世界の「実」
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
無常観、夢の跡に、盛者必衰のことわり……。
この世のものが常ならんことを示す言葉は、様々なところで見聞きすることができる。
なぜ、永遠にその場にいることを許されないのか? 誰もが一度は考えたことがあるんじゃないか?
変化はときに恐ろしく、これまでの常識と非常識の区別がつかなくなる混沌状態も、守るもの、背負うものがある人にとっては脅威だ。
ゆえにそれらがない、あるいはかえりみない強さは若い連中に多く、その向こう見ずにも思える行動が時代を動かしているんだろう……おっと、話がそれたかな。
とどまるのが、なぜいけないことなのか。
君もすでに答えを持っているかもしれないが、その根拠となった邂逅は覚えているかい?
私は覚えている。少々、不思議なできごとなんだが、聞いてみないかい?
寒さが嫌いな私にとって、夏は心おどる時期であり、また億劫なものでもあった。
もちろん暑さを謳歌して、心も身体もテンションが上がるのだが、いつか夏は終わるものだと私は学んだ。
楽しい夏休みも、寝て起きてを繰り返すだけであろうが、問答無用で過ぎていき、やがてまた学校へ行くときがやってくる。
夏も同じだ。来ちゃったからには、去っていくことも予約されているわけで。
そうすれば、次に来るのは秋、ついで冬だ。考えるだけで、気がめいってくるんだよ。
――冬来たりなば春遠からじ?
おっしゃる通り、冬が来たなら同様に、そのうち春が来て、また夏が来てくれるだろうさ。
しかし、しかし。私が求めるのは永遠の夏。めぐることなく、あり続ける夏。
自分にとっての不都合が、向こうから避けてくれるような状況。
それを「今年こそは、今年こそは」と、来なくなってしまったサンタへ願いを届けんとするかのごとく、祈る毎年だった。
それが天に通じたかと思う、年があった。
夏休みが終わり、9月に入っても暑さは衰えを知らない。当初は残暑というやつだろうと思っていたが、10月に入って11月が見えても、自然と汗ばんでしまう日が続く。
外ではいまだ、セミたちが熱心に相手を求める声がしていた。木々の葉もいまだ青々しく、衣替えした私たちは冬服の中で汗だくに。暇さえあれば教科書やノートをうちわ代わりに、涼をとろうとしていたよ。
私は暑さをありがたく思いながらも、先の服装の強制などがもたらす不快感には、顔をしかめていた。「ちょっとはこちらにも気をつかえよ」と、手前勝手な愚痴も垂れていたっけな。
その日の昼休み。
いざグラウンドに出てみると、用務員さんがそこの片隅でゴミ掃除をしている。
それだけなら何度か見たことあるものの、ゴミ袋の中身が妙なんだ。いやに白い。
思いつくのは土の上にまく石灰だけど、用務員さんの持つトングが向くのは、地面じゃなかった。フェンス沿いに並ぶ、木々の幹だ。
用務員さんの背の倍はあろうかという背で、並び立つ樹木たち。そこへトングを伸ばし、何かしらをつまんでは、もう片手に握るゴミ袋の中へ放り込んでいく。
興味をそそられた私は、声を掛けながら近づいてみて目を丸くする。
用務員さんが回収していたのは、セミの抜け殻だったんだ。
確かにセミの声はいまなお響いている。抜け殻があってもおかしくはないが、私がおかしさを感じたのは2点。
1つは、この抜け殻が白くなっていること。
私の知る抜け殻といえば、麦茶を思わせる明るい茶色がほとんどだというのに、用務員さんが回収しているものは、まるで燃え尽きた灰のごとき白色ばかり。
その格好もまた、トングでつまんだ先からぐすぐすと崩れてしまうのがほとんど。袋へ突っ込むときには、形が残っていないことも多かった。
もう1つは、そもそもこいつが抜け殻じゃない場合があること。
私はぱっと見で抜け殻と判断したが、その実、背中に抜け出た証であるはずの裂け目がないものがほとんど。
つまりこいつらは殻じゃなく、みっちり中身が詰まった「実」だったといえるわけだ……。
それを指摘すると、用務員さんもこっくりとうなずく。
「うん、こいつらは季節の異状を告げるものだ。いま、世界は具合が悪い。うまいこと季節がめぐらずにいる。どうにかこうにか、動かさないといけない」
「その『実』を回収すればいいの?」
「助けにはなるだろうけど、後から後から出てくるからな……そうだ、みんなにも手伝ってもらおうか。
用務員さんのいけない、いかないところにもこいつらはあるだろう。
そいつら10個につき、缶ジュース1本。子供にお金をじかに渡すのはまずいかもしれないから、それで勘弁してくれ。
なんなら、クラスのみんなに呼びかけてもいいぞ」
ジュースという明快な4文字は、子供のモチベーションをかき立てるに十分。
たちまち、このことをみんなに喧伝する私たち。
クラスの人数は当時28人。280あれば、みんなに行き渡るなと、この時ばかりは計算が早い。
目指せ280とばかりに、私たちは自分たちの家を中心に、学区のあちらこちらへ散っていった。
気を張ってみると、案外見つかるものだ。
私だけでも、用心深く観察して30匹分は発見したが、確保するのは容易じゃない。
例の崩れやすさのせいだ。指どころか、割りばしや楊枝をトング代わりに使っても、細心の注意をしなければ、いともたやすく壊れてしまう。
証拠として、きちんと形を整えたものを揃える、というのが条件だったから、崩してしまったときにはがっくり来る。
それでも繰り返すうちに、力加減のコツをだんだん覚えてきて、最終的に10数匹分は確保し、用務員さんの元へ持っていく。
近所の駄菓子屋さんの格安ジュースだったが、甘いものさえゲットできるなら、たいした問題じゃない。
おやつにかけられる小遣いも限られている中、この無限甘味の幻想に私たちは釣られ続けていた。
2週間がたつ頃には、暑さにも陰りが見え始めた。
用務員さんの依頼のことがあって、自分たちもこれに一役買っているだろう誇りを胸に、引き続き『実』探しに力を入れていたんだ。
とはいえ、私たちの貢献ぷりを裏付けるかのごとく、実の姿はすっかり目減り。
すでに全員にジュース一本のノルマは達成し、簡単に実が見つからなくなったこともあって、いまや熱心な有志数名が継続しているのみ。
私も、休日をたっぷりかけても10体に及ばぬほどになり。潮時を感じながらもあきらめずに足を伸ばしていたよ。長袖の制服たちも、ちょうどよい体感温度をかもすようになってきていた。
自転車を漕ぎながら近辺を回る私は、ふとよく知るところで、まだ踏み入っていないところに気づく。
我が家のお墓を有するお寺だ。歩きでは少し骨だが、自転車なら少々長いサイクリングで済む。
すでに慣れた確保道具の準備をして、私は快調に道を飛ばしていく。その道中に吹き抜けていく風は、暑さ大好きな私でも心地よく思ってしまう涼しさがあったんだよ。
それが、お寺に着いてからは一変する。
自転車を停め、門をくぐったとたんに、どっと汗が顔を伝い出すのが分かった。
しとどに濡れて、肌に引っ付いてくる下着のシャツたち。それらのあっという間の冷えを感じながら、私は直感する。
ここにまだ、『実』たちがあるのだと。
墓地へ続く斜面をのぞけば、境内はさほど大きくない。
その構成も正面の本堂、左右を固める塔。その塔たちの脇にはべる大樹二本とくれば、私の注目はその木々へ向く。
そこへたどり着くまでの数歩すら、忘れかけていた猛暑に肌がじりじり焦がされる心地だった。目に垂れ落ちてくる汗をぬぐい、右手の一本へ近づく私は、頭上1メートルほど先の幹に、白く張り付いている斑点を見る。
『実』だ。
ひとつひとつは小さくとも、それが何十、いや100余りも寄せ合って、大きなシミを幹に浮かばせていたんだ。
どくり、と私の胸が大きく脈打ち、そこからはどんどん速さを増す。
緊張しているわけじゃない。視認してからなお高まる熱気に、心臓が警告の鐘を慣らし出したんだ。
のどが渇く。頭がぐらつく。下手に頭をのけぞれば、そのまま意識さえ持っていかれそうな気さえして、深く吸い込む息は肺さえ燃やすかと思った。
猶予はない。
私は自前で用意したトングを目いっぱい伸ばし、どんどんと『実』をはいでいく。
ご褒美なぞ、いまはどうでもいい。一刻も早く暑さをのけようと、トングでもって『実』をはぎ、壊しながら削ぎ落していく。
ごりごりと、しぶとく張り付こうとする『実』から伝わる手ごたえが、そのまま骨に伝わるかとも思った。ひとこすりごとに、私の筋肉が、神経がその悲鳴を頭の痛みに変えて、私に伝える。
このままでは危ない、と。
まばたきするときのまぶたさえ熱く、それでもトングを振り回し、私はいくつの実を潰しただろう。
最後のひとつを灰のように仕立てるや、境内の外からどっと冷気が押し寄せる。
夢から覚めたかのごとく、周囲の熱気が取り払われて、私は息をつく。汗は冷える間もなく、風とともに吹き飛んで、その気配は服の内側のみに残される。
はあ、はあと荒く繰り返す息は、もう喉や肺を痛ませることはない。かえって、水のごとき風をひと呼吸ごとに吸い込んで、ほてりを一気に冷やしてくれる。
落としたものも、幹へ引っ付いたものも、いずれももう『実』としての体をなしていない。
ただ、吹く風に散るままの石灰のごとき姿だったよ。
それからほどなく、あたりには例年通りの冬が訪れる。
私もこのことは久しく思い出となっていたんだが、最近、健康診断で大動脈石灰化の気があると知って、ふと思い出してね。
あの現象は、世界の動脈の石灰化じゃなかったのかと。もし放っておいたら、より大変なことになっていたのかも、と思うのさ。