再会
若干痛々しい暴力表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
階下から聞こえてくる複数の荒々しい足音。本能的に危険を察知した私が肩を竦めるとほぼ同時に、レオンさんが私を扉や窓から遠い壁際に引っ張ると、自分が壁になるように立ち塞がった。
「っ……レオン、さん……!」
「大丈夫、じっとしててくれ」
振り返りもせずに言葉だけが返ってくる状況が、事態の深刻さを物語る。足音は二階へと上がっていき、やがてこの部屋の扉がガンガンと叩かれ始めた。木製の扉はあっさりと蹴破られ、数名の男性が室内へと一気に押し寄せてくる。
その外見から、彼らが近衛騎士団所属の騎士であることは一目で分かった。
「……お捜ししました、リーフィア・クライン様」
騎士のうちの一人――私も面識がある殿下の護衛を任じられていた方だ――が、私の顔を見て安堵の息をつく。
逆に私は混乱した。仮に捜索の手が迫っているとしても、てっきり我がクライン侯爵家の人間が来ると思っていたのだ。しかし殿下直属の近衛騎士が現れたということは、それは間違いなく殿下の御下命あってのこと。
「さぁ、こちらへ。殿下やご家族が心配しております」
そう言って穏やかに微笑みながら、騎士が私の方へと手を差し伸べてくる。
私はレオンさんの背に庇われつつ周囲を窺いながら、その騎士へ毅然と言葉を述べた。
「私をお捜しになっていたのでしたら、申し訳ありませんがお引き取りください。私は既に自分の意思で家を出奔した身です。家門もいずれ除籍となり、殿下との婚約も遠からず解消されることでしょう」
「なっ!? ……何を仰っているのですか!? ゼノン殿下の婚約者はリーフィア様以外にありません! 我々はそのように殿下自身から下知をいただいております!!」
「……それは、色々と事情がありましたので。此度の件、もし殿下が私を捜すよう手配なされたのであれば、おそらくそれは慈悲によるもの。ですが私自身、もう貴族として生きていくことを放棄したのです。そのような女に、殿下が情けを掛ける必要はございません」
私の淀みない言葉に、騎士たちが困惑の色を強める。
ここまで拒絶を示されるとは想定していなかったようだ。
しかし私をこのまま見逃すという選択肢もないようで、彼らは扉や窓などの出入り口を人垣で塞ぎながら、説得の言葉を考えているのが見て取れた。
私は私でこの場をどう切り抜けるべきか考えるが、その時、この状況への違和感に気づいた。
私とレオンさんは上手く関所を通過したと思っていたが、ここに踏み込まれている時点で計画が失敗していたことを意味する。しかし、それにしては動きがおかしい。
関所で私に気づいていたなら、その場で確保する方が遥かに話は早かっただろう。だが実際には、レオンさんと行商人の方々の合流地点であるこの場で問答が起きている。
そこまで思考して、私が最悪の可能性に思い至った時――
「……なぁ、アンタら、この場所に来る予定の連中に、何かしたのか」
一足早く、レオンさんが口を開いていた。口調こそ冷静だが、その言葉の端々から騎士たちへの敵意が滲み出ている。一方の騎士たちもレオンさんの物言いを警戒してか、弾かれるように帯剣に手を掛ける。
それを目の当たりにした瞬間、私は考えるより先に声を挙げていた。
「この方は私の恩人です! 絶対に手出しをしないで!」
「リ、リーフィア様……しかし!」
「それと質問に答えてください! ここに来る予定の方々のことを、貴方がたは知って――」
「……ああ、ここにいたんだね」
刹那、全身に鳥肌が立った。自分の言葉が途中で完全に止まる。
私がこの方の声を聴き間違えるはずはない。だけれど、信じられない。
なぜ、こんな場所に、この方がいらっしゃるのか。理解が追い付かない。
それでも、私は恐怖心をねじ伏せて声がした扉の方へと視線を向ける。そして、
「……迎えに来たよ、リーフィア」
近衛騎士の制服を身に纏ったゼノン王太子殿下が、私の姿を見止めていつものように微笑んだ。
……いや、違う。いつも通りなんかじゃない。
私は殿下の目が一切笑っていないことに気づき、咄嗟にレオンさんの服の裾を掴んでしまった。
それが気に食わなかったのか、殿下がスッと無表情になる。
「私のリーフィア、その男は誰? 君とはどういう関係なのかな?」
「……この方は、困っていた私を偶然助けてくださったのです。それ以外のことは何も――」
直感的に、今の殿下は何かがおかしいと踏んだ私は、レオンさんに危害が及ぶのを恐れて深い関係ではないことを強調しようとした。けれど、それが逆に相手を大切に想って庇っていると見抜いたのか、
「嘘は良くないよ、リーフィア。少なくとも、君はその男を憎からず思っているようだ。私としては非常に不愉快だし、今すぐにでもその男を殺してやりたいくらいだよ」
とても恐ろしいことを口にした。思わずゾッとして、裾を掴んだ指先が震える。
すると、今まで状況の把握と警戒に注力していたはずのレオンさんが、今まで聞いたことがないほどに低い声を発した。
「……奇遇だな。俺も、リーフィアのことを怯えさせるアンタを今すぐにでも排除したいところだ」
「なっ!!? 貴様!!! この方を知っての発言ならば不敬罪に当たるぞ!!」
「レ、レオンさん! ダメです……っ!!」
今にもこちらに斬りかかってきそうなほどに殺気立った騎士たちを前に、私は必死でレオンさんにしがみつく。王族への不敬は最悪死罪すらあり得る重罪だ。私のせいでレオンさんが罪に問われるなんて、とても耐えられない。
そんな私の行動を瞬きもろくにせずつぶさに見ていた殿下は、
「…………どうやら、この二週間でリーフィアはすっかり俗世に染まってしまったようだ。嘆かわしいことだが仕方がない。私が一から躾直さなければいけないな」
と言って、扉の外に向かって合図を送った。そうして騎士に連行されながら入ってきたのは、
「……す、すみません、レオン、さま……」
顔や身体に無数の打撲を負った、背が低く年若い青年だった。しかも彼の首筋には、連行してきた騎士によってナイフが当てられている。下手な行動を起こせば即座に刃が彼の命を刈り取るだろう。
あまりの痛々しさと扱いの酷さに言葉を失った私の耳に、レオンさんの苦々しくも相手を労るような声が入ってくる。
「謝罪はいらない。……大丈夫か、テオ。他の連中は……」
「……な、何人かは、オレと同じように、痛めつけられて…っ…どこかに連れて、いかれて……!」
レオンさんからテオと呼ばれた人が、痛みに顔を歪めながら返答する。
その口の端には血が滲んでおり、喋るたびに呼吸が乱れていた。
二人のやりとりから、私はテオさんが合流するはずだった仲間の一人であること、さらに複数の仲間がゼノン殿下らに拘束されていると理解した。
頭上からレオンさんが奥歯を噛みしめる音が聞こえる。
当然だ。こんな理不尽、許されていいはずがない。
だけど私を何よりも打ちのめしたのは、その理不尽を行なったのが他ならぬ殿下であり。
その原因を作ったのが私だという厳然たる事実だった。
私の表情から考えを汲み取ったのか、殿下が再び目を細めて笑顔を作る。
「リーフィア、私は何もむやみに君を傷つけるつもりはないよ。君さえ帰ってくるなら、その男も、その男の仲間にも手を出さないと誓おう。私も君に嫌われたくはないしね」
それは紛れもない脅迫だった。
言外に帰って来なければレオンさんや、捕まっているらしい仲間の人たちに危害を加える、と。
自分が痛め付けられるよりも、その脅迫は私にとって絶大な効力を発揮した。
もはや選択の余地もないほどに追い込まれてしまう。しかしそんな中でも、
「……リーフィア、俺がなんとかする。だから従う必要はない」
レオンさんが私を安心させるように、こちらを振り返ってきっぱりと言い切った。
美しいトパーズの瞳はこんな時でも変わらず美しくて、触れている身体はこんなにも力強い。もしかしたら、本当になんとかなるのではないかとすら思えてくる……だけど。
この状況は、どうあってもこちらが圧倒的に不利で。しかも人質まで取られている。
騎士の数は部屋の中だけでも四人。外にはまだ複数気配があり、全員が武装している。
手練れ揃いの近衛騎士だ。私というお荷物を抱えたレオンさんが、一人でどうにかできるようなものではない。
……それでも、この人は私を守ろうとしてくれている。
決して見捨てず、戦おうとしてくれている。
――その事実だけで、もう、十分だった。
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