10.ラスカルのいない茶会
前回の話
イスラはラスカル・マテリアル侯爵令嬢を奴隷として娼館に送り込んだのであった。
ラスカルを娼館送りにしてから2週間ほど経ったある日、レティシアがいつものように取り巻きを屋敷に招いた。
今回はシンプルな茶会だ。最近寒い日が続いているので、温かい茶が体に染みる。
「ラスカルは大丈夫かしら……?」
レティシアがぽつりと呟いた。
以前までであればこういう時に真っ先にレティシアに返事をするのは専らラスカルの役割だったが、ラスカルはもういない。
「最近寒い日が続いております。風邪でも患ったのでしょうか」
俺は他の取り巻きが様子見をする間に、すかさずレティシアに言葉を返した。
ラスカルのイエスマンだったアンリ・ランカスター伯爵令嬢は俺のことを不快そうに睨んできたが、気が付かないふりをした。
俺の言葉に対し、レティシアは少し考える素振りをしたが、俺たち全員の顔を見渡して告げた。
「実はラスカルはただの体調不良ではなくて、何か重い病にかかってしまったようなの。王都を離れて治療に専念するからしばらくは会えないみたい」
レティシアは心配そうな様子で俺たちにラスカルの状況を教えてくれた。
なるほど。カール侯爵はラスカルがいなくなったのは病気療養で王都を離れたということにしているのか。
ラスカルがもうこの会に来ないことを聞いて皆動揺しているようだが、先ほどまでこちらに敵意を向けていたアンリはあからさまに狼狽していた。
「アンリ様、顔色が優れないようですが、大丈夫ですか? ラスカル様のことがご心配なのは分かりますが、どうか気を強く持ってください。信じていれば必ずラスカル様は再び私たちの元に帰ってきますよ」
「ええ、そうね」
アンリは元々俺にとっては敵にすらなりえないほどの雑魚だ。
話を向けたら案の定気まずそうに小さな声で一言返事を返すのが精いっぱいだった。
伯爵令嬢の身分のくせに情けない。こいつはラスカル抜きで単身俺に盾突くような気概はないのだ。今後何かあっても同じようにして黙らせればいい。
「イスラちゃんの言う通りね。皆、ラスカルが早く帰ってくるように快復を祈りましょう」
レティシアはそう言うと胸の前で両手の指を組み、目を瞑って祈る姿勢を取った。
俺たちもそれにつられて同じように祈る仕草を取った。
(まあ、ラスカルは今日も元気に男の相手をしているはずなわけだが)
この一連のやり取りはこの中で唯一ラスカルの置かれている事情を把握している俺にとっては今までで一番の茶番だったことは言うまでもない。
その後も重い空気が場を包んでいたが、茶を飲みながら会話をしているうちにラスカルの話題は過ぎ去り、いつも通りの談笑になっていった。
特にユフィーは天敵がいなくなったからか、いつもよりも嬉しそうにレティシアに話かけていたし、レティシアも最初は少し困惑したような態度も見せたがすぐにユフィーの爛漫さに充てられて自然と笑顔をこぼしていた。
さらに前まではラスカルのせいでレティシアと話す機会が少なかったノインやミレイヌもここぞとばかりにレティシアに話かけており、お開きになる頃には約一名を除いて皆楽しそうに笑っていた。
ちなみに最後まで苦々しい顔をしていたのはアンリで、彼女がレティシアに話しかける時だけは俺が積極的にその会話に割って入り邪魔をした。こういう雑魚相手の時は下手に出るといつ調子に乗るか分からないので、最初に力関係を徹底的に叩き込む必要がある。
しかし全体的に見ればラスカルが抜けたことでこの集団の空気は明らかに良くなったと思う。
俺の目的はあくまでアバン王子であり、いつまでもこんなところに留まっているつもりはないが、居心地がいいに越したことはない。
その茶会から1週間ほど経って、今度はレティシアと二人きりの密会に呼ばれた。
前回同様にレティシアの私室に通されて彼女の話相手となった。
「ラスカルは大丈夫かしら」
ここでもレティシアはラスカルのことを案じていた。
ラスカルは長いことレティシアの取り巻きをやっていたのだから心配するのも無理ないか。
「ラスカル様ならきっと大丈夫ですよ」
「私もそう信じているけれど、あまりにも突然居なくなってしまったのが怖いの。もしラスカルだけじゃなくて他の皆もいなくなってしまったらと思うと心細くて」
レティシアの言葉は力なく、最後の方はほとんど呟きのようになっていた。
どうやら俺の想像以上にレティシアはショックを受けているようだ。
面倒だが、この場での選択肢としては適当に元気付けるしかあるまい。
「私はずっとレティシア様のお側にいますよ。親友ですから」
俺はレティシアの近くまで移動し、彼女の手をとり両手で包んでやった。
レティシアの手はひどく冷たかったので、しばらくそうして温めてやった。
(手足等の末端が冷えるのは……極度の緊張やストレス……だったか?)
こんな時だったが、俺はそのようなことを思い出していた。
前世の記憶だろうが、確かに今の状況と一致する。
新しい学びを得たが、これは中々使える知識かもしれない。
「……ありがとう、イスラちゃん。もう大丈夫」
しばらく無言で手を握っていたが、平温に戻った頃にレティシアはいつもの笑顔を俺に向けた。
その笑顔は取り巻き達の前で見せるような張り付けた笑顔であったが、空元気でも笑えるようになったのならば一旦は大丈夫だろう。
「イスラちゃんにはいつも私の恰好悪いところを見せてばかりだね」
「他の方には秘密にしますので、ご安心ください」
「そういうことじゃないんだけど……何て言えばいいかな……?」
いつも通りに戻ったと思ったら今度は何やら考え事を始めた。
以前の“親友”という言葉を出した時もこんな感じだった。
今度は一体何を言い出すのだろうか。
「イスラちゃん」
「何でしょう?」
レティシアは何かを思いついたようでゆっくりと俺に語りかけた。
「私たち親友なんだよね!?」
「はい」
「親友ってことはどんなことも相談し合える関係ってことよね?」
「はい」
「……けどイスラちゃんは私に遠慮してるよね?」
「……いえ、そのようなことは、あまりないと思いますが」
「遠慮、してるよね?」
二回目の質問の際にはレティシアはいつもの張り付いた笑顔と優しい声音で聞いてきた。
こういう時、怒りを露わにされるよりも感情が読めない方がずっと恐ろしい。
適当な言い訳がバレてしまったようなので、ここは素直に非を認めよう。
「……申し訳ありません、レティシア様に失礼のないように注意はしています」
「そんな気遣い、別にいらないのに」
頭を下げて謝罪をしたが、レティシアは少し悲しそうな返事をした。
もしかしたら今のやり取りはまずかったかもしれない。
ここでレティシアから縁を切られたらもう貴族社会で真っ当に活動するのは無理だ。
今後の身の振り方を考えていると、レティシアは下げっぱなしだった俺の頭を優しく撫でた。
「私はね、公爵令嬢なの。それは生まれた時から決まってるし、変えることができないことだって分かってる。だけど、せめて対等に話をしてくれる人が欲しい。だからイスラちゃんに私の弱いところを見せた分、イスラちゃんがつらい時や悲しい時には私に相談してほしいし、力になりたいの」
俺は黙ってレティシアの話を聞いた。
幸いレティシアはただ単に俺から頼られたいということを悩んでいただけのようで、それならばすぐにでも解決可能だ。
適当な悩みでもでっち上げて相談してやればレティシアも満足するだろう。
「実は……」
「でもイスラちゃんは優しいから私を困らせないようにと思って、つらいことがあっても言えないでいるんだよね?」
「……はい?」
しかし俺が架空の相談話をしようとした瞬間、レティシアはよく分からない持論で俺の言葉を遮った。
「うんうん、分かるよ。私もイスラちゃんと出会う前はそうだったし。自分の弱いところを人に見せるのって勇気がいるよね? けど、私はお互いに支え合っていける関係を目指したいの」
「……はい」
「だからイスラちゃんは私に遠慮なんてしなくていいんだけど、いきなりそんなこと言われても難しいよね。けど、任せて。私に良い考えがあるの」
俺は頭を下げたままなので、レティシアの表情は見えないが、声は弾んでいるのが分かる。
ダメだ。すごく嫌な予感がする。
レティシアは俺の頭を撫でる手を止めると、俺の両肩を持ち上げて頭を上げさせた。
ようやく確認できたレティシアの表情は眩いほどの笑顔だった。
そして目を輝かせて
「今度二人でお泊り会をしましょう。そうすればきっとイスラちゃんも私への遠慮がなくなると思うから!」
と言い放ったのだった。
次の話:明日(予定)
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