子はマカロンだ。


いつもはあまり甘すぎる菓子は敬遠することが多いが、本を読んで頭が疲れた時にはこういうのが欲しくなるものだ。

メッツの気遣いに感謝しつつ、早速マカロンを一つ口に入れる。

暴力的な甘さが口の中に広まり、脳が喜ぶのを感じられた。


「……美味しいお茶とお菓子ですね。ありがとうございます」

「私の侍女は優秀なの。喜んでもらえたなら何よりよ」


ノインも俺と同じようにマカロンを食べて、その甘さに酔いしれていた。

ノインはあまり表情を変えない女だが、今日は顔から嬉しさがにじみ出ている。


彼女もまた、この落ち着いた部屋の中でリラックスしているに違いない。


その後、改めて読書を再開し、キリのいいところでノインに話しかけた。


「ノインさん、そろそろ一度休憩にしないかしら?」

「……かしこまりました。ですが、あと数ページお待ちください」


ノインはすっかり本に集中しており、視線をこちらに向けずに返事だけ返した。

貴族を相手にするには失礼な態度ではあるが、俺はあえて何も言わずにノインが本を読み終わるのを待った。


「……申し訳ありません、お待たせしました」


ノインはようやく本を閉じてこちらを向いた。


ノインの読んでいた本は一昔前に貴族令嬢の間で流行った恋愛小説だ。

流行りのものは押さえておこうと思い一度読んだものの、もう内容はほとんど忘れてしまった。

俺はてっきりノインはもっと硬派な本を読むと思っていたのだが、意外な選択だ。


「気にしなくていいのよ。ところで、かなり集中していたようだけど、その本そんなに面白かった?」

「……いえ、私にはあまり理解の及ばない話でした」


俺が本の感想を聞くと、ノインはその内容の面白さについてばっさりと否定した。


「……この本は少し前に色んな方が読んでいました。しかし、私はその時は勉強が忙しく、読むことができませんでした。きっと面白いものだと思っていたのですが、私には合いませんでした。……イスラ様はこの本がお好きですか?」

「いえ、私も一度読んだけれど内容は覚えていないわ」

「……そうですか。……そうですよね……!」


どうやらノインも面白いと思ってこの本を読んでいたわけではないようだ。

俺がノインの意見に同意すると、彼女は少し嬉しそうにした。


「……あらすじだけでも面白そうだと感じませんでしたが、実際読んでもどこが面白いか分かりませんでした。しかし、当時の若い女性は、皆この本に夢中でした」

「そうね。とても流行っていたわね」

「……私は思うのです。このような内容の薄い本が流行るのは、貴族社会全体で知識人が減っていることが原因なのではないでしょうか」

「へぇ、ノインさんは面白い視点を持っているのね」


一冊の本の流行の話から思わぬところに話題が飛んだ。

しかし、これはノインという人間の本質を良く表した意見なのではないだろうか。

ノインは俺がその意見を否定しなかったことで、さらに持論を展開した。


「……貴族の方はもっと知性を持つべきなのです。国の政治は貴族の方たちに委ねられている以上、それは当然の義務ではないでしょうか。イスラ様や、レティシア様からはしっかりとした教養を感じますが、他の方はいかがでしょうか。特にユフィー様などは貴族としてあれでいいのでしょうか」


ノインは勢いに任せて貴族社会の批判まで始めた。

言っていることは一理ある内容ではあるが、もし俺がこの話を他に漏らしたらどうなるかなど考えないのだろうか。


ノインは知性のない者を批判しているが、知性だけが人間の賢さの尺度ではない。

現に俺はノインは思ったよりも頭が弱いと評価を下げている。


「ノインさん、そのあたりにしておきましょう」

「……すいません、失言でした」


ノインは我に返ったのか、いつもの無表情に戻った。


それでも一度言葉にしたことを取り消すことはできない。

その教養第一主義の選民思想は今後利用させてもらうとしよう。


その後は面白かった本の話題で盛り上がり、何事もない会話が続いた。

気が付けば、ノインが帰らなければならない時間になっていた。


「……イスラ様、名残惜しいですが、本日はこれで失礼いたします」

「ええ、気を付けて帰ってね。今日はありがとう。いろんな話を聞けて面白かったわ」


ノインの主義主張の話はさておき、気兼ねなく本の話ができる相手は少ないので、俺としても十分気分転換の楽しみとなった日になった。

こいつとは今後、こういう会を定期的に開催してもいいかもしれないな。


「……イスラ様、最後に一つよろしいでしょうか?」

「何かしら?」

「この前お話いただいたレティシア様が狙われているというお話ですが、あの後何か情報はありましたか?」


ノインは真顔で以前俺が語った陰謀論の話をしてきた。

やはりノインは教養こそあるものの、その知識を生かす判断力や、対人能力が著しく低い。

だからこそ俺にとっては都合がいいわけでもあるのだが。


「未だ確かな情報は何もないわ。下手を打てば私も狙われる危険もあるわけだから。ただ、もしかしたら近いうちに“敵”が何かの動きを見せるかもしれない」

「……私はイスラ様の味方です。何かあれば仰って下さい」

「ありがとう。頼りにしているわ」

「……それでは今日は失礼いたします」


俺はそれっぽい返事を適当に返しつつノインを見送った。


『敵』が云々というのは口八丁の戯言ではあるが、嘘から出た真、という格言もあった気がする。

嘘が本当になるのもまた一興。

俺はレティシアが俺の期待通りに立ちまわってくれることに期待しつつ、窓の外の雨を眺めた。

次回投稿日:1月24日(水)予定


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