会談(1)
私と父が揃って陛下に謁見し、正式に婚約解消の申し出をさせていただいた後。
エイセズ王国からの正式な会談の申し込みがあり、それは速やかに受理された。
そして各国の日程調整が行われ――本日、我がトランスファー王国の王宮内にある迎賓館の一室にて、会談の場がもたれた。
トランスファー王国側の出席者は、私、ゼノン王太子殿下、国王陛下、メイベル様、父であるクライン侯爵、そしてエイセズとの外交担当官の計六名。
一方、エイセズ王国側の出席者は、レオンハルト王弟殿下と外交官二名の計三名だった。
一同が挨拶を交わして着席する。その際、なるべく平静を装いつつ私はそっとレオンさんに視線を向けた。すると彼もこちらを見ていて、ほんのわずかに柔らかく目を細めてくる。最後に別れてから既に三週間近く経っていたので、こうして会って直接顔が見れただけでも本当に嬉しかった。
今日は正式な場のため、私もレオンさんも勿論正装だ。
ダークブルーを基調としたエイセズ王国の正装は華美ではないものの、質の良さが窺える仕立てで、レオンさんの褐色の肌にもしっくりと馴染んでいた。こんな場でもなければ見惚れてずっと眺めていたくなるほどに似合っている。
しかしそれは当然許されない。若草色のドレスに身を包んだ私は、勇気をもらうために自分の左腕を飾る腕輪をテーブルの下でそっと撫でた。
「……それでは、エイセズ王国とトランスファー王国の二国間会談を始めさせていただきます」
進行役である我が国の外交官の言葉に、全員が背筋を正す。
通常であれば、この後に本日の主題となる項目の確認を行ない、一つずつ議論をする流れだが――
「……早速で申し訳ないが、ひとつ提案をさせていただきたい」
そう口火を切ったのは、他ならぬゼノン王太子殿下だった。
陛下が静観しているため、おそらく事前にお二人の間で話がもたれていたのだろう。
戸惑いの空気の中、レオンさんがゼノン殿下に視線を向けながら応じる。
「こちらは構いませんよ、どうぞ」
「……では、お言葉に甘えて。此度の件、既に状況を把握している者のみが参席している前提で話しますが、争点となるのはただ一点のみでしょう」
「と、申しますと?」
「すなわち、我が婚約者であるリーフィア・クラインと、貴殿――レオンハルト王弟殿下との関係についてです」
ゼノン殿下は刺すような視線でじっとレオンさんを見据える。言葉こそ節度を守っていたが、決して友好的ではない態度ににわかに緊張が奔った。が、当のレオンさんは鷹揚にそれを受け止めると、穏やかな表情を崩さず、むしろ深めるように微笑んだ。
「リーフィア・クライン嬢を私が保護していた経緯については事前に書簡にてご説明を差し上げましたが、そういうことを言いたいのではありませんよね?」
「ええ、勿論」
「ではこちらも単刀直入に。私、レオンハルト・フォン・エイセズは、リーフィア・クライン侯爵令嬢を伴侶にと望んでおります。これに関しては我が兄であるエイセズ国王からも正式に承諾を得ております。なお、この求婚自体が不調法であることも十分に理解していますので、貴国に対して相応の誠意をお見せする準備もありますよ」
私は思わずレオンさんを凝視した。正式な外交の場での発言である以上、虚偽は許されない。
つまりエイセズ王国の国王陛下から承諾を得ているというのは事実だろう。
しかも相応の誠意との言葉は、おそらくエイセズからトランスファーへの見返りを指しているだろう。
どのようなものかは私には想像もつかないが、少なくともトランスファー王国の利になることは間違いない。
レオンさんはさらに言葉を続ける。
「勿論、クライン嬢の意思を無視するつもりはありません。また、貴国の王太子殿下と彼女が以前より婚約を結んでいることも理解しています」
「そこまで存じていらっしゃるのであれば、潔く身を引くべきではないのですか?」
殿下の冷淡な返しにも、レオンさんは動じない。
「しかし現在、彼女は貴殿との婚約解消を望んでいるとこちらは認識しております。であれば、私にも可能性があるのではないかと」
「……婚姻とは一個人の感情によって左右されるべきものではない。ましてや私は王太子で、彼女も侯爵令嬢だ。そのような我儘が許されるわけがない」
「ええ、正論です。しかし婚約段階で既に当事者間での不和が発生している現状もまた、問題があると言えるのでは?」
レオンさんが朗らかにそう切り返せば、
「不和と決めつけるのは止めていただきたい。これから共に時間を過ごせば解決することもあるし、私も相互理解のための努力を惜しむ気はない」
殿下がすぐさま冷ややかに応戦する。
「逆に貴殿に問うが、エイセズ王国の王弟という立場でリーフィアに求婚したということは、彼女を王弟妃に据えたいということでしょう? それこそリーフィアにとっては重荷になるのではないか?」
「……そうですね、私にも立場はあります。それは武器でもあり、同時に枷でもある。彼女が私を選んでくれるなら、その枷も共に背負って貰うことになるでしょう」
そこまで言って、レオンさんは殿下から視線を私の方へと向けた。
状況についていくのでやっとの私に、彼はちょっと困ったような顔で微笑みかけてくる。
「先に述べた通り、私は彼女に無理強いをするつもりはありません。決めるのは彼女自身です。その上で、私を信じて手を取ってくれるならば……その信頼に俺のすべてで応えたい。それだけです」
「っ……」
私はきゅっと唇を噛みしめ、泣くのを必死で堪える。本当は叫び出したかった。
私は誰よりもレオンさんを信じていると。その手を取りたいと。
私が背負ってもいいのならば、その重荷を分けて欲しいと。
しかし今の私はまだゼノン殿下の婚約者だ。陛下から婚約解消の認可は賜っていない。
うかつに発言をすれば、また家やレオンさんに迷惑を掛ける可能性がある。
それだけは避けなければならない。
と、その時。ゼノン殿下がレオンさんに対して再び問いかけた。
「……ここまで事を大きくした上、これでリーフィアが貴殿を選ばなければ、いい恥晒しだとは思いませんか?」
「それは別にどうでもいいんです。私が恥を掻いたくらいで彼女に選択肢を与えられるなら、いくらでも。生憎とこだわる程の自尊心は持ち合わせていないので。無論、私個人に対してはという意味ですので、我が国に対して行われた場合は違う対応になりますが」
外交上の一線は守りつつも、レオンさんはさも当然のようにそう言い放った。
すると、ここで初めて殿下がレオンさんから視線を下げて俯き、
「――そうか。貴殿は、あくまでも最後まで彼女の意思を優先するのだな……」
ポツリと。誰に言うでもなくそう呟いた。
そこで両者から発言が止まり、しばしの沈黙が場を支配する中、
「……発言を、お許しいただけますか」
挙手をしたのは、私の隣に座る父だった。父は陛下の方をチラリと窺う。
すると陛下が軽く頷いたため、父は軽く会釈をして立ち上がる。
「ゼノン王太子殿下と我が娘リーフィアの婚約に関しては、先だって陛下へ解消の打診をさせていただきました。問題を起こしたリーフィアが殿下の伴侶に、ひいては我が国の妃には適さないと判断したためです」
この発言に私とエイセズ側が軽く瞠目する。また、トランスファー側の外交担当官からは父に対して非難がましい視線が送られた。外交において今の発言はエイセズ側の利になりかねないものだ。親王派筆頭であるクライン侯爵家の当主だからこそ、その意味は重い。
しかし陛下は特に咎めることなく毅然とした態度を貫き通していた。
「クライン侯爵、リーフィアが起こした騒動に関しては私にも責任がある。確かに問題があったのは事実だが、それだけで婚約解消をする必要はない」
そこへ殿下が再度、自らには婚約解消の意思はないと強調する。
だが父も揺らぐことなく殿下を見つめ返した。
「恐れながら殿下、それを判断するのは私でも殿下でもなく――陛下であるべきかと」
父の言葉を受け、今まで黙っていた陛下はこの場にいる全員をゆっくりと見回す。そして最終的にその視線は、私の前で止まった。
陛下は無表情のまま、私に対して口を開いた。
「……リーフィア・クライン侯爵令嬢」
「――はい、陛下」
私はすっと立ち上がり、失礼がないように身体ごと陛下へと向き直った。
「発言を赦そう。此度の件、其方こそが争点なのだ。この場を作り、一貫して其方の意思を尊重するレオンハルト王弟殿下や、其方の父であるクライン侯爵、そして我が息子ゼノンに対しても、改めて其方の意思を伝えると良い。仮にどのような内容であっても不問とする。――エイセズ王国の方々もそれでよろしいか?」
「ええ、是非に」
即応したレオンさんが陛下にしっかりと頷き返すのが目に映る。
思いがけない機会を得たことに思わず呼吸を止めていた私は、それで我に返り、浅く息を吐くとぎゅっと右手で左腕を握った。触れた腕輪の冷たい感触が、冷静さを取り戻させてくれる。
一同の視線が私に集中しているのを肌で感じる。
だけど恐れるものは何もない。
レオンさんが信じてくれた私なら、きっと臆さずに、正直に自分の気持ちを言葉に出来る。
私は一呼吸置いた後に、胸を張って背筋を伸ばし、ゆっくりと口を開いた。




