望まれた役割
翌朝になると、きちんと身体を動かせるようになっていた。
あれから一睡も出来なかったが頭は妙に冴えていた。信じられないくらい落ち着いているのは、長い長い暗闇を体験し、孤独な夜を乗り越えたからかもしれない。
医師の診察を受け、私は王宮内に用意された私室のベッドに寝かされたまま、この度の顛末を聞くことになった。他ならぬゼノン王太子殿下の口から。
まず犯人――私に毒を盛った侍女について。
彼女の正体はゼノン殿下の婚約者候補の一人であったユルゲン伯爵家の分家筋に当たる男爵令嬢だった。
ユルゲン伯爵令嬢を敬愛していた彼女は、婚約者に選ばれず嘆き悲しむ伯爵令嬢を黙って見ていられなかった。そこで殿下の婚約者である私を排除し、その座を伯爵令嬢のものにすべく犯行に及んだのだという。
ただ、初めから私を殺すつもりはなかったらしく、使用した麻痺毒も狩猟等に用いられる、二日もあれば完全に効果がなくなる類いのものだった。
犯人の侍女曰く、御披露目の夜会に主賓でありながら私が体調不良で出られなくなれば、面目が潰れて最終的に婚約破棄まで発展するのではと期待したとのこと。
毒を盛り、私が倒れたことを確認した彼女は、すぐさま扉の外にいる騎士を呼び込み「リーフィア様が突然倒れた」と嘘を吐いた。
犯人自ら堂々と振る舞えば、かえって怪しまれないはず。そう踏んでいたようだが、駆け付けた殿下らによって彼女は有無を言わさず拘束され、厳しい尋問の末に犯行を認めるに至った。
毒の入手経路についてもあっさりと自供し、すべては独断での犯行だと断言した彼女は現在、地下牢に繋がれ、裁きを待つ身となっている。
「……リーフィア、本当にすまなかった。謝って許されるものではないが……」
「いえ、私が不注意だったのです。侍女とはいえ、あまりに無警戒に過ぎましたから……今後は一層、気を付けますので私の方こそご容赦をいただければと」
余計なことは聞かず、従順な婚約者として謝罪を口にし、私は控えめな笑みを殿下へと向ける。
他でもない殿下にそれを望まれているから。
その証拠に、深く追求してこない私の対応に殿下は微かな安堵を滲ませていた。
「夜会が中止になったのは残念だったけど、すぐに機会を設けるから。リーフィアは何も心配しないでくれ」
「お気遣い、痛み入ります。体調も戻りましたので、私はいつでも大丈夫です。精一杯、お役目を務めさせていただきますわ」
本心からそう口にしたのに、なぜか殿下は不安そうな顔をする。
揺れるオニキスの瞳を真っ直ぐに見つめながら、私は笑みを崩さず、だけど少しだけ困ったように小首を傾げて見せた。
「……リーフィア、本当に大丈夫かい? 昨日の今日なのだからショックを受けて当然だし、もっと私の前では弱音を吐いてくれて構わないから……」
「弱音……ですか?」
「そうだよ。不安も怒りも悲しみも、君が感じているものを私にも分けて欲しいんだ。私はもっと、リーフィアに寄り添える私でありたい」
殿下は気づかわしげな声でそう言って私の手をそっと取り、自らの額に当てた。
昨日までの私ならば、驚き、赤面し、どうすればいいか分からずあたふたとしたことだろう。
でも、そんな初恋に浮かれる馬鹿な私は殺してしまったので、今は国に仕える臣下として、殿下の婚約者として求められる振る舞いをするだけだ。
「殿下、私は本当に問題ありません。どうぞ、己の為すべきことに集中してくださいませ」
「リーフィア……私は本当に君のことが心配なんだ。強がらなくていい、泣いたっていいんだよ?」
「いいえ、殿下。こんなことで動揺するようでは、王太子妃など到底務まりません。それに、本当に辛くも悲しくもありませんから」
王太子妃教育で学んだことを実践しながら、私は失礼にならないように殿下の手から自分の手を取り戻す。実際、既に悲しいとか泣きたいという感情も遠くに置いてきてしまったので、殿下に慰めてもらう必要はなかった。
そんな私の態度にまだ何か言いたげな殿下だったが、ほどなく従者が呼びに来たため、名残惜しそうに部屋を後にした。
そうしてまた一人きりになり、私は殿下の熱が残る指先をぼうっと見つめる。
「……大丈夫。うん、思っていた以上に、大丈夫だわ」
悪夢のような一夜を過ごす中で、私は私なりに一つの結論を出した。
殿下たちの目的にハリス公爵家が深く関係しているということ。
本来であれば殿下の婚約者はメイベル様であったということ。
私が囮として殿下の婚約者になったということ。
殿下が私に何も知らないでいて欲しいということ。
私を除くクライン家の人間は事情を理解しており、殿下とは協力体制にあるということ。
それらを踏まえて考えれば、おのずと答えは導き出せる。
「……偽装婚約、とでも言えばいいのかしら。それならそうと、最初から説明してくださればよかったのに」
本来の婚約者――つまり未来の王妃になるメイベル様をハリス公爵家からお守りし、事が解決するまでの間の囮としての婚約者。
それこそが私に望まれた役割、ということなのだろう。
囮となる私自身は何も知らない方が都合がいい、というのは、敵を欺くにはまず味方から、ということなのかもしれない。
確かに何も知らされていなかった頃の私は無防備に殿下との婚約を喜び、王太子妃教育に熱を入れ、二人きりの時間に酔いしれていたから、偽の婚約者とは思われなかっただろう。
もしくは、私が命の危機に瀕することも計画に盛り込まれているのかもしれない。この場合は、常に死の恐怖に苛まれることになるので、知らせずにいることこそが温情ととらえるべきだろう。
実際、侍女の件も致死性の毒物を使用されていたら、私はあっけなく死んでいたのだろうし。
当然、私だって死にたくはない。
だけど、それ以前に私は貴族だ。
それも親王派筆頭のクライン家の娘なのだ。
国難とあれば、命すらも進んで差し出す――そういう風に教育されてきたのだ。
仮に最初からすべて説明されたうえで囮を仰せつかったならば、私は私の出来る限りでもってその大役に臨んだだろう。クライン家に生まれた者の責務として。
しかし、殿下や家族は私に真実を隠したまま、囮としての役目をさせている。
そのことが、私の矜持をどれだけ貶めているかも知らずに。
加えて殿下への恋心さえも敵を欺くために上手く利用されていると考えれば、怒りを通り越して自分が酷く滑稽に思えてくる。
……ああ、でも本当に救いようがないのは。
それでも殿下のことを愛しい、恋しいと思っている私自身だろう。
たとえ騙されていたのだとしても、この感情は本物で、だからこそ心を殺すしかない。
だって殿下が最後に手を取るのは、メイベル様だと知ってしまったのだから。
涙は出てこないが、心臓が膿んでじゅくじゅくと血を流しているような心地だった。
ただただ、痛い。早くこの痛みから解放されたい。
そのためにも、私は望まれた役割を完璧にこなすのだ。
それしか道がないのだから。
――――ああ、でも、本当に。
「私は信頼されていなかったのですね、殿下」




