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彼女の決断、彼の思惑


「……分かりました。戻ります。戻りますから、他の方たちに危害を加えるのはお止めください」


 私の言葉に、殿下はここに来て初めて本当の意味で笑みを深めた。

 逆に私を背に庇うレオンさんは驚きに目を見開く。それに精一杯微笑み返して、私は彼の背中から出て一歩、足を進めた。

 しかしそれ以上は許されず、腕輪が光る左手首を捕られる。他でもないレオンさんの手によって。


「――行くな」


 短く発せられた言葉の端々から、私のことを大事に想ってくれているのを感じて、こんな状況なのに嬉しいという気持ちが込み上げてくる。だけど、今の私がそれに応えることは出来ない。

 私は笑みを崩さずに、左手首を掴んだレオンさんへと振り返る。そして。


「……私を、信じてくださいますか(・・・・・・・・・・)?」


 真っ直ぐにレオンさんだけを見つめながら、そう口にした。

 この状況下で、殿下たちに逆らえばどのような目に遭うか分からない。今はレオンさんとその仲間の方々の安否が最優先。それだけはいくらレオンさんにも譲れない。

 それには私が殿下の条件を呑むしかない。でも、それで終わりではないのだ。


 二週間前、国のためにも殿下のためにも私は最善を決断したつもりになっていた。けれどこうなってしまった以上、私は知らなければならない。

 殿下がここに来た真意を。殿下が本当は何を想い、私と婚約をしたのかを。

 そのためにも、今は殿下と共に王都へと戻る。そして今度こそ、諦めることなく選びたい。


 ――自分の未来を、自分の意思で。


 本音を言えば怖い。レオンさんとも離れたくない。ずっと一緒に居たい。

 でもそれは、今じゃない。

 ここまで大事(おおごと)に発展した以上、私は私の行動の責任を取らなければならない。


 ……だから、信じていて欲しい。

 私は誰よりも、レオンさん(あなた)に信じて欲しいのだ。


 目線をそらさずにいる私に、レオンさんはくしゃりと顔を歪めた。こんな表情は初めて見る。大切な人に置いていかれるような、そんな泣きそうな顔。

 それでも目を閉じ、表情を立て直した彼は、


「ああ、信じている。誰よりも」


 私が一番望むものを、返してくれた。

 掴んでいた手の力が緩む。拘束から解放された私は今度こそレオンさんに背を向ける。


 そうして改めて視線を上げれば、殿下の真っ黒な瞳とかち合った。

 その表情は一言では表せない。

 怒りや焦燥、悲嘆、様々な感情が渦巻いているような。小さな迷子の子供のような。


 けれどそれも長くは続かず、殿下はすぐに能面のような笑みを張り付けると、私に向かって手を伸ばす。逆らうことはせず、素直にそれに従い右手を預ければ、そのまま身体ごと奪われるように引っ張られ、殿下の胸の中に閉じ込められた。

 腰に回された手にわずかな嫌悪が湧き、逃げ出したくなるのを必死で抑える。

 無抵抗の私の態度にようやく満足したのか、腕に収まってからの殿下の声は上機嫌だった。


「私のリーフィア、ようやく戻ってきてくれたね」

「……殿下。私のことよりも、まずはそちらの方の手当てを。怪我の様子が心配です」

「ああ、そうやってすぐに君は他者へと情を移す……それは君の美点だけど、私にとっては忌むべきことだと自覚して欲しい」

「……どういう、意味でしょうか?」

「簡単なことだよ。リーフィアは私だけを見ていればいい。他の者になど関心を割くべきではないんだ。まぁ、戻ってきたからには二度と私よりも他者を優先させることは許さないけれどね」


 会話をしながら、その噛み合わなさに愕然とする。

 思わず顔を上げ、こちらを見下ろす殿下の瞳を覗き込んだ。


「殿下は……私のことをどう思っていらっしゃるのですか……?」


 慎重に問えば、殿下は一瞬、虚を衝かれたような顔になった。


「どうって、愛しているに決まっているじゃないか。誰が何と言おうと君は私のものなんだよ、リーフィア」


 頭を殴られたような衝撃があった。いや、心のどこかでもしやとは思っていたのだ。

 あの毒を盛られた夜の会話。

 そこから私が導き出した回答はすべて間違いで、殿下が本当の意味で伴侶にと望んだのは最初から私であったのではないかと。殿下の口から肯定された今、途方もないやるせなさが込み上げてくる。


 どこから歯車が狂ってしまったのだろうか。

 何がいけなかったのだろうか。


 あの絶望の夜にもし、私が殿下の本心を知っていれば。

 実家を出るまでの間にもし、殿下と真正面から向き合っていれば。

 そんな、過去となったもしもを想像し、私は無意識のうちに唇を噛む。

 ――と、その時、


「……ゼノン王太子殿下」


 私たちの会話に割り込むように、レオンさんが殿下へと話しかけた。

 それで急速に現実に引き戻された私は、慌てて彼を止めようと声を出そうとするが、肝心の言葉が出てこない。

 一方、平時の余裕を取り戻したような殿下は、今にも手が出そうな近衛騎士たちを腕の動きだけで制し、鷹揚な態度を崩さずレオンさんへ視線を投げた。


「なんだい? これ以上の問答は必要ないだろう。我々はすぐにでもここを去る。もう君と会うこともないだろう。ああ、仲間のことは心配せずともすぐに解放するから安心していい」

「そのことじゃない。俺が言いたいのは、アンタがどうしてリーフィアを所有物扱いしているかってことだ」

「……何が言いたい?」

「リーフィアは物じゃない。アンタに彼女の意思を捻じ曲げる権利はない」


 低く鋭い声できっぱりと断言したレオンさんに対して、殿下が酷く煩わしそうに片眉を上げる。


「貴様がいくら吠えたところで、リーフィアが私のものだという事実は変わらない。いい加減、口を慎め。不愉快だ」

「不愉快なのはこちらも同じだ。しかし道理も分からないような者がトランスファー王国の次期国王だというのならば、その未来には不安が付きまとうな」


 あまりにも不遜な物言い。ゼノン殿下個人に留まらず、トランスファー王国そのものへの侮辱ともとれるその言葉に、私は止めるのも忘れて呆気に取られてしまった。


「……貴様、リーフィアの手前、見逃してやるにも限界というものがあるぞ」


 殿下が笑みを消し去り、為政者としての顔つきで返す。その鋭い視線を平然と受けながら、レオンさんも真っ直ぐな視線で殿下を射抜いた。


「見逃される筋合いなどない。レオンハルト(・・・・・・)フォン(・・・)エイセズ(・・・・)の名において、今回の件は国を通して正式に抗議させてもらうからな」


 私も、おそらく周囲を固める近衛騎士たちも、誰一人としてその名前に反応できなかった。

 しかし殿下だけは、驚愕の色を濃くしながら思わずといった様子で声を漏らす。


「……レオンハルト……まさか貴様、エイセズの黒獅子か……!」

「ああ、その名を知ってるなら話は早いな。現エイセズ国王ルードヴィッヒは俺の兄だ。まぁ親子以上の年齢差があるが」


 さらっと告げられた事実に頭が追い付かない。

 もはや殿下とのことは完全に私の頭の中から飛んでいた。

 さらにレオンさんは続ける。


「そこのテオも俺の従者の一人だ。知らなかったとはいえ、友好国の王族とその従者に手を出してタダで済むとは思っていないよな?」

「……貴殿が、レオンハルト王弟殿下だという証拠は?」

「本国に問い合わせればすぐに分かる。俺が今、この交易都市を訪れてることも知ってるはずだからな」


 殿下の表情から余裕が消え失せ、代わりに苛立ちと焦りの色が濃くなった。エイセズとの関係に亀裂を入れることは、政を執り行なう者としてあってはならない。

 私はあまりの状況変化についていけず、混乱のままに二人の会話を聞くことしか出来なかった。

 やがて、殿下が重々し気にレオンさんへ問う。


「…………何が目的だ。謝罪か、賠償か、それともリーフィアか」

「謝罪と賠償はテオたちの状況次第だ。リーフィアに関しては……」


 レオンさんは少し考えるように沈黙を置いた後、こう答えた。


「俺はリーフィアの決断を尊重する。だからこの場でアンタと事を起こす気はないし、彼女が王都に戻ることも止めない。だが、ただ黙ってるのも性に合わないし、最終的にアンタからリーフィアを守るために出来ることは、全部やるつもりだ。その為に身分も明かしたわけだしな」


 私は思わず首だけ無理やり後ろを向けてレオンさんの方を見た。

 彼も真剣な目で私を見ていて、目が合うと黄金の瞳を細めながら張りのある声で毅然と告げた。


「正式に外交ルートでも打診するが、今ここで宣言しよう――レオンハルト・フォン・エイセズは、トランスファー王国リーフィア・クライン侯爵令嬢に婚姻を申し込む」


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― 新着の感想 ―
[良い点]  「信じて下さいますか」  もうね、ここがハイライトと言っていいのではないでしょうか当作品に於いて。  人を信じる、人格を信じるというのは状況によってはとてもしんどい事だと思います。  今…
[良い点] リーフィアが自らの行動に責任をとるため、ゼノンと向き合う決断をした姿が凛々しいです。 そして「――行くな」と1度は掴んだ手を、リーフィアを信じて解放したレオンも立派です。 [一言]…
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