3.レティシアとの接触(2)
前回の話
レティシアの主催する読書会に参加したイスラはその終わり際、レティシアから今度二人きりで会わないかとの提案をされたのであった。
『よければ今度二人だけでお話ししましょう』
というレティシアのお誘いから一週間、俺は彼女と二人での会話の機会に何を話せば良いか様々なパターンを考えた。
彼女は周囲の人間から立派な貴族令嬢となることを望まれており、本人もそれを理解してその役割を演じているのは分かったが、では彼女は本心では何を望んでいるのだろうか。
読書会の時のことを思い出してみると、レティシアに本の感想を話した際に表情こそほとんど変えなかったが、感情の機微は感じ取れた。
それは彼女が無感情ではなく、自分の気持ちを持っているが、それを表現できない環境にいたと推測できる。
次は是非とも彼女の本心を言葉にしてもらいたい。
レティシア本人も自分の本当の気持ちを自覚しないようにしている節があるため、まずは彼女に自分の意志を自覚させ、それを表現してもらうことが今後必要になるはずだ。
今まで、レティシアの家族や取り巻き連中が彼女から思考する機会を奪っていたことをここで利用させてもらう。
(憧れは理解から最も遠い感情だ、という格言があったか)
レティシアの両親には会ったことはないので分からないが、少なくとも取り巻き連中はレティシアが清く、正しく、美しく振る舞えば、それが彼女の本当の姿だと信じて疑わない程度のやつらであり、しかもそんな作られた振る舞いを賞賛し続けてレティシアが偶像であり続けることを強要した。
とどのつまりあいつらはレティシアの上辺の言動しか見ておらず、彼女が何を考えているかなど気にしていないのだ。
そう考えるとレティシアも哀れなやつだ。自分を押し殺して両親や婚約者、取り巻きのために理想の令嬢を演じて機嫌を取らなければならないなんてご苦労なことだ。
しかし今までそんな窮屈な人生を送ってきたのだから、悪い魔女から与えられる甘美な毒には食いついてくれるはずだ。
一度人を襲った獣が再び人を襲うのと同じようにレティシアも自由の味を知ってしまったらもう元のお人形さんには戻れまい。
改めて手紙のやり取りを行い、一か月後が逢瀬の日に決まった。
初夏の匂いがする晴れた日だった。
馬車の中は暑く、薄いドレスをもっと用意しないといけないな、などと考えていたらレティシアの屋敷に到着した。
「イスラ様ですね。お待ちしておりました」
屋敷の入り口にいた使用人から声をかけられた。30代前半と思われる女性だったが、整った顔立ちの綺麗な人だ。メッツもそうだが、金持ちの家の使用人は容姿が優れていないと採用されない慣習なのだろうか。
その使用人は終始真顔で俺を広間に案内した。この前読書会を行った広間と同じところだったが、室内には誰もいなかったため、この前よりも広く感じる。
「恐れりますが、少々お待ちください」
使用人は恐らくレティシアを呼びに行ったのだろうか、広間を出た。
声からも感情は読み取れなかった。主人共々この家の人間は皆こんな風に上辺だけの振る舞いを強要される習わしなのだろうかとすら思った。
少しの間大人しくソファに座って待っていると、広間にレティシアが入ってきた。
「イスラちゃん、お待たせ。来てくれてありがとう」
いつもの笑顔で現れたレティシアは俺のすぐ近くのソファに腰かけた。
「こちらこそ再びお招きいただきありがとうございます。しかもレティシア様と二人でお話できるなんて夢のようです」
互いに挨拶を交わし、ここからが分岐点だ。
彼女は一体なぜ俺と二人で会おうと思った?
その答えは次のレティシアの言葉で分かるだろう。
どんな場合でも対応できるよう準備はできている。何でも来い。
「初めて会った時も、この前の読書会の時もイスラちゃんは私ともっとお話ししたいって言ってくれたよね。どうしてそう思ったのか聞かせてほしいな」
レティシアはいつもの笑顔でそう言った。
これは何気ない質問のように見えて今後の重要な分岐点だ。
きっとレティシアは今まで『公爵令嬢』という立場のみを目的にした有象無象の連中に声をかけ続けられているのだろう。
俺もそんな奴らと同じだと思われては今後二度と彼女と友好的な関係を築くのは不可能になる。
本来は慎重に言葉を選んで答える必要があるが、この質問も想定済のため、すかさず答えた。
「レティシア様は聡明で優しい聖女のような方だと皆が言っております。しかし誰もレティシア様の苦労や苦しみについて話すことはありません。どんなに素晴らしい聖女であっても生きている限り不安なことや心配なことがあるはずです。私はレティシア様が感じる全ての気持ちを知りたいと思ったのです」
この回答はレティシアが完璧な存在ではないという意味を内包しており、少し攻めた内容とも受け取ることが可能だが、必要なことはレティシアに俺が理解者であると錯覚させることだ。
俺はお前の作られた外面だけでなく、内面も気にしているぞ、ということが伝わることが大切だ。
そのためにはこのくらいの言い回しの方が効果的だと判断した。
レティシアは俺の言葉を聞いて少し沈黙したが、
「そんなこと言われたのは初めてだな」
と呟いた。
その顔はほとんど無表情で、その言葉の真意は分からない。
感動とも失望とも取れるが、どちらだ?
しかしレティシアはすぐにいつもの笑顔に戻り、言葉を続けた。
「イスラちゃんの言う通り、私だって嫌な気持ちになることもあるよ。だけどそういう気持ちは誰かに言っても仕方ないから、人には言わないようにしているの。もちろん、イスラちゃんにも言わないよ」
レティシアはいたずらっぽく言ったが、あくまで他人に内面まで踏み込ませないようその一線は守っている。
俺は自分の言葉が失敗になったと思い焦っていたが、次の瞬間レティシアの笑顔が変化した。
「けどイスラちゃんの優しさは伝わってきたよ。ありがとう」
張り付いた笑顔が自然な笑顔になった。傍からみたら笑顔のままで変化はないように見えるかもしれないが、俺には分かる。
この表情を引き出せたということは完全な失敗ではないのだろう。
まだチャンスはある。最後まで油断せずにレティシアとの会話を繋げよう。
その後話題は、面白かった本の話、美味しかったお菓子の話、気に入ったドレスのデザインなど他愛もない雑談に移った。
雑談の中でレティシアの求める返事を完璧に返すことができたかは分からないが、少なくともレティシアは終始機嫌良さそうにしていたので、大きなミスはないと思う。
「そういえばイスラちゃんは婚約者はまだ決まってないの?」
「はい。両親からは早く相手を見つけろと言われているのですが」
「イスラちゃんは可愛いからきっとすぐに素敵な男性が見つかるわ」
話題の変遷を繰り返し、思わぬところで婚約者の話になった。
これは王子のことを聞き出すための好機だ。
「私はまだどんな男性と婚約すべきかというのが分からないのです。レティシア様はアバン王子と婚約されておりますが、アバン王子との婚約が決まった際はどのようなお気持ちだったのですか?」
「もちろんとても嬉しかったわ。アバン王子はとても素晴らしい方だと伺っていたし」
「差し支えなければレティシア様はアバン王子のどのようなところがお好きなのか教えていただけないでしょか?」
「そう聞かれると恥ずかしいな。けど、そうね。優しくて、かっこいいところかな」
「教えていただきありがとうございます。私も婚約者を選ぶ際の参考にいたします」
「やっぱり恥ずかしいから今の話はなし。忘れて」
レティシアは恥ずかしそうにして手をパタパタ動かした。
アバン王子との婚約について聞いたが、案の定内容のない返事が返ってきた。
無理もない。レティシアは別に自分の意志で王子との結婚を望んだわけではないのだから。
彼女は両親にやっぱり別の男と結婚しろと言われたら簡単に了承するに違いない。
恥ずかしそうな素振りを見せたのも、恐らくこの話題を終わらせるための方便で、本当は恥ずかしいというよりもこの話題についてこれ以上話すことがなかったのだと思う。
(レティシアが王子との婚約に固執していないならばいくらでも手は打てる)
正直、レティシアとアバン王子が両想いであったならば婚約を破談にするのはかなり難しいと思っていたが、少なくともレティシアはアバン王子に恋愛感情を持っていない。
それならばレティシア本人の行動や心情を誘導するだけでなく、彼女の両親を使って王子以外の男との婚約を命令させるという選択肢も出てきた。
(恐喝、悪評の流布、詐欺で金を巻き上げる、拷問……おっと、直接的な暴力は駄目だったな)
レティシアと笑顔で雑談しながらも俺は心の中でレティシアの両親を使う場合のパターンを考えていた。
「レティシア様、大変名残惜しいのですが、そろそろお時間が」
「あら。もうこんな時間? 楽しい時間はあっというまね」
その後会話は再び別の話題に飛び、目ぼしい収穫もないまま帰る時間になった。
とはいえ、王子に対する気持ちを知ることができたのは今日の成果だ。
関係の構築はゆっくり確実に進めるのが一番の近道だ。
焦って奇抜なことをすると、印象には残るが、信頼を得るという観点では悪手になりやすい。
「ねえ、イスラちゃん」
「なんでしょうか」
レティシアはいつもの張り付いたような笑顔ではなく、不安そうな顔で俺の名を呼んだ。
一体何事かと思い、俺も思わず固唾を飲んでレティシアの次の言葉を待った。
レティシアは中々次の言葉を発さず、静寂が場を支配した。
しかし、ついに何かを決意したように俺の目を真っすぐ見つめて言葉を放った。
「イスラちゃん、改めて私と友達になってくれないかしら?」
俺は予想外の申し出に混乱したが、レティシアの言葉の意味を確認することにした。
「以前、アバン王子に私のことは友達だとご紹介いただいたと思いますが、あれは違ったのですか」
「違くはないけど、何て言えばいいのかしら。あの時はまだイスラちゃんのことよく知りもしないでそう言ってしまっていたから」
レティシア自身も混乱しているのか、答えが要領を得ない。
彼女にとっての友達とは何なのか。
俺が黙っていると、レティシアはさらに言葉を続けた。
「イスラちゃんとこうしてお話しているとね、なんだかとても楽しいなって感じるの。だからもっと仲良くなりたい。こんな風に思ったのは初めてなの」
拙い言葉だったが、その説明で合点がいった。要は今までレティシアは誰かと友達になりたいと思ったことがないのだ。
「レティシア様には既にたくさんのご友人がいらっしゃいます」
「そうだけど、そうじゃないの」
「申し訳ありませんが、レティシア様のお話は私には難解過ぎます」
「ああ、もう何て言えばいいのかしら」
俺はレティシアの言わんとすることは分かっているが、あえて彼女自身の口から想いを伝えるよう言葉を待った。
彼女にとっての友達の定義は一緒にいる時間が長い者、つまり周囲に集まってくる取り巻きのことであり、辞書的な意味での友達とは乖離があった。
その定義の誤りに今日気が付いたというだけの話だ。
そのことをレティシアはどのように表現するのか。
レティシアは少しの間悩んだ素振りを見せたが、何かを思いついたように言葉を紡いだ。
「……親友」
「親友……ですか?」
「そう、親友! それがしっくりくるわ。お友達は他にもいるけれど、イスラちゃんとはもっと特別なお友達になりたいの。こういうのを親友って言うのよね?」
なるほど、そういう風に解釈したか。確かに“親友”という響きは悪くない。
「確かに特別に親しい友人をそのように表現することもあるようですが、私のような者がレティシア様の親友になってもよろしいのでしょうか?」
「もちろん! これからもよろしくね」
レティシアは俺の手を取り両手で包むようにして握り、照れくさそうに微笑んだ。
その笑顔はいつものような張り付いた笑顔ではなく、自然なものに見えた。
いつもは素の自分を出すことが許されないレティシアの一世一代の申し出だったから緊張していたのか、彼女の手は手汗でしっとりと湿っていた。
「こちらこそよろしくお願いします」
俺はレティシアの手をやさしく握り返して彼女に微笑み返した。
(こいつはもう終わりだな)
人生で初めて友人になりたいと思った女の子が、女の子の皮を被った詐欺師だとは本当にレティシアは気の毒だ。
こうなってしまったら後は遊郭の女に弄ばれる金持ちの男と同じような結末がレティシアを待っている。
「ありがとう、イスラちゃん。私、すごく嬉しい」
レティシアは感極まって目尻に涙を浮かべていた。
いずれやってくる破滅のことを彼女は知る由もないので、恐らく友人との楽しい時間のことに思いを馳せているのだろう。
俺はレティシアのあまりにも哀れな姿を見て、微笑み返す自分の顔に哀れみが混じっていないかが心配になった。
その夜、俺は自分のベッドの上で大の字になって今後のことを考えていた。
王子とレティシアの婚約解消はもはやほとんど成功したようなものだ。
レティシアにゆっくりと王子との結婚への不安を植え付けてやればいい。
(次は王子、お前だ)
レティシアは思ったよりも早く騙されてしまったが、王子の方が手ごわそうだ。
俺は既にレティシアへの興味は失いつつあったが、レティシアは顔がいいし、権力も持っているし、何より王子の婚約者だ。今後王子に接近するためには彼女を足掛かりにするのが一番手っ取り早いので、とことん利用させてもらおう。
(レティシアの処遇は……そのうち考えよう)
王子とレティシアの婚約を破談させ、その後狙い通りに俺と王子の婚約が決まった時にレティシアはどうしようか。
死んでくれるのが一番後腐れないが、この世界では直接的な暴力が使用できない不思議な強制力、通称『平和の神の祝福』が存在する。殺害するのはいろいろとハードルが高い。
そうなると、王子と結婚した俺が王妃となり、その友人が王子の元婚約者という面倒な人間関係が残ることになる。
しかし、そんな先のことは追い追い考えればいい。
ひとまずは今日のデートの成功を喜ぶとしよう。
俺はそのまま目を瞑り、満足した気分のまま眠りに落ちた。
次回投稿は10月1日(日)の予定です。
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