1.転生先は傾国の美女
女の朝は早い。
通常、貴族は侍女が起こしにきてから身支度を始めるらしいが、俺は日の出の頃に目を覚ますようにしている。
春になったとはいえ、まだ朝は少し肌寒い。
体を起こし、軽くストレッチをしてから髪を整え、化粧も自分で行った。
前世で男だったからか、こういった身支度は面倒だと感じるが、女として生まれ変わった以上、美しく着飾った方が得になるので仕方ない。
「おはようございます、イスラお嬢様。今日もお早いですね」
小一時間ほど経ったころ、専属侍女のメッツが部屋に入ってきた。
始めの頃は俺が先に起きていると青ざめた顔で謝罪してきたが、私が勝手に早起きしているだけだから別に構わないと根気強く言い続けた結果、このように早起きの主人のことを気にしないようになった。
「今日はアバン王子とのお茶会だったわね。この前新調した青いドレスを用意しておいて。朝食の後で着替えるから」
「かしこまりました」
メッツは昔から俺の専属侍女で、いろいろと教育してあるし、忠誠心も篤い。
身の回りのことは彼女に任せておけば大体上手くいく。
メッツへの指示を出しつつ手元は止めずに作業を進めていたが、ようやく身支度が完了したので、鏡を入念に確認する。
背中のあたりまで伸びた黒髪は昨日しっかりと整髪剤を塗ったため、輝きを放たんばかりの艶がある。
白い肌には一点の曇りもなく、大きな黒い瞳は自分自身の姿をくっきりと映しだしていた。
落ち着いた気品が感じられる中にもまだ幼さの残る少女の顔は俺の意志で喜怒哀楽を自由自在に変えることができた。
(何回見ても面のいい女だ)
転生して性別が変わったことにも大分慣れてしまったので今更感情が動くこともないが、文句なしに魅力的な顔だと思える。
これだけの美貌があればどんな男でも篭絡することができるだろう。
「さあ、覚悟しておくがいいわ、王子様」
それが例え英雄の血を引く王子であったとしても例外ではない。
メッツにばれないように小さな声で呟いて鏡の中の少女は不敵な笑みを浮かべていた。
今はこんな風に王子様と茶会などというおとぎ話のような世界に身を置いているが、元々は詐欺師だった……らしい。
“らしい”というのは死んでからそのことを自称女神に教えてもらったからだ。
俺は前世の記憶が残っていないので真偽は不明だが、自称女神曰く人の心の弱さに付け込んで思い通りに動かす才能を持つ男だったとのことだ。
その自称女神とやらと出会ったのは死後の世界だった。
死後の世界という存在を俺は今でも信じられないが、実際に俺はそこにいた。
真っ暗な暗闇の中で自分の体さえも見えない完全な無の空間。
意識だけがそこにあった。
そんな中で自称女神は俺に語り掛けてきた。
『あなたは前世で人間として死にましたが、あなたの生前の行いはとても褒められたものではありません。詐欺師として他人の幸せや努力を踏みにじりながら私腹を肥やす、最低の生き方をしていました。普通であればあなたの魂は輪廻の輪から外れ消失するか、運良く転生できても虫や雑草といったところでしょう』
『しかし、あなたには詐欺を行った相手がどんな不幸な目に陥っても心を痛めない外道の精神を持ち合わせています。そんなあなたに女神の一人である私から直々に取引を持ち掛けてあげましょう』
『あなたにはとある世界でその世界の王子様が子を作ることを阻止してほしいのです。詳しい説明は省きますが、その王子様は英雄の血を引いていて、その血筋が残る限りその世界は安泰です。しかし私はとある理由でその世界には早く滅んでほしいのです。つまり、あなたがやることは、王子様の結婚、ひいては子作りを阻止するということだけです。簡単でしょう?』
『成功すれば次の転生の際もいい思いができるよう取り計らいます。ここであなたという存在が消失することに比べたら悪い取引ではないはずです』
『ただし暴力で問題を解決することは不可能だと考えて下さい。それはその世界の理に反します。あなたの得意な詐欺でなんとかしてください』
自称女神は一気に話してきたが、おおよその内容は理解できた。
取引などと言っているが、これは恐喝だ。ファンタジーな言葉を使ってはいるが、ここでこの話を飲まなければ俺は死ぬということだ。
既に死んでいるから関係ないと言えばそうだが、死なずに済む方法があるならそちらを模索してみてもいい。
王子の結婚を阻止する方法を考えてみたが、容易ではないだろう。
一番簡単なのは王子を殺害することだが、そういった方法は使えないらしい。
ならば婚約者候補を穏便な方法で潰すか? いや、一つの婚約話を破談にしてもすぐに別の女との婚約が決まるに違いない。
どうしたものかと思案したが、一つの案が思い浮かんだ。
「それなら俺を女に生まれ変わらせればいい。俺が女になって王子と結婚して、そのまま子を作らなければいいのだろう?」
俺に男色の気はないが、ここで死ぬことと、一生王子の結婚を阻止し続ける労力とを天秤にかければ悪くない選択な気がする。子作りはしなくていいわけだしな。
『確かにそういう方法もありますね。わかりました。あなたを女として生まれ変わらせることにしましょう』
「ただの女じゃだめだ。どんな男でも恋するような絶世の美女になるようにしてくれ」
『本来であればあなたはそのような要求を言える立場ではないのですが、いいでしょう。その代わり、上手くやりなさい』
俺の意識はそこで途絶え、次に目が覚めた時にはだだっ広い部屋の中にある天蓋月のベッドの上だった。
目が覚めた時には俺は3歳の女の子の姿になっていた。
周囲の人々の反応や、屋敷の中の環境から自分がイスラ・ヴィースラーという名の子爵令嬢であること、この世界には魔法が存在しており、魔法の効果を込めた魔道具を使用することで貴族でも平民でもそこそこ豊かに暮らせること、他者への暴力行為をしようとすると体が勝手に動かなくなる、通称『平和の神の祝福』という枷がすべての人間に課せられていることなどを学んだ。
前世の記憶は残っていなかったが、自称女神とのやり取りのことは何となく覚えていたので、自分が元々男であったことは自然なこととして思えるし、人と話をする時に前世の癖で相手の視線や声音、体の動きで考えていることを何となく察することはできた。
また、前世の知識は失ったとは言ったものの、不意に自分の知らない知識を思い出すことがあり、それらは大いに役立った。
しかし残念ながら思い出す内容はほとんど運だったため、幼少期は基礎的な勉強で大いに時間を取られた。
必要な教育をある程度身につけた後は資金や情報を入手するためのコネクションを作るために奔走しなければならず、忙しく過ごす内に気が付いたら14歳の誕生日を迎えていた。
この世界の貴族は14歳から社交界に出向き、派閥争いで生き残るために序列が高い貴族の跡取りと親交を深めるのが習わしらしい。
俺も両親から『できるだけ高い地位の貴族と親しくなれるよう頑張りなさい』との言葉をもらったが、心配せずとも俺の狙いは王子一人だ。
(今日からが正念場だな)
いよいよ今日その王子、アバン王子と会うことになる。
第一印象は大事だ。俺は改めて気合を入れて自室を後にした。
侍女のメッツにも手伝ってもらい、茶会の準備を済ませた俺は会場へと向かった。
父親に用意してもらった馬車に乗り、王族が住まう城までやってきた。
招待状を入口の衛兵に見せると会場である中庭に通されたが、既に大勢のガキで溢れていた。今は俺もガキの一人ではあるのだが、10代と思われる若者ばかりが集まっている空間はアウェーだと感じる。
会場を一回りしたが、アバン王子はまだいないようだ。
(それならば第二ターゲットだ)
再度会場を歩き回ると目当ての人物を見つけることができた。
その人物とはアバン王子の婚約者であるレティシア・フローリア公爵令嬢だ。
そう、アバン王子は既にこの女と婚約しているのだ。
従って俺が王子と結婚するためには前段階としてこの女とアバン王子の婚約を破談にしなければならない。
しかしそれも王子との婚約と同じか、それ以上に困難を極めるだろう。
俺もかなりの美少女だが、レティシアの美しさは常軌を逸している。
腰まで伸びた美しい金髪は彼女が動く度にサラサラと揺れ動き、瑠璃色の瞳は相手をやさしく見つめ、彼女が話す声は心地よく耳に入り、彼女が笑えば周囲の人間も自然と笑顔になる。
所作も一つ一つが洗練されており、育ちの良さを感じるし、お腹の辺りを絞ったデザインのドレスは彼女の腰の細さと胸の膨らみを強調している。話している口ぶりから察するに性格も謙虚で穏やかそうだ。
そんな完璧お嬢様から王子を奪うには相当策を練らないと難しいだろう。
レティシアは取り巻き達と談笑していたが、俺は機を窺いつつも意を決して話しかけた。
「ご機嫌よう、レティシア様。突然のご挨拶をお許しください。私はヴィースラー子爵家の娘でイスラと申します」
会話の切れ目で上手く入り込むことができたが、少し強引な感じになってしまった。
しかしこうでもしないと一生話しかけることはできない。
レティシアは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに穏やかな笑顔を向けてきた。
「ご機嫌よう、イスラちゃん。初めて見る顔ね」
「この前14歳になったばかりで今日は初めての社交界です」
「やっぱり今日が初めてだったのね。こんな可愛らしい子なら一度見たら忘れないもの」
そう言ってレティシアはニコニコしながら俺の顔を見た。
挨拶は済んだので、後は可能な限り彼女の情報を集めることに集中したい。
まずはお世辞を言ってみて反応を見よう。
「私、ずっとレティシア様にお会いしたいと思っておりました。レティシア様は勉学に秀でた才能豊かな方だとお聞きしております」
「そんなことないよ。たまたま上手くいっただけで、先生の教え方が良かっただけ」
「しかもその家柄、才能、美貌を周囲に自慢することもない謙虚さも兼ね備えています」
「自慢するほどのことがないだけだよ。身分が高いのは私じゃなくてお父様だし、私よりも色々できる人は他にもいるし、容姿の話ならイスラちゃんもすごく可愛いよ?」
「他にも……」
「せっかく期待してくれたのに申し訳ないけど、私はそんなにすごい人じゃないよ。イスラちゃんは私よりももっと素敵な女性になれると思うわ。だからお互い頑張りましょう」
レティシアはそう言って手を差し出した。握手を求めているのだろう。
声も表情も優しいままだが、話はもうお終いだと言外に言われた気がした。
この程度のお世辞では彼女の心は全く掴めなかった。
(初手は失敗だな)
俺は黙ってレティシアの手を取り握手を交わした。
最低限挨拶はできたから次の手を考えなければ。
そう思っていると周囲が急に賑やかになってきた。
気が付いたらレティシアの横にアバン王子が立っていた。
「レティシア、待たせたな。……その女の子は?」
「子爵令嬢のイスラ・ヴィースラーちゃんです。先ほどお友達になったんです」
幸いにもレティシアは俺を友人だと紹介してくれた。
俺はすかさず王子に挨拶した。
「お初にお目にかかります。ご紹介に預かりましたヴィースラー子爵令嬢のイスラと申します」
「そうか。それよりもレティシア、向こうにお前に紹介したい者がいる。付いてきてくれ」
「かしこまりました」
王子は俺には目もくれずレティシアに話しかけると、彼女を連れて別のところへ行ってしまった。
俺の挨拶はほとんど無視された格好だ。
結局その後は王子ともレティシアとも再び話す機会は訪れず、碌に関係を築くことはできなかった。
(面白くなってきたじゃねえか)
しかし俺はむしろこの状況を楽しんでいた。
簡単に騙せるやつを相手にしても面白くない。
下準備が面倒なほど、実際にその相手を騙した時の快感は大きくなることは本能で理解できる。
あの二人を騙すにはどれだけの手間がかかるだろう。
そして実際に騙して人生を滅茶苦茶にしてやったらどんな顔をするのだろう。
そんなことを思っていたら、もう自称女神との契約などどうでもよくなった。
(必ずあの二人の婚約を破談にしてみせる)
改めて俺は自分の意志でそう心に刻むのだった。
連載開始から3話まで毎日投稿します。
9月26日(火):1話
9月27日(水):2話
9月28日(木):3話
の予定です。
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