選び取った未来
私とゼノン殿下との婚約解消は、すぐさま公に発表された。
表向きには私への毒殺未遂事件を受けて、王家としてもクライン侯爵家としても、一度すべてを白紙に戻すことが最善と判断したから、ということで落ち着いた。
勿論、貴族社会では様々な憶測や下世話な噂が水面下では飛び交っていたが、ハリス公爵家のお取り潰しの記憶が新しい中で表立って王家や侯爵家を非難するほど胆力のある者はおらず。
むしろ殿下の婚約者の座が空いたことに喜ぶ派閥も多かったため、やがて話題に出されること自体が少なくなっていった。
私はしばらくはクライン侯爵領の領地へと戻り、表向きは療養、実際的には謹慎を言い渡されていた。
あの後、泣き腫らした私はメイベル様の手を借りて父のもとへと送られ、そのまま誰にも会うことなく王宮から出された。
そしてそのまま最低限の準備ですぐに領地へと出発し、今に至っている。
結局「またあとで」と約束を交わしたレオンさんとは再び会うことが出来ず、ここに来てから早二ヶ月。
友人たちからのお見舞いや、メイベル様や兄からの近況報告の手紙などを受け取る一方で、私はなんとかレオンさんと連絡が取れないか、父に交渉していた。
しかし円満解消したばかりとはいえ、先日まで王太子の婚約者であった身だ。
しばらくは特定の異性とのやりとりは認められないと父に言われてしまえば、散々迷惑を掛けた私に反論の余地はない。
それでも何とか最低限の謝罪とお礼と近況の手紙だけは一通だけ書かせて貰えたので、私の無事はきちんと伝わっている事だろう。
父の話では、レオンさんは一度エイセズ王国へと帰国したらしい。
私はレオンさんに会えないことへの落胆が半分、心の整理の時間が取れたことへの安堵半分で、領地でのしばしの休息を取ることになった。
季節は冬真っただ中。
しかし比較的温暖な気候にあるクライン侯爵領には雪は降らない。
その日の私は最低限の従者を伴って、気分転換に屋敷からほど近い森へと散策に出ていた。
厚手の外套に身を包んではいるものの外は思わず身震いをしてしまうほどに冷え込んでいる。
けれど冬の澄んだ空気を吸い込むだけで、心が落ち着いていくのを感じた。
森の中腹にある湖畔までたどり着くと、私は従者たちの目の届く場所にいることを条件に、一人で湖の周囲をぐるりと歩き始めた。雪こそ降っていないが、土を踏むたびに霜の感触が足裏に伝わってくる。
途中で何度か立ち止まり、透き通る湖を泳ぐ魚たちに目を向けながら、しばし考えた。
――もし、お父様が縁談を持ってきたら。
最近、父と母が私へと申し込まれてくる縁談について密かに話し合っているのは知っている。
侍女たちから聞き出した話によれば、辺境伯家の跡取りや由緒ある伯爵家の出で騎士爵を持つ三男など、好条件の相手も何人かいて、近いうちに具体的な方針が固まる可能性は高い、とも。
家に戻った以上は貴族令嬢として、今度こそ父の指示に従うべきだろう。
けれど、実際に応じることが出来るのかと問われればまったく自信はなかった。
私の初恋はゼノン殿下だった。その恋は終わってしまったけれど、後悔はしていない。
そして、私が今愛している人は――……レオンさんなのだ。
たとえ彼が平民でも、隣国の王弟殿下でも、何者だろうと、この気持ちは変わらない。
けれど、私にもレオンさんにも立場というものがあり、それには責任が伴う。
ただ好きという気持ちだけで、私たちが一緒になることは難しいだろう。
ならば、どうするべきなのか?
レオンさんへの恋心を胸に秘めて、父の勧める相手と結婚する?
「…………嫌」
意識せずとも声に出していた。
そうだ、嫌なのだ。この気持ちに嘘をつきたくない。
私のことを好きだと言ってくれたレオンさんにも、私の手を放して幸せになることを望んでくれたゼノン殿下にも――そして、なにより私自身にも。
冷たい空気を思いきり吸い込み、ゆっくりと深呼吸をする。
そして、あれから片時も肌身から離さずにいるトパーズの腕輪に目を落とした。
やはり、再度父に掛け合おう。
今度は一人で逃げるのではなく、きちんと話し合おう。
もう同じ過ちだけは繰り返さない。
だけど、自分の未来も諦めないで済むように、あがこう。
やるべきことが見えた私は従者たちのもとへ戻り、そのまま自宅の屋敷へと急いだ。
帰り着くなり父の書斎へと直行しようと考えていると、屋敷の門前にこの辺りでは見慣れぬ馬車を見つけた。
家紋入りの馬車ではないが、一目で上等な造りだと分かる。そしてそれが、何故か我が家の門の前に停まっている。
父か母のお客様だろうかと首を捻っていると、私は馬車の近くに立つ男性に見覚えがあることに気づき、思わず声を上げた。
「……テオ様!?」
そう、馬車の近くに控えていたのは、あの交易都市で顔を合わせた青年のテオ様だった。
すっかり傷も癒えている様子でホッとする。
彼は私に気づくと深々とお辞儀をし、にこやかに応じた。
「覚えていただけているなんて光栄にございます、リーフィア・クライン様」
「どうして、貴方が我が家に……――ッ!!」
そこまで自分で口にして、ようやく一つの可能性に気付いた私が目を見開くと、テオ様は笑みを深めながら頷き返す。
「……既に我が主はクライン侯爵様のもとへ」
その言葉に居てもたってもいられず。私は周囲の制止の声を背中に受けながらも馬車を飛び出し、淑女らしからぬ速さで走り始めていた。
幸いにも足元は散策用のブーツだったため、想像以上の速度が出る。
はぁはぁと白い吐息を漏らしながら、私は玄関ホールから応接間へと駆け込んだ。
心臓がドクドクと大きな音を立てる。息は苦しいのに心が逸って躍るのを止められない。
私はノックをするのも忘れて、応接間の扉を思いきり開いた。
そして――
「…………レオンさん!!」
名前を、呼ぶ。大好きな人の名前を。
息を切らせ、顔を真っ赤にして入ってきたボロボロの私の姿は、きっとかなりみすぼらしかっただろう。しかし、彼は私の姿をその視界に収めた瞬間、本当に嬉しそうに、愛しいものを見るように、柔らかく目を細めた。
その美しくて見惚れてしまう、トパーズの瞳を。
「――リーフィア」
その声でもう耐えきれなくなって、私は迷うことなく彼の胸の中に飛び込んだ。
この場に誰がいるとか、どういう状況なのかも考えられなかった。
会いたかった、会いたかった。ただそれだけだった。
彼はそんな私を優しく抱きとめると、落ち着かせるように背中をトントンと叩いた。
あの日、初めて出会った朝にされたように。何度も、何度も。
私はお構いなしに彼の胸に頬を寄せながら、その手放しがたい幸福に酔いしれる。
しかし、それは長くは続かなかった。
「――ゴホゴホッッ!!!! ンンッ……リーフィア、はしたない真似はよしなさい!」
その声にハッとなって顔を上げれば、苦虫を噛み潰したような顔の父と視線が合う。
その隣には母がいて、こちらは少し頬を赤らめながらも興味深そうに目を細め、口角を上げていた。
私は慌ててレオンさんから手を放し、距離を置こうとするが、それは叶わなかった。
何故ならレオンさんの方が私の腰から手を外してくれなかったので。
戸惑いながら目線を上げれば幸せそうに微笑まれてしまったので、それで余計に身動きが取れなくなってしまう。
「……レオンハルト王弟殿下」
父の険しい声を受け、ようやく渋々といった様子で私たちは距離を置く。
私は改めてレオンさんの真横に立ち、おずおずと彼を見上げた。
彼も私を見下ろしていたので、必然的に熱い視線同士が絡まる。
「……会いたかった、リーフィア」
「――はい、私もです」
自然と顔が綻んでしまう私たちを見かねたのか、父が今まで聞いたことがないくらいの大きなため息を吐いた。そしてどこか投げやりな様子で声を出す。
「……リーフィア、お前の婚姻についてなのだが」
私はパッと父の方を振り返り、ごくりと喉を鳴らす。
すると、父が言葉を続けるよりも先に隣のレオンさんがそれを引き継いだ。
「クライン侯爵、私の方から話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「――ああ、いいだろう。もう好きにしてくれ……」
一国の王弟殿下に対するには礼に失する言葉遣いだったが、レオンさんは気にした様子もなく私に向き直る。真剣な眼差しに誘導されるように、私も身体ごとレオンさんへと正対した。
「話をする前に、まずはこれを返しておくよ」
言って、レオンさんは胸元のポケットから小箱を取り出す。
中には私が護衛の報酬として提示した祖母の形見の指輪が入っていた。
「でも、これは報酬として既にお渡ししたものですから……」
「エイセズまで連れていけなかったから、契約自体が無効だろ。それに、実は最初から受け取る気はなかったんだ。祖母の形見なんだから、大事にしたほうがいい」
レオンさんが私の掌に小箱をそっと渡す。
私はしばし考えた後で、ひとつ提案をすることにした。
「……やっぱり、これはそのままレオンさんが持っていてくださいませんか? アメジストは、私の色だから。私が貴方の色を貰ったように、私の一番大切な色を、貴方に持っていて欲しいです」
私が左腕に嵌る腕輪をそっと掲げて見せながら言えば、レオンさんは意表を突かれたように口ごもる。
少し迷いを見せていた彼だが、私が引く気はないのを察したのか、
「分かった、大事にする」
と、私から小箱を受け取り、胸元へと丁寧に仕舞った。
それから彼は一呼吸を置くと、真剣な顔つきで真っ直ぐに私を見つめる。
「――リーフィア・クライン侯爵令嬢」
敢えてフルネームで呼ばれたことで、やや緊張しながらも「はい」と返す。
ここからが本題ということだろう。
その証拠にレオンさん自身もどこか緊張を滲ませたまま、私の瞳を覗き込むようにして、言った。
「俺は……レオンハルト・フォン・エイセズは、リーフィア・クラインを愛している。どうか、俺と結婚して欲しい」
沈黙は、ほんの刹那。
「――――はい。喜んで、お受けします……っ!」
一も二もなく即答した私に、レオンさんが困ったように微笑む。
「……そんなにあっさり返事をして、本当にいいのか? 俺、一応はエイセズ国王の王弟だし、これから向こうで領地を治める立場になると思うんだけど」
対する私は、レオンさんの言わんとすることを理解しつつも、見縊ってもらっては困るとわずかに頬を膨らませる。
「私は、レオンさんと一緒に居られるのなら他には何も望みません! ……私の望みは、貴方ですから!」
色んな人に迷惑を掛けた私が、それでも何かひとつだけ、自由に選べるものがあるとするならば。
それは貴方がいい。
貴方と一緒に居られるのなら、どんな努力だって苦難だって決して厭わない。
万感の思いでそう告げれば、レオンさんは今度こそ憂いなく破願して、私を正面から思い切り抱きしめた。
「……絶対に幸せにする。俺を選んでくれて、信じてくれてありがとう……」
「私の方こそ、選んでくれてありがとうございます……愛しています、レオンさん」
誘われるように彼の首に腕を回して囁けば、より強い力で引き寄せられる。
互いに熱を分け合いながら、私たちは父から怒られるまでずっと、抱きしめ合っていた。
【了】
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
一日最低一話更新、見切り発車で始めた連載でしたが、予想以上に多くの方に読んでいただけて大変嬉しかったです。
後日、拾いきれなかった設定や後日談などの番外編をいくつか更新できればなと思います。
(特にリーフィアとレオンのイチャイチャが後半足りなかったなと思っていますので)
本当に本当に、ありがとうございました!




