34.法律のお勉強(1)
前回の話
イスラの誕生日を友人一同がお祝いした。
この国の法律には人を殺した場合の処罰に関する規定がない。
窃盗や恐喝、詐欺、器物の損壊などの場合はその程度に応じて牢への幽閉期間が定められている。
しかし、殺人に関する文言は一切存在せず、またそのような事例においてどのような裁判が行われたかの判例も一般の人間では閲覧ができないようになっている。
恐らく、俺のような汚い人間が模倣犯となることを防ぐための措置なのだろうが、賢明な措置であると同時に穴だらけの制度であると言わざるを得ない。
その気になれば抜け穴などいくらでも用意することができるのだから。
「イスラお嬢様、ノイン様がお見えです」
侍女のメッツが来客を知らせてくれた。
今日は裁判官の資格を持ち、判例を閲覧できる立場であるノインから法律について教えてもらえることになっている。
「ありがとう。ここに通してもらえるかしら?」
普通の来客の場合は客間に通すのだが、ノインにはこれからいろいろと役に立ってもらう必要がある。
自室という俺のテリトリーでゆっくりと毒を仕込むことにしよう。
「……失礼します」
部屋に入ってきたノインは分厚い本を何冊か持っていた。
恐らくは法律に関するものだが、ご苦労なことだ。
「来てくれてありがとう。早速だけどノインさんには聞きたいことがあるの」
「……どういった内容でしょうか?」
「過去に人が人を殺してしまった事件はないかしら? そういったケースの判例を知りたいの」
「……結論から申し上げると、そのような事例もございます。しかし、なぜイスラ様はそのようなことに興味がおありなのでしょうか?」
ノインは俺の突然の質問に対して不信感を抱いたようだが、当たり前だ。
俺が聞いているのは人の殺し方そのものだ。
そんなものを突然知りたがる奴がいたら、間違いなくそいつはヤバい奴だ。
しかし、それを踏まえた上で俺はあえて堂々とそのことを切り出した。
ここからは演技の時間だ。
「ごめんなさい。今は話すことができないわ」
「……残念ながら、それではお伝えすることはできません」
「そこを何とか!」
「……理由を教えていただかない限りは了承できかねます」
俺はできるだけ切実な表情を作り、ノインに迫った。
ノインは俺の要求を呑む素振りを見せないが、ここまでは想定の範囲内。
俺は悩むふりをして間を置きつつ、次のフェーズに入った。
「理由は言えない。なぜなら知ればノインさんにも危険が及ぶかもしれないから」
「……どういうことでしょうか?」
案の定ノインは俺の言葉に食いついた。
普通に考えれば他人に人殺しの方法を聞くなど悪人が行うべき所業だが、正面から正々堂々と、真剣な表情で、回りくどい言い回しをしながら、他人を案ずる発言をするとなると単なる悪人とは思えなくなってくるのではないだろうか。
そうなると、真意を聞き出したくなるのが人情だ。
「そこまで言うのなら仕方ないわね。やっぱりノインさんを巻き込むわけにはいかないし、今の話は忘れてちょうだい」
「……イスラ様は何かに巻き込まれていらしゃるのでしょうか」
「ノインさんには関係のない話よ。これは私の戦いなのだから」
そして今度は突き離すような言葉を挟んだ。
ノインは訳が分からない状況になっていることだろう。
「……イスラ様、私にもイスラ様が置かれている状況を教えていただけませんか?」
「駄目よ。知ればもう後戻りはできないのだから」
「……それでも、イスラ様だけに辛い思いをさせる訳にはいきません」
ノインは意を決して俺に協力を申し出た。
馬鹿な女だ。こんなあからさまな釣りに引っかかるとは。
俺はできるだけドラマチックな演出となるよう、少し大げさに感動を表現した。
「うれしいわ、ノインさん。まさかそんな風に私のことを案じていただけるなんて思っていなかった。だけど、一つだけ約束してほしいの。これから話すことは、他の誰にも内緒にして」
「……わかりました」
ノインはすっかり場の空気に飲まれたようで俺を助けるための英雄にでもなったかのような顔だ。
俺は笑いそうになるのを堪えて、真顔で虚言を吐いた。
「実は、レティシア様が何者かに狙われているようなの」
「……レティシア様が!?」
「ええ。もしかしたら命すら狙われているかもしれない。だから卑劣な賊の手から私はレティシア様をお守りしなければならないの。そのためには、敵がどういう手を使ってくるのか知っておかなければならないわ」
「……にわかには信じられません。まさかそんな陰謀が渦巻いていたとは」
ノインは俺の与太話を真に受けて唖然としている。
普通に考えればレティシアを狙う者が仮にいたとしても、その辺の子爵令嬢がそのことを知っているのは異常なことだ。
そんな簡単なことさえノインは気が付かない。
「まだ私も半信半疑でいろいろ調べている最中なの。だからノインさんもくれぐれも軽はずみな言動は控えてください。下手をすればノインさんも敵に目を付けられてしまうかもしれないのだから」
「……かしこまりました」
「巻き込んでしまってごめんなさい。だけど、正直言うと、私は今少しだけ安心しているの。一人で頑張っていると、どうしても不安になることがあって。ノインさんが味方になってくれるなら心強いわ」
俺はノインの元に歩み寄り、彼女の手を取った。
ノインは少し驚いたようだが、それを無視して俺は彼女の目をとびきりの笑顔でまっすぐ見つめた。
「頼りにしているわね、ノインさん」
「……はい」
ノインはすぐに目を反らしたが、俺は少しの間彼女の手を握りながら見つめ続けた。
ノインはこの年で裁判官の試験を通過するほどの才女ではあるが、残念ながら対人経験が圧倒的に不足している。
彼女が冷静な状態であれば俺の話の不自然な点くらいすぐに気が付くはずだが、少し話術で思考を乱してやっただけでこの状況を受け入れてしまった。
これからもノインには俺の話だけを信じて聞いてもらえるようじっくり“教育”してやらなければな。
「それじゃあ改めて聞かせてもらうけれど、過去に人が人を殺してしまった事件ではどういった手口が使用されていたのかしら?」
「……本日はそういった資料を用意していないので、私の知っている限りのお話にはなりますが、お話いたします」
ノインは前置きをした上で講義を始めた。
「……人が人を殺した事例は大きく分けて二つの場合があります。一つ目は過失による事例です。これには怪我を負った人への治療を誤った場合や、崖から落ちた際に、運悪く落下点に他の人がいた場合などです。加害者が被害者を傷つける意図がなかった場合でも殺人にまで発展するケースは珍しくありません。しかし、レティシア様が狙われているということであればこのケースについて深堀する必要はないでしょう」
相変わらずノインは法律の話になると途端に流暢に話し出すと感心した。
ノインは一度言葉を切ると、少し躊躇いを見せたが、次の話を切り出してくれた。
「……問題なのは二つ目の場合である、故意による殺人事例です。こちらは事例こそ少ないものの、実は国が密かに行うこともあります。具体的には死刑の執行です」
「死刑!? 法典にはそのような記載はなかったはずじゃないかしら!?」
「……はい。だからこそこの話は一部の人間のみしか知ることができないようになっているのです」
俺はノインの話を聞いて強い衝撃を受けた。
この国に死刑制度があるだと? そんな話は噂にも聞いたことがない。
動揺を隠せない俺とは対照的にノインは淡々と語った。
「……あらゆる犯罪者の中でも、特に重大な事件を引き起こし、なおかつ更生の余地のない者は特別な牢に閉じ込められることがあります。その牢が他の牢と違うのは、受刑者に食事が与えられない点です。食事を与えられない囚人は一週間から二週間程度で餓死します」
「なるほど。そういった方法であれば人を殺すことも可能だということね」
「……もちろん、死刑は簡単に執行されるものではありません。複数の裁判官による合議によって決定します。死刑が実際に施行されるのは年に1回あるかないかといったペースです」
ノインの話は俺の予想を超える思いもよらない話だったが、よく考えればおかしなことではない。
どうしようもない犯罪者に食事を与え続けるのは不経済だという考えは同意できる。
他人を餓死させることができるというのはこの国が実証してくれているが、即効性に欠けるのは難点だ。
もっと考察を深めていかなければならないな。
「ノインさん、ありがとう。レティシア様をお守りするための策を考える参考にさせてもらうわ」
「ありがとうございます。私も何かいい考えが浮かんだらご報告いたします」
今日のところはこんなものでいいだろう。
本当はもっといろいろ聞きたいことはあるが、時間はまだまだたくさんある。
この日はその後、一般的な法律の勉強会をしてから解散となった。
「ノインさん、今日の話は他の誰にも話してはダメよ。二人だけの秘密ね」
「……はい。……二人だけの、秘密……!」
別れ際に念押しで口止めをしたところ、ノインは満更でもなさそうに顔をほころばせた。
関係を深めるために秘密の共有を行うのは効果的だが、ノインもまんまと俺の術中にはまってしまった。
(そしてその秘密の関係は、いずれお前自身を滅ぼすことになる)
俺は名残惜しそうに帰るノインを笑顔で見送った。
次回投稿日:12月24日(日)予定
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