27.凡ミスの代償(3)
前回の話
レティシアからの手紙を放置してしまっていたイスラはレティシアに謝罪をするべく彼女の屋敷に向かい、突然の雨でずぶ濡れになりながらもレティシアに会って和解することに成功した。
女の朝は早い……というようなことを考えていた時期があったし、実際俺は普段は早起きなのだが、今日は全く起きる気力が湧いてこない。
確か昨日はレティシアの屋敷に行って、そこでしこたま雨に打たれて、濡れ鼠のようになって気を失い、レティシアとは和解できて、それで、……。
だめだ。全く思考が整わない。
いつもに比べて異様に体が重く、思考力が極端に落ちている。
それに体も熱く、喉が痛む。この原因は一つしかない。
(風邪だな)
雨に濡れた後、レティシアに体を温めてもらったものの、それだけでは回復しきらなかったようだ。
色々と考えなければならないことはあるが、今は休むしかあるまい。
俺は再び瞼を閉じて眠気が来るのを待った。
しかしこんな時に限って中々寝られないものだ。
そして起きていると余計なことを考えてしまう。
食欲はないが、水が飲みたい。それに薬も早いうちに飲むべきだ。
そうは思っていても体を動かしたくない気持ちが先行して動けない。
「イスラお嬢様、今日は珍しくゆっくりですね」
そんなことを考えていたら侍女のメッツが部屋に入ってきた。
とてもいいタイミングだ。
「メ“ッヅ、……ゴホ、ゴホ、……メッツ、こっちに来て」
「イスラお嬢様!?」
いきなり声を出そうとしたら思い切り咳込んでしまった。
その様子を見てメッツが慌てて俺の方に駆け寄ってきた。
「イスラお嬢様、どうされましたか?」
「どうやら風邪をひいてしまったみたい。水と薬をお願いできるかしら?」
「すぐに用意します」
メッツに体調不良を伝えると、彼女はテキパキと動き始めた。
まずは俺の要求通りに水と薬を用意してくれ、それに加えて着替えと冷たい水で絞ったタオルをすぐに持ってきてくれた。
「イスラお嬢様、他に何か欲しいものはありますか?」
「ありがとう、メッツ。とりあえずは大丈夫」
水と薬を飲み、タオルで体を拭って、寝汗で濡れた服を着替えると、寝起きの時よりも格段に気分が良くなった。
メッツのこういった気遣いにはいつも助けられていると思っていたら、彼女はさらに質問を続けた。
「お食事はいかがいたしましょう? 朝食の用意はこれからですが」
「食欲がないからなくても構わないわ」
「それでしたら果物を用意いたします。それくらいはお腹に入れて下さい」
そう言うとメッツは再び部屋を出た。
再び静かになった部屋で手持無沙汰になってしまったが、体はだるいので机に向かう気も起きない。
仕方ないのでベッドの上で転がっていると、すぐにメッツが戻ってきた。
手にはリンゴを持っている。
メッツは俺のベッドの縁に腰かけると、果物ナイフで器用にリンゴの皮を剥き、食べやすい大きさに切り分けると、サイドテーブルの上に置かれた皿に並べていった。
俺はそのリンゴをありがたくいただこうと手を伸ばすと、
「イスラお嬢様、少しお待ちください」
と言われてしまった。
理由は分からないが、待てと言われたので大人しく待っていると、メッツは瞬く間にリンゴの解体を終えた。
メッツは切り分けられたリンゴを楊枝で刺すと、ゆっくりと俺の口元に運んできた。
「イスラお嬢様、あーんしてください」
「メッツ、私は具合が悪いとは言ったけれど、それくらい自分で食べられるから必要ないわ」
どうやらメッツが待てと言ったのは、食べさせようとしたからみたいだ。
確かに起き上がれないほどの重篤な体調不良であればこういったことが必要だろうが、今の俺には不要な措置だ。
しかしメッツはリンゴを俺の口元から動かさない。
「イスラお嬢様、これは必要か必要でないかといった問題ではありません」
「どういうことかしら?」
「私がそうしたいのです」
メッツは大真面目におかしなことを言いだした。
何かの冗談かと思ったが、彼女からそういったふざけた雰囲気は感じない。
普通に考えれば使用人が主人に餌やりをするかのように食事を与えるというのは無礼極まりないが、いつもメッツには世話になっていることを思えばその程度の無礼は許容して彼女の言う通りにしてもいいのではないか?
それに今ここでメッツと口論をしたところで体調が快復するわけでもない。
仕方がないので俺は黙って口を開けると、メッツはリンゴを俺の口へと運んだ。
「食べられて偉いですね」
メッツは小さな子供を相手するかのように俺に語りかけた。
俺はシャクシャクとリンゴを咀嚼していて喋れないので、しかめっ面をして抗議したが、それとは対照的にメッツは珍しく相好を崩し、本当に楽しそうにしている。
ようやく飲み込んで文句を言おうと思ったらメッツは次のリンゴを差し出してきた。
俺は反抗を諦めてメッツにされるがまま口に入れられたリンゴを食べ続けた。
「メッツ、あなた私が体調を崩しているというのに随分と楽しそうね」
ようやく差し出された全てのリンゴを食べ終えたので、ささやかな反抗を試みた。
もちろん本気で言っているわけではないが、一般的には主人にこんなことを言われた使用人は自分の首が飛ぶことも覚悟しなければならない。
しかしメッツは顔色一つ変えずに答えた。
「はい。いつも美しく、聡明でしっかり者のイスラお嬢様をこんな風にお世話できるのはとても楽しく思います。そもそもイスラお嬢様は朝の支度や着替え、入浴の際も私の手を借りずに一人で済ませてしまわれますが、私はもっとお手伝いしたいと思っています。普段のことは諦めておりますが、こういった時くらいはお世話させてください」
俺の反抗心はメッツの忠誠心の前では全くの無意味だった。
普段から十分にメッツに頼っていたつもりだったが、彼女はまだまだ物足りないらしい。
俺はメッツの言葉を聞いてため息を吐くことしかできなかった。
「メッツ、さっきのは嫌味よ。主人が苦しんでいるのに楽しいだなんて言ったら解雇されてもおかしくないわよ?」
「おかしなことを仰いますね。イスラお嬢様はそんなことで私を首にはしませんよ」
「あなたね、……まあいいわ」
俺はメッツの発言に苦言を呈そうかと思ったが、やめておいた。
メッツの発言は第三者が聞いたら常識外れな発言に聞こえるであろうものなので、そのことだけでも注意しようと思ったが、紛れもない事実でもあるのだ。
俺はこの程度のことで有能な人材を手放すような愚かなことはしない。
メッツもそれを十分に理解しているからこそ、こういった発言ができるのだ。
その会話の間にも、気が付くとメッツはリンゴの皮と皿をまとめて片付けを終わらせていた。
「イスラお嬢様、今日は大人しくしていてくださいね」
「分かったわ」
メッツはそう言い残すと名残惜しそうに部屋を出た。
俺の専属侍女とはいえ、メッツにはメッツの仕事があるので、四六時中俺の側で控えているわけにはいかないのだ。
俺は腹が膨れたので横にはならず、ベッドの上でボーっと座ってメッツのことを考えていた。
彼女の俺への忠誠心は大したものだ。
確かにそうなるようメッツに教育したのは俺だ。
しかし今の彼女は俺の想像を遥かに超えて絶対的な信頼を俺に寄せている。
(一体何が彼女をそうさせているのか?)
人間、未知のものは恐れるようにできているものだ。
今の俺はメッツのことをある意味で恐れている。
俺は彼女がなぜここまで甲斐甲斐しく俺の世話をしたがるのか分からない。
考えても分からない。考え事をしていたら疲れたので横になった。
俺にとってメッツは替えの利かない信頼できる駒だ。
ではメッツにとっての俺は?
主人? 家族? 金づる? 恩人?
どれも間違いではないと思うが、どれもピンとこない。
俺はどう振る舞えば彼女を満足させられるのか。
横になって考えていたら眠くなってきた。
俺は微睡みの中で一つの結論を得た。
メッツが何を考えていようと、俺は彼女が望む俺を演じればいい。
何故なら俺は詐欺師なのだから、気が済むまでメッツのことを騙してやろう。
次回投稿日:3~5日後
続きが気になる方は是非ブックマークしてお待ちください。
高評価、いいね、感想をいただけたら励みになります。




