番外編 エイセズ王国にて、その後の二人
ひたすらリーフィアとレオンがイチャイチャしているだけの話です。
二人の恋を応援してくださった読者様に感謝を込めて。
レオンさん――レオンハルト王弟殿下が我がクライン領を訪れてより、半年が経過していた。
あれから私とレオンさんは両家及び両国の承認を得て、正式な婚約を結んだ。
ただし公表自体は私が18歳になる2年後と定められ、その間は直接会うことも制限され、私はクライン領で、レオンさんはエイセズ王国で、それぞれ婚姻のための準備を進めるという条件の下である。
私もレオンさんも、その条件に一切の不満はなかった。
自分たちがしてきたことを考えれば、むしろ寛大すぎるほどの処置とさえ思える。
当然、会えないことへの寂しさは日々募るけれど、手紙のやりとりは出来るし、年に数度の面会も許可されている。それだけでも私たちは十分に恵まれていた。
そんなわけで、婚約直後から私は嫁ぎ先となるエイセズ王国の歴史や領地運営の勉強を中心とした生活を始め、比較的穏やかな日々を送っていた。
そうして季節はあっという間に春を通り過ぎ、初夏の頃。
――私は今、エイセズ王国の王城に私的な賓客として招かれていた。
玉座の間にはエイセズ国王ルードヴィッヒ陛下が威風堂々といった様相で座し、こちらを見下ろしている。
私は緊張をなるべく表に出さぬよう気を付けながら膝を折り、最上級の礼でもってルードヴィッヒ陛下に挨拶をした。
「ご尊顔を拝謁させていただき、光栄にございます。トランスファー王国より参りました、リーフィア・クラインにございます」
すると、ルードヴィッヒ陛下は穏やかな声音で「ああ、そう畏まらなくてもいいよ」と笑った。
「クライン侯爵令嬢、ようこそ我が国へ。歓迎するから、もう少しこちらに近づいてくれないかな?」
「えっ……あの、ルードヴィッヒ陛下……?」
一国の王から何故か気安い声を掛けられ、困惑を隠しきれない私に、ルードヴィッヒ陛下はニコニコしながら手招きをする。
改めてご尊顔を拝謁して分かったが、レオンさんとはあまり外見的な特徴は似ていない。
黒髪に褐色肌、トパーズの瞳を持つレオンさんの艶やかさとは対照的に、ルードヴィッヒ陛下は金髪碧眼の華やかな色彩だ。
ただ、仕草――例えば微笑んだ際の瞳の細め方や、声の抑揚の具合が――なんとなくレオンさんに似ている気がして、妙な心地になる。
ちなみに一国の王に手招きをされて断るという選択肢はない。
私が失礼のないよう注意しながら恐る恐る近づけば、彼は唐突に玉座から立ち上がると、
「へー……なるほど、これは綺麗なアメジストだねぇ。その髪も、ここまでリンスター公爵家の色を受け継いでいるのは直系でも珍しいのではないかなぁ」
熱視線で私を観察しながら、極至近距離まで自らの足で近づいてこられた。
直視する勇気のない私がやや俯きがちにその視線を浴びていると――
「――――ッ兄上!!!!」
背後の大扉が音を立てて開き、どこか焦ったような非難がましい声が室内に響き渡った。
思わず振り返れば、そこにいたのは半年ぶりに会えた、私の最愛の人。
「レオン、さま……?」
格好こそ正装ではあるものの、黒い髪と呼吸をやや乱してずかずかと室内に侵入してきたレオンさんは、すぐに駆け寄ると羽根のように優しい手つきで背後から私を抱きしめた。
ひどく焦った様子の彼が珍しくて驚くと同時に、会えない可能性が高いと考えていたので嬉しさで胸がいっぱいになる。
というのも今回の来訪はルードヴィッヒ陛下から私に対しての個人的な招待であり、先日の手紙で王都から離れた領地にいると教えてくれていたレオンさんにはくれぐれも内密に、と陛下直々のお達しがあったからだ。
だから私はエイセズ王国を訪れることをレオンさんには伝えていなかったし、滞在期間も三日の予定だったので、どちらにせよ伝えたところで予定は合わないと思っていたのだ。
「ッ……リーフィア……」
甘く掠れた声が耳をくすぐり、肩口に顔を埋められて、胸が高鳴るのを抑えられない。
背中全体が彼の温度に包まれていることにどうしようもない幸福感を覚えながら、私も彼の腕に自分の手をそっと添えた。レオンさんの匂いがすぐ近くに感じられて、このような場にも関わらず自然と肩の力が抜けてしまう。
恥ずかしさも勿論あったが、それでも私は一番言いたかった言葉を告げる。
「……お久しぶりです、レオン様。会いたかったです」
「…………うん」
噛みしめるように頷いたレオンさんの声に滲む感情を受けて、自然と笑顔がこぼれる。
そんな私たちのやりとりを見守っていたルードヴィッヒ陛下は一言、まるで信じられないようなものを見る目で呟いた。
「……いやー、レオンって結構情熱的だったんだねぇ」
すると、我に返ったのかレオンさんが私の肩口から顔を上げる。
そして私のことは抱きしめたまま、非常に恨めしそうな表情をルードヴィッヒ陛下へと向けた。
「兄上……今回の件、骨を折っていただいた手前、文句を言える立場ではないことは重々似承知していますが、それでも一言だけ言わせてください。昨夜遅くの伝令で「明日の昼にリーフィアちゃんが王城に到着するよ! 戻って来れなければお兄ちゃんだけでもてなしちゃうね!」って何なんですか……」
「えー、だってレオンは領地の視察で忙しそうだったから。お兄ちゃんはリーフィアちゃんが見たかったのでご招待しただけですよ?」
「呼ぶのは構いませんが、せめて俺が王都に居る時にしてください。ったく、領地からここまで来るのにどのくらい掛かると思ってるんですか……」
「いやぁ、流石に明日になると思ってたけど……愛の力はすごいねぇ」
レオンさんの抗議にもどこ吹く風といった体で、ルードヴィッヒ陛下は飄々とした態度を崩さない。
それどころか私たちへの好奇の視線も隠すことなく、ニヤニヤと口もとを歪めている。
私も流石にこの状況が恥ずかしくなったので、
「……あの、レオン様……? 一度、離れてくださいますか?」
と、やんわりレオンさんと距離を置こうとする。が、レオンさんはそれでますます私を拘束する腕の力を強めてしまった。
こんなことをされるのは初めてで困惑していると、レオンさんが深々とため息を吐く。
「……ごめん。ちょっと疲れてるし余裕なくて。あと、久しぶりに会えたから自制が利かない」
言って、再び私の首筋に顔を埋めてしまうレオンさんに、全身が思わず燃えるように熱くなった。
あの冷静沈着で私よりも遥かに大人びているレオンさんに甘えられていると自覚した途端に、もう際限なく甘やかしたい気分になってしまう。
けれどここは王城の、しかも玉座の間で。
目の前には未来の義兄でもある国王陛下が私たちのやりとりをつぶさに観察していらっしゃる。
流石に恥ずかしさに限界を感じ、私は「レオンさま、もう駄目です……!」とか細い声を上げた。
しかしそんな私の声に反応したのはレオンさんではなく、
「いや、別にいくらでもイチャイチャしてもらって構わないよ? あ、なんなら席外そうか?」
と、この場で最も偉い立場である陛下が良い笑顔を向けてくる。
「へ、陛下……! そんな滅相もありません! あの、このような姿をお見せして申し訳ありません……っ」
もはや謝ることしか出来ず、真っ赤になって縮こまれば、そこでようやくレオンさんが私を抱きしめる腕を解いてくれた。思わずホッとして胸を撫で下ろせば、何故か眼前の陛下は不満そうな声を漏らす。
「面白かったからもっと見たかったのに……」
「いえ、見世物ではないので。あと流石にこれ以上やったら俺がリーフィアに嫌われます」
普段の落ち着きを取り戻した様子のレオンさんが、少し乱れていたらしい私の髪を手櫛で整えてくれる。くすぐったさに肩を竦めれば、それだけでくすりと笑われてしまって、非常に居心地が悪かった。
私は思わずレオンさんを見上げ、目線に羞恥に対する抗議の念を含ませる。
「……嫌ったりはしませんけど、恥ずかしいので時と場所は選んでください」
「あー……うん。ごめん、悪かった。今度は二人きりの時にするから」
それならいいです、と思わず言いかけて慌てて口を噤んだ。
あまりにも恥ずかしい会話だと途中で気づいたからだ。
だが、私の態度で何を考えていたのか筒抜けだったようで、
「……いやぁ~……若いっていいねぇ……そうかぁ、リーフィアちゃんは二人きりならいいのかぁ……」
満面の笑みを浮かべた陛下からしみじみとそんなお言葉を賜ってしまい、私はあまりの羞恥に思わず両手で顔を覆ってしまった。
「兄上、リーフィアを揶揄っていいのは俺だけですから控えてください」
さらに追い打ちをかけるようなレオンさんの言葉を聞きながら、私はこの場で逃げ出さない自分を自分で褒めてあげたい気持ちになった。
その後、なんとか立て直した私はルードヴィッヒ陛下の計らいで催された晩餐会に出席した。
私的な来客ということで規模としては決して大掛かりなものではなかったが、出席された面々は錚々たる方々だった。
ルードヴィッヒ陛下、王妃殿下、王太子殿下、第一王女、第二王女――と、現在他国留学中の第二王子以外が勢揃いしていたのだ。
これには私も思わず眩暈がしそうになったが、寸でのところで踏み止まった。
一年半後、私はこの国に王弟妃として嫁ぐのだ。
レオンさんの隣に立つということは、そういうこと。
同時に、試されているのだなとも強く感じた。
この程度で怖気づくようでは到底、レオンさんには相応しくないと。
私は今まで培ってきた貴族としてのマナーや教養をすべて駆使して、堂々と会に臨んだ。
これでもトランスファー王国の高位貴族の令嬢である。
そういった意味でも失態は避けねばならない。
饗された食事は大変美味しく、テーブルを囲む皆様も非常にお優しかった。
私も終始にこやかに出来ていたと思うし、会話も盛り上がっていい晩餐会だったと思う。
そうしてつつがなく終了した晩餐会の後。
私はレオンさんに王城内でも屈指の眺望が楽しめるというバルコニーへと連れてきてもらっていた。
ようやく二人きりになれたこともあり、彼の隣という安堵感と、別の意味での緊張感を同時に覚える。
けれど、どちらにせよ幸せなことに変わりはない。
「……わぁ……すごく綺麗ですね……っ!」
王城内を正装のレオンさんにエスコートされるだけで夢見心地な私だったが、辿り着いた先、眼下に広がる見事な新緑のガーデンと、上空に輝く満天の星々を目の当たりにして感嘆の声を漏らす。
初夏ということもあり、夜風の涼しさが火照った体を優しく冷やしてくれていた。
ドレスの裾がふわりと風に揺れる中、バルコニーの手すりに掴まっていた私の横に並んだレオンさんが、声を掛けてくる。
「――リーフィア、寒くないか?」
「はい、大丈夫です。むしろ気持ちがいいくらい。ちょっと暑かったので」
「……そういえば、少し酒も飲んでたか?」
「うっ……えっと、ほんの少しですよ……?」
別に悪いことをしているわけではないのに、何故か小声になってしまう私にレオンさんが笑う。
「いいよ。俺がいるところでならいくらでも。ただ、目の届かないところでは控えてくれれば」
「……私、そんなに信用ないですか?」
子ども扱いされているようで面白くなかった私が頬を膨らませれば、大きな掌が膨らんだ頬を宥めるように優しく添えられる。触れた部分が瞬時に熱くなるような感覚に襲われるけれど、それは決して嫌ではなかった。
「好きだから心配なだけだよ。独占欲ってやつ」
さらりと言われてしまい、胸の奥がきゅっとなる。とろりと溶けるような熱の篭るトパーズの瞳が、こちらを愛おしそうに見つめてくることが、どれほどの奇跡なのか。
私は自分の手を、そっと私の頬に触れ続けている彼の手の上に重ねた。そして目を瞑る。
「……私は、ずっと。貴方のものです」
この先、何があったとしても。この人を裏切るようなことだけは決してしない。
そんな気持ちを乗せて呟けば、レオンさんが息を呑んだのが分かった。
もしかしたら重かったかな、と不安になって目を開け、様子を窺おうとした私は、
「……っあ……」
次の瞬間にはレオンさんの腕の中に閉じ込められていた。
驚いて反射的に身じろいだ私に、レオンさんが「リーフィアは時々無自覚に煽ってくるから性質が悪い」と低くて艶のある声を落とす。
私はおとなしく彼の腕の中に収まり、かろうじて動かせる首を上へと反らした。
「あの……レオン、さん?」
未だに二人きりの時はさん付けで呼ぶ私を、レオンさんはきつく抱きすくめる。
「……どうしようもないって、分かってんだけどさ。こうなってくると、二年は長いな……」
――早く俺のものにしたい、全部。
囁かれた言葉の破壊力に、一瞬、思考が停止する。
いつか私はこの人に本当に心臓を壊されてしまうかもしれないと思いつつも、それならそれで後悔はしないだろうな、と馬鹿みたいなことを考えた。
その時、レオンさんが再び私の頬に手を添えた。
瞬きすらも忘れてその美しい顔を眺めることしか出来ない私に、彼が少し困ったように微笑む。
「……リーフィア、キスしていいか?」
刹那、私の胸の奥にチリチリとした痛みが奔った。
それはかつて似たようなやりとりを交わしたことがあったからか。
それとも無理やりに奪われたことを思い出したからか。
どちらにせよ、私の態度に異常さを読み取ったのだろう。
レオンさんの表情が訝し気なものに変わる。
「キスされるの、抵抗あるか?」
「…………いいえ、違うんです。ちょっと……苦い記憶を思い出しただけで」
慎重に言葉を選びながら無理して笑顔を作る。
すると、それだけで大筋は察したのか、レオンさんが何か葛藤するような、難しい表情のまま私の頬をゆっくりと撫でた。
「――怖いか?」
問われて、改めて自分の心と向き合ってみる。あの時は確かにとても怖かった。
でも、今は怖いとは思わなかった。ただ、どちらかと言えば――
「……レオンさんに、申し訳ない、ような。そんな気持ちです。怖くはないです」
素直に吐露する。隠せるほど器用じゃないし、そうするべきではないとも思ったから。
すると、レオンさんが少しホッとしたような吐息を漏らした。
「なら、まぁそのうちに。ゆっくりでいいよ。リーフィアが俺としたいって思ったらする」
――――ああ、どうしてこの人は。こんなにも優しいのだろう。
大事にされていると。心も身体も守ってもらっていると痛いくらいに実感する。
私は泣きたくなる気持ちを抱えながら、それでも泣き顔は見せたくなくて、彼の胸の中に顔を埋めた。
そうしたら何も言わずに背中を撫でてくれるので、また涙が零れてしまいそうになる。
「……やっぱり、レオンさんは、やさしすぎます……っ」
結局、私が口に出来た言葉はそれだけだったけど。
「前にも言っただろ? 俺、好きな子は甘やかしたいんだって」
あの旅の夜を再現するかのように、彼は私を安心させるように抱きしめて、しばらく離さなかった。
【番外編・了】
ここまでお読みくださり、まことにありがとうございました!
リーフィアとレオンの物語は、ここで一段落とさせていただきます。
また気が向いたら番外編を書く可能性もありますが、しばらくは別の作品に集中できればと。
本作は連載中はもちろんのこと、完結後から本当に想像もしていなかったほど、多くの方に読んでいただけた幸せな作品となりました。
賛否両論いただいたことも含めて作者として改めて厚くお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。また別の作品でもお目に掛かれたら幸いです。




