関所を越えるために
我が国は国境沿いや重要拠点となる都市には関所が設けられており、入出の管理が行われている。
従って密入国でもなければ必ず関所を通る必要があった。
旅立ってから四日目の朝。
私とレオンさんは入念に準備をし、交易都市行きの馬車に乗った。今は関所の前での入管手続き待ちである。
ここが最大の関門だとレオンさんは言っていたので、否が応でも緊張せざるを得ない。
そんな私の強張りを見逃さず、馬車の中で隣に座るレオンさんは、私の手をぎゅっと握ってくれた。
しかし私はそれで昨夜のことを明確に思い出してしまい、逆に居たたまれなくなってしまう。
この年になってあんなにも自分の感情を素直に曝け出したのは初めてだったのだ。
呆れられたり鬱陶しがられても文句は言えないくらいだったはずだが、今朝のレオンさんはいつも通りで――正確に言えば、いつもよりも更に優しく気遣ってくれて――そんなところに大人の余裕を感じる。
だから今は待っていてくれるというレオンさんの言葉に甘えることにした。
まずは旅を無事に終えてエイセズに辿り着くこと。それだけを考える。
そうこうするうちに、この馬車が関所を通る順番が回ってきた。
と言っても、国内の移動であるため、そこまで入念な審査は行われない。
不審物を持ち込んでいないか、指名手配されている人物が紛れ込んでいないか、などが役人によって確認されれば、比較的簡単に関所を通ることが出来る。
「……よし。では次はそこの二人、手荷物検査に協力を」
「分かりました。ああ、妻は見ての通り身重ですので、俺がそちらにお持ちします」
言って、レオンさんが私の分とまとめて手荷物を役人へと渡す。
そう、第一の偽装は私が妊娠していると思わせること。と言っても簡単にお腹周りに布物を巻き付けて太くしているだけだ。けれど、妊婦となれば手荒な扱いはされにくい。それが狙いである。
「……ああ、荷物は問題ないな。では奥さん、フードを外して顔を見せてくれ。念のためだ」
――来た。これは事前にレオンさんにも聞かされていたこと。
どうやら関所に私の特徴と合致した人物を探せというお達しが出ているようで、フードの下を必ず確認されるだろう、と。
私は指示に従い、フードを取る。それで、相手が息を呑んだのが分かった。
そこへすかさずレオンさんが説明を始める。
「妻は見ての通り、病の痕があり普段から顔を隠しているのです。包帯も取れと言われればそうしますが……」
髪は茶色に染めているから、私の特徴であるピンクブロンドではなくなっている。
でも、瞳の色が珍しいアメジストなのは変えることが出来ない。そこで、レオンさんが考案したのが、化粧による皮膚の偽装と、額から目元にかけて覆う包帯だった。
化粧はレオンさんが行ってくれたのだが、その出来栄えは驚嘆に値するものだった。
かなり近づかなければ化粧とは気づかれないし、まだ年若い女性が負うにはあまりにも酷い痕だ。
これを衆人環視のもとで晒すことはかなりの勇気がいる。
明らかに動揺している雰囲気の中、やがて馬車の中の他の乗客が声を挙げ始めた。
「おい、若い娘さんに恥を掻かせるもんじゃない。荷物にも問題なかったなら、もういいじゃないか」
「そうよね。見ているこっちまで胸が痛いわ……」
「それより早くして欲しいんだが? こっちは急いでいるんだ」
この反応もレオンさんの計算通りだった。敢えて関所が忙しい時間帯、そして人の多い馬車を選んで乗り込む。周囲の目があれば役人といえど強硬な手段は取りづらい。
「……問題ない。通って良し」
やがて、役人は軽くため息を吐きながら馬車の入場許可を出した。ホッとする私の横に戻ってきたらしいレオンさんは、座ると同時にフードを被せてくる。
「ごめんな、嫌な思いをさせて」
私は声は出さず、軽く横に頭を振った。
周囲や役人の方を欺く罪悪感はあれど、後悔はしていない。むしろ私はただ黙っていただけで、レオンさんにばかり負担をかけてしまっている方が気がかりだった。
まして今の私は包帯によって視界が遮られているから、取れるアクションも少ない。
するとレオンさんは再び私の手を取り、恋人のように指を絡めてきた。
ゴツゴツとした大きな手に包まれて、安堵すると同時に心臓がバクバクと高鳴る。
「おう、兄ちゃん! お前さん奥さんにベタ惚れみたいだな!」
「そうなんですよ。ホント、可愛くて自慢の妻です」
「おーおー、言ってくれるねぇ! 羨ましいったらねぇや! 色々と苦労もあるだろーが大事にしろよ!」
「……ええ、必ず」
周囲の野次にも朗らかに対応するレオンさんの声に、堪らず絡めた指に力が入った。
恥ずかしいけど嬉しい。けど恥ずかしい。顔が見たいけど今は見れないし、でも実際に見たらどういう反応をすればいいか分からない。
そこから馬車の停車場に着くまでの間、私は一人で悶々とした気持ちを抱えることしか出来なかった。
馬車を降りると、レオンさんは私の手を引いて歩き出した。ただし、目が見えない私を慮って、いつもよりゆっくり歩いてくれるし、私が少しでも躊躇ったりすれば必ず立ち止まって様子を確認してくれる。
そうしてしばらく歩くと、レオンさんは路地裏にある一軒家に入ると説明してくれた。
ここが行商人との待ち合わせ場所とのこと。
中に入るや否や、突然、レオンさんは私を横にして抱き上げた。
思わず「ひゃあっ……!?」と間抜けな声を出してしまった私に、レオンさんの楽し気な気配が伝わってくる。そのままどうやら二階に移動するらしく、私はレオンさんの首に腕を回してぎゅっとしがみつく。こんな風に誰かに抱き上げられたのは初めてで、羞恥よりも恐怖が勝った。
ほどなく部屋の中に入ったのが伝わってきて、身体をふかふかしたものの上に降ろされる。
そしてレオンさんは私のフードと包帯を丁寧に外してくれた。
ようやく取り戻した視界に身体の強張りが抜けていく。
軽く見回せば、そこはベッドと最低限の家具だけが置かれた質素な部屋で、どことなく王都で寝泊まりしたレオンさんの部屋に雰囲気が似ていた。
「……とりあえず、お疲れさん。ここまで来れば後はそれほど時間もかからないし、安全に行けると思う」
そう言ったレオンさんも、心なしか肩の力が抜けているようだった。
私が思う以上にきっと周囲を警戒したり旅に不慣れな私を気遣ったりと、気苦労が絶えなかったのだろう。私は申し訳ないと思う気持ちと、そこまでしてくれた感謝の気持ちを同時に抱く。
「ありがとうございます、レオンさん」
謝るのは違うと思ったのでお礼の言葉だけ伝えれば、正解だったのかレオンさんが嬉しそうに笑った。
「もう化粧も落とすか。今度は集団での移動だし、悪目立ちする要素は必要ないから」
「あ、そうですね、このあとお会いする方々がきっと驚いてしまうでしょうし」
「まぁアイツらなら慣れてるから平気は平気だけど……俺のほうがちょっとな」
「?」
レオンさんは化粧を落とす道具を鞄から漁りつつ、
「好きな女の顔に偽物とはいえ痛々しい痕とかって、思ってたよりも嫌な気分になるから」
「……なる、ほど」
何気ないやりとりだけで茹りそうになるのを必死で堪えながら、私はレオンさんの指示に従って化粧を落とす。その後、レオンさんには部屋から出てもらい、妊婦の偽装も解除した。
髪の色以外はすっかり元の自分の状態に戻ったところで、扉の前にいるであろうレオンさんに声を掛ける。
すぐに入室してきた彼は、先ほどとは打って変わって、どこか難しそうな顔をしていた。
「……どうしたんですか?」
「いや、予定では仲間がとっくに到着しててもおかしくないんだが、遅れてるのが気になって」
「そうですか……捜しに行った方が良かったりしますか?」
「リーフィアを一人にはしたくないし、行くなら二人で。まぁもう少し待ってみても――」
レオンさんが珍しく迷いを見せていたその時、階下から誰かが勢いよく扉を開けた音が響いた。




