左手と贈り物
初日はなるべく距離を稼ぐ方針だったため、私たちは馬車を乗り継ぎ、夕暮れ時に辿り着いた街で宿を取った。夫婦という設定のため、当たり前だけど二人で一部屋。
けれどそんなことを気にする余裕もなく、体力の限界だった私は夕飯もそこそこにベッドに倒れ込んでしまった。久しぶりの外出に気を張っていたのもあったけれど、単純に体力が落ちているのを感じる。
レオンさんはそんな情けない私を厭うどころか優しく気遣ってくれ、食事や宿のお湯の用意なども手際よくしてくれた。あまりの申し訳なさに平謝りの私に対し、
「想定内だから気にしなくていい。むしろ道中で一切弱音吐かなかっただろ。根性あるなって見直した」
そんな風に笑って流してくれる。
本来、辻馬車はあまり長距離の移動には向いておらず、激しく揺れるので身体にも大きな負担が掛かる。鞄をクッション代わりにしてなんとかやり過ごしていたものの、お尻や腰に痛みを覚えたのも確かだ。
私がベッドに横たわり、行儀が悪いのを自覚しつつも腰を摩っていると、
「本当はマッサージとかもした方が楽になるけど、流石にそれは止めとくな」
と、レオンさんはからかうような調子で言った。
ぶわっと羞恥心に襲われ反射的に枕に顔を埋めた私は、思わず抗議の声を挙げる。
「そんなことされたら、恥ずかしくて死んじゃいます……っ」
「……恥ずかしいだけなのか?」
「? どういう意味ですか?」
「いや、普通は嫌だろう。好きでもない男にべたべた触られるの」
……毎日同じベッドで寝ていたのに今更では? と、喉元まで出かかった言葉を咄嗟に呑み込み。
少し考えた私は「別にレオンさんに触られること自体は嫌だと思ったことありません」と答えた。
もし仮にマッサージだって本当に必要だと説得されたら、おそらく受けるだろう。
そのくらい私はレオンさんを信頼していると伝えたかったのだが、何故かレオンさんの言葉が途切れてしまったので、私はそのままあっけなく寝落ちしてしまったのだった。
明けて、翌朝。
昼出発の馬車に乗るとのことで、私たちは早めに宿を出て時間まで街を散策することになった。
レオンさんが言うには、宿や馬車での会話中、新婚の手前、旅先でそれらしい行動をしておいた方が矛盾が発生しにくく、嘘が露呈しにくいとのこと。
ぐっすり眠ったためか体調もだいぶ回復した私は、純粋に街歩き出来ることが嬉しくて、不謹慎ながらもほんの少しだけ浮かれていた。もともと外を歩くのが好きなのもあるし、初めて訪れた街並みを見ているだけでもワクワクしてしまう。
私はこちらの手をしっかり握って隣を歩くレオンさんをフード越しに見上げながら、小さな声で話しかけた。
「……ありがとうございます、レオンさん」
「それは……何のお礼なんだ?」
「えっと、気遣ってくださったのかなって。私が退屈しないように」
「あー……別に、馬車の関係で時間が取れただけだから。たまたまだよ」
そう言いながらも、ちょっとだけバツの悪そうな顔をするレオンさんに、私は思わず微笑んでしまう。
この人と出会ってから、驚きと新鮮な喜びの毎日が送れていること。それが、絶望的な気持ちで日々を過ごしていた私にとってどんなに奇跡的なことなのか。
きっとレオンさん本人には分からないだろうけれど、本当に感謝してもしきれない。
エイセズに着いたら出来る限りのお礼をしよう。
そう改めて強く誓いながら、私は串焼きや果物を使ったお菓子などが並ぶ出店通りをキョロキョロと見回した。どれも美味しそうで目移りしてしまう。
あ、あそこにあるのはチョコレートが掛かった焼き菓子……! とっても美味しそう……!
思わずじっと見てしまうと、隣から楽し気な声が響いてきた。
「……どうしたんですか?」
「いや、分かりやすいなぁと思って。すみません、これ二つください」
レオンさんは私が見ていた焼き菓子を購入して、片方を渡してくれる。
完全に子ども扱いされているような気分になって面白くはなかったけれど、食べ物に罪はないのでありがたくいただくことにした。
小さく齧れば、チョコレートの甘さと焼き菓子のホロっとした食感の中に刻んだオレンジの香りが鼻を抜けていく……とっても美味しい!
思わず夢中になって食べていると、レオンさんから視線を感じた。
心なしかニヤニヤしている気がする。ちょっぴり悔しいが、ここは素直にお礼を言う。
「……美味しいです。ありがとうございます」
「どういたしまして」
その後も、二人で街の中を歩いて目についたお店に入ってみたり、公園のベンチで休憩したりしながら、馬車の時間まで過ごしていた。ちなみに迷子になったら困るからという理由で、手はずっと繋ぎっぱなし。最初こそ恥ずかしかったけれど、途中からはすっかり慣れてしまった。
楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、馬車の寄り合い所へ向かう時間が近づいてきたため、私たちは再び街中を歩きだす。と、途中でレオンさんが一つの店に目を留めた。
「ごめん、ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いいか?」
「はい、もちろん大丈夫ですよ。どこに行くんですか?」
「そこの雑貨屋」
レオンさんが雑貨屋になんの用があるのだろうと不思議に思いつつも、付いていく。
入った店は少し高級な雰囲気の雑貨屋さんで、小物などのほかに手作りのアクセサリーも扱っていた。
レオンさんは迷うことなくアクセサリーのコーナーまで行くと、ケースに入ったそれらと私を交互に見比べる。
しばらくして彼は店員さんに声を掛けると、ケースから出してもらった一つの腕輪を私の左手首に付けてくれた。
細身だけれど複雑な模様を描く銀細工にトパーズの石が鏤められているそれは、とても綺麗で。
レオンさんの色だ、と思った瞬間。この腕輪が意味するところを私は理解した。
「……仮にも結婚しているなら、俺の色の宝飾品は必要だろう。持っておいて」
耳元で囁かれ、動揺が隠せない。
そう、この国では結婚した女性は相手の男性の瞳の色にちなんだ物を身につける風習がある。
だけどまさかこのタイミングで贈られるなんて思ってもみなかった。
「どうして……今、なんですか……?」
思わず尋ねてしまった私に、レオンさんがなんでもないことのように答える。
「王都で用意しても良かったんだけど、ちょっと時間が取れなかったから。あと、どうせなら俺がちゃんと選んで似合うものを贈りたかったし」
良く似合ってる、と、レオンさんが私の左手を持って優しく笑いかけてくれる。
そんな顔を見てしまえば、私はもう何も言うことが出来なかった。
エイセズまでの旅は、長くても十日もあれば終わってしまうのに。
本当なら、ここまでする必要なんてないのに。
「とりあえずエイセズに着くまでは付けてて。そのあとは好きにしていいから」
「……あの、ありがとうございます…………大事に、します」
結局、そんな言葉しか返せなかった。
嬉しいとか、ありがたいとか、そういうシンプルな感情ではなく。
もっと複雑で重たいものが着実に胸の中で育っていっているのを感じる。
この気持ちには覚えがあった。でも、同時に思い出してはいけないものだとも知っていた。
店を出て、私は手を引かれるままにレオンさんの後を付いていく。
もうあれほど興味深かった街並みは目に入らず、私はただ、左手に光る黄玉の輝きだけを追いかけていた。




