出発と自覚
エダさんとの別れの朝がやってきた。
私は用意して貰った平民仕様の旅装に着替え、家に残るエダさんと抱擁する。
「お世話になりました……エダさんがあの日、声を掛けてくれなかったら、きっと私は実家に連れ戻されてたと思います。本当に、ありがとうございました……!」
「そりゃあ、それだけアンタが持ってる運が強かったってもんさ。アタシも楽しかったよリーフィア。……アンタが往く道に黄金の星の導きがあらんことを」
そう言って抱きしめ返してくれる腕と名残惜しくも別れて。
私は茶色に染めた髪を隠すようにフードを被り、鞄を肩に掛けて振り返った。
玄関扉の前には当然、旅装姿のレオンさんが待っててくれている。
そう言えば九日ぶりの外だ。
その事実に少し緊張した私に気づいたのか、レオンさんが手を差し出してくれた。
「……行くか」
「はい、よろしくお願いします」
しっかりと手を握り返して、朝の陽射しを浴びる。
眩しさに目を細めながら、私たちは馬車の寄り合い所を目指して歩き始めた。
レオンさんから事前に聞かされた旅程によれば、ここ王都からまず馬車で3日ほどかかる交易都市へと向かい、そこでレオンさんが事前に手配した行商人の一行と合流。その行商人の一員としてエイセズ王国への入国を果たすのだという。
私は何故レオンさんがそんな凄い伝手を持っているのか不思議でならなかった。
というか、レオンさんにしてもエダさんにしても、ただの街の便利屋では片づけられない何かがある。
そうでなければ私のような厄介ごと、とても手に負えないと普通は放り投げていただろう。
居候期間中、冷静に色々と考えることが出来た結果、私の中でそんな当然の疑問が湧くようになっていた。だからと言って、問いただすようなことはしていないけれど。
今はとにかく国外脱出が最優先。事情を聞いたりするのは後からいくらでも出来る。
ほどなく乗り合い馬車に乗り込むことが出来たため、私はレオンさんの横で大人しく座っていた。
旅の最中はあまり喋らないように言われている。
少しでもリーフィアに繋がる情報を落とさないためだ。
「……フィー、大丈夫か?」
レオンさんが私の手をぎゅっと握りしめながら話しかけてくるのに微笑んで頷く。
ちなみにフィーというのはこの旅での私の偽名である。
「今は他に客もいないから喋っても良いぞ」
レオンさんの言葉通り、馬車の中は私たちしかいなかった。
一番早朝の便らしいので、その所為だろう。
「……なんだかドキドキします。私、王都と領地以外は行ったことがないんです」
「フィーの領地って……ここから西にあるクライン領のことだよな?」
「はい。森が豊かで、農耕が盛んな穏やかな土地ですよ。幼少期からずっとそこで過ごしてきたので、私にとっては庭みたいなものです」
「俺は行ったことがないけど、アンタが育った土地なら何となくいいところなんだろうな、とは思う」
「……それは、褒められているのでしょうか?」
「もちろん。育ちが良いってことだよ」
確かに、領地は温暖な気候で領民たちも温和な性格の人が多いとは思う。私の家族も貴族としては非常にのんびりした雰囲気だと言われるし、もしかしたら風土の影響なのかもしれない。
「あの、レオンさんの故郷は、どんなところですか?」
少しだけ迷ったものの、好奇心に勝てずに思い切って訊ねてみる。
するとレオンさんは口もとに手を当てて思案しながら、
「そうだな……俺は割とガキの頃から場所を転々としてきたんで、故郷って感覚は正直薄い。強いて言うなら物心ついた頃に居たエイセズの王都が故郷に当たるんだが……」
珍しく歯切れの悪い口ぶりに、聞いてはいけないことだったかなと不安になる。
と、そこへ流れを断ち切るかのように馬車に人が入ってきたので、私たちは会話を中断した。
「おや、珍しい。あんたたち新婚さんかね?」
乗り込んできたのは恰幅のいい年配の男性だった。レオンさんは席を詰める動作で私を馬車の一番奥側に座らせ「ええ、そうです」と、にこやかに男性に返答する。
「里帰りの途中なんですよ。俺の実家があるエイセズ王国まで」
「ほー、エイセズかぁ! 儂も若い頃に行ったことがあるよ。あそこは魚介が美味いんだよなぁ」
「ああ、貝焼きなんかも名物ですからね。冬は鍋にしても美味いですよ。あ、そうそうエイセズと言えば……」
レオンさんはそのまま男性と会話を広げていく。私はレオンさんがこんなに愛想よく誰かと喋っているのを初めて見たので、ちょっとだけ驚いてしまった。けれど、これも昨日からの計画通りだ。
行商人たちと合流するまでの間、私たちは若い夫婦として里帰りに向かう最中だと装う。
そのために色々と仕込みもしてあるが、出来れば使わずに関所を通過したいところだ。
……しかし、偽装婚約の次は偽装結婚とは、私はつくづくそういうものと縁があるらしい。
だけど今回は自分で納得した上での偽装なので、王宮に居た頃とは違う心持ちだった。
何より共犯者がレオンさんなのだ。
今の私にとって、これほど心強いものもない。
そんなことを考えながら二人の会話をぼんやり聞いていると、
「なぁ、奥さん! 奥さんも黙ってないでこっちに交ざんなよ!」
突然、男性から声を掛けられてしまい、どうすべきか焦る。
すると、行動を起こす前にレオンさんが私の肩を自然と抱き寄せ、
「すみません、うちのは今ちょっと具合が悪いんですよ。実は――」
と、用意していた言い訳のひとつを披露し始めた。
私は私で具合の悪そうな演技として、レオンさんに身体を預け、フードの下であっても目を瞑って俯く。すると、レオンさんが私を安心させるように肩を優しくポンポンと叩いた。
そういえばベッドでも家の中でも、レオンさんから私は何かとポンポンされているような気がする。
そして決まってそれは私が緊張したり、動揺したりしている時で。
……ああ、甘やかされているなぁと。私はここにきて強く自覚してしまった。
途端に心臓の鼓動が早まるのを感じる。どうしよう。気づかなければ良かった。
レオンさんは、ここから仲間と合流する三日間が勝負だと言っていた。
裏を返せばそれは、三日間は私たちは二人きりということでもあって。
どうか無事に脱出できますようにと祈りながら、私は自分の胸に手を当てつつ、馬車の出発を静かに待っていた。




