婚約者としての生活
殿下の来訪の翌日には両陛下への謁見も恙無く済ませ、私は晴れて正式にゼノン・ヴァン・トランスファー王太子殿下の婚約者となった。
すぐさま王太子妃教育が始まり、三ヶ月後には御披露目の為に夜会が催されることが決まった。
慣れない王宮通いもあって目まぐるしい日々に付いていくのがやっとだった。出される課題や夜会への準備を必死でこなしていく。ただ、それでも私の心は幸せで満ち足りていた。
何故なら、
「すまないリーフィア、妃教育の上に夜会のこともあってかなり負担が大きいだろう? 体調は大丈夫かい?」
こうして度々、ゼノン殿下自ら私を誘い出して、二人の時間を作ってくれていたから。
この日も王宮内にある美しいサンルームへと連れ出され、可憐な花を愛でながら二人でお茶を楽しんでいた。
テーブルにはリラックス効果のあるカモミールのハーブティーと、疲れが取れると評判の大好きな甘いチョコレート。さりげない思いやりが嬉しい。
「殿下がこうして気遣ってくださるので、私は健康そのものですよ。ありがとうございます」
「それなら良かった。けど、無理だと思ったらきちんと相談して? なるべく力になるから」
「ふふっ……そのお気持ちだけで十分ですよ。殿下こそ、私との時間を作るために無理してはいませんか?」
「リーフィアとの時間は私にとっても癒しだから。それと、私のことは殿下ではなくゼノンと呼んで欲しいな」
「……はい、ゼノン様」
「本当は呼び捨てにして欲しいんだけど、まぁそれはもっと時間を掛けて、かな?」
微笑みながら紅茶を飲む所作の美しさに、ほぅ、と見惚れてしまう。婚約者候補の時に開かれた数度のお茶会でも、ゼノン様の立ち居振舞いは完璧だった。
それこそ、私をはじめ、婚約者候補四名全員が、この美貌の王子様へ恋に落ちてしまうほどに。
特にハリス公爵家のグレタ様は、恋慕の情を隠そうともせず、私や他の候補者を牽制していたものだ。
……グレタ様、か。今度の夜会では顔を合わせることになるはずだけど、大丈夫かしら……。
「……リーフィア?」
「え、あっ……す、すみません……」
物思いに耽っていた私は、ゼノン様の声にハッと我に返った。何か言い訳を、と考えたものの何も思い付かず、仕方なく本当のことを話す。
「……少し、昔のお茶会のことを思い出していて」
「それって、君が婚約者候補だった時のことかな?」
「はい。あの時は、まさか私が選ばれるなんて思いもしてなかったので……」
正直、もっとも爵位の高い公爵令嬢のグレタ様か、現宰相が当主であり政治的な発言力の強いアルマダ侯爵家のメイベル様のどちらかが選ばれると思っていた。
親王派である我が家と、勢いが目覚ましい伯爵家のご令嬢はただの数合わせで、本命は最初から二人に絞られていたのではないかと。
しかし蓋を開けてみれば、選ばれたのは私で。
確かにクライン侯爵家も伝統ある家門だし、親王派の象徴でもあるので王家の覚えもめでたく、表立って非難されることはない。
だけど、グレタ様やメイベル様の家のほうが、王家にとって関係を強化したい相手だったはず。
それでも、我が家を……私を選んでくれたことには、きっと意味がある。それが何なのか出来れば知りたいと思った。
「……ゼノン様は、私のどこをお気に召してくださったのでしょうか?」
「どこって、突然聞かれると返答に困るな……ちょっと待って」
「あ、いえ! 答えづらいのであれば聞き流してくださいませ! 失言でした」
「え? いや、その一言で答えられないってだけで別に答えづらいわけではないよ?」
その朗らかな声と表情に安心する。彼は紅茶で喉を湿らせると、私だけを視界に映して優雅に微笑んでみせた。
「最初は、その美しいピンクブロンドの髪を印象的だと思った。あまり我が国にはない色だから」
確かに祖母譲りのこの髪色は珍しい。褒められることも多いが、まさかゼノン様も気に入ってくれているとは思わなかった。
「それから何度かお茶をするうちに、君が甘いものが好きだと気付いて、でもそれを隠しているのも分かって、微笑ましいなと思った」
「えっ!? ……き、気付いておられたのですか……っ?」
「うん、特にチョコレートが好き、だよね?」
言い当てられて赤面する。自分ではうまく隠せてるつもりだっただけに余計恥ずかしい。
……ということは、いまテーブルに置かれているチョコレートも、やはりゼノン様が選んでくださったのかしら? 私のために、わざわざ?
……どうしよう、すごく嬉しい。弛む頬を抑えられない。あ、早く返事をしないと失礼だわ。
「はい、その、大好きです……」
「…………それは、うん。良かった」
そう言いながらもゼノン様は私から視線を外す。心なしか頬に赤みが差しているように思えたが、理由が分からない。もしかしたら部屋が暑いのだろうかと心配していると、軽く咳払いをしたゼノン様が何事もなかったかのように言葉を続けた。
「……きっかけはそんなところで、あとは会話をしていくうちに自然と惹かれていった感じかな。そしてリーフィアとなら、この国を治めていけると確信した。貴族としても一人の女性としても尊敬できる君となら」
「それは……身に余る光栄です」
「……本当は、君以外の候補を強く推されていたこともあるんだ。けど、他ならぬ私が君を欲したんだ。それは忘れないで欲しい」
こんなことをお慕いする方に言われて、舞い上がらない人間はいないだろう。厳しい王太子妃教育でさんざん練習させられている「何を考えているのか悟らせないための表情の作り方」を実践することも出来ず、私は俯いて顔を隠すのに精一杯だった。
そこへさらに、ゼノン様が追い討ちをかけるようなことをする。
「……かわいい、私のリーフィア」
するりと髪を、頬を彼の指が滑る。一瞬にして沸騰するような感覚になった私は、
「か、からかわないでくださいませ……っ!」
そう言って顔を真っ赤にしたまま、彼の指の感触に神経を磨り減らすことしか出来なかった。
この頃、一分一秒毎に、私はゼノン様への愛を強くしていた。忙しくて辛くて挫けそうになっても、彼への気持ちだけで心はあっさりと持ち直し、前へ進む原動力となった。
そうして迎えた、御披露目の夜会で。
私は残酷な現実を知った。




