騒動の帰結
王宮に詰めている医師たちが駆けつけ、グレタ様の処置を開始する一方で。
いまだに混乱の坩堝と化している大広間に、威厳に溢れた声という一石が投じられた。
「――――皆、静まれ。この時よりグレタ・ハリス公爵令嬢と医師以外の者は、その場から動くことを禁ずる」
ゼノン殿下の言葉に、会場中にいた貴族が一斉に口を噤んだ。
彼らの表情には困惑の色がありありと見受けられたが、ここで王家の命に逆らうような真似をする愚か者はいない。……ただ一人を除いて。
「――っ殿下!! 私に娘の傍を離れよと仰るのですか!!!!」
倒れ込んだグレタ様を医師と共に介抱していたハリス公爵が弾かれたように立ち上がり、殿下へと怒りを露わにする。対する殿下は眉一つ動かさず、公爵を見つめ返した。
「ハリス公爵、落ち着かれよ。なにもグレタ嬢の処置を後回しにするわけではない。治療に当たっている者は、速やかに彼女を救護室へ」
「何故! 何故私が付いていくことを禁ずるのですか! 娘の命が掛かっているのですよ!?」
「……その理由は、貴公が一番理解しているのではないか?」
国の重鎮たる百戦錬磨の公爵家当主を前にしても、殿下は全く揺らがない。
両者譲らずに場が硬直する中、凛とした声がその場に響いた。
「――殿下、発言をお許しいただけますでしょうか?」
間髪を容れずに許す、と殿下が頷くと、声の主――メイベル・アルマダ侯爵令嬢が一歩前に出る。
彼女は苦しみ呻き声を漏らし続けるグレタ様を横目でチラリと確認すると、
「グレタ・ハリス公爵令嬢が口にしたのは、毒ではなく香辛料等の刺激物を濃縮したものです。命に別状はございませんのでご安心くださいませ、ハリス公爵」
さも当たり前のことのように、そう口にした。
私を含めて、この場にいた大多数がメイベル様の発言に混乱するが、空気を読んで状況を静観し続けた。
ハリス公爵も呆気にとられたようにメイベル様と、己が娘を交互に見やる。
そうやってこの場にいる全員の視線を集めながら、メイベル様は貴賓席の方を仰ぎ見た。
「カペラ王妃殿下もご安心くださいな。大事な貴女のグレタ様は回復いたしますわ――だって、本物の毒はこちらにありますから」
言葉と共にメイベル様は手に握り込んでいたと思しき液体の入った小瓶を親指と人差し指で摘まみ、軽く振って見せる。
すると面白いぐらいに王妃殿下の表情から血の気が引いていった。
「な、なに……? どういうこと……っ!? あ、あなた……わたくしは、なにがなんだか……っ!」
王妃殿下が貴賓席から立ち上がり、救いを求めるように陛下の方を向く。
そんな王妃殿下の姿に、陛下はどこか淋しそうな、それでいて苦しそうな顔をしながら首を横に振った。
「……カペラ、私は最後までお前を信じたかった。だが……もう、手遅れのようだ」
「そ、そんな!? 何を仰るのです! この状況は一体どういうことなのですか!!?!」
愕然としながらも説明を求める王妃殿下に答えたのは、義理の息子であるゼノン殿下だった。
「どうもこうも……貴女とハリス公爵が私の伴侶、つまり次期王太子妃に、貴方たちの実の娘であるグレタ嬢を据えようとしたのでしょう。私の最愛の人を亡き者とすることも辞さずに」
――――場が、水を打ったように静まり返った。
あまりにも衝撃的な内容に、誰も口を開くことが出来なかった。
今の殿下の発言が事実とすれば、スキャンダルどころの騒ぎではない。
グレタ様が現王妃とハリス公爵の間に生まれた不義の子であり、その子供を犯罪的手段を用いて王家に嫁がせようとした――それすなわち、王家の乗っ取りを企てたとも言い換えられる。
「……殿下、よもや証拠も無しにこのような世迷言を、わざわざこの場で話したとは言いますまい」
ハリス公爵が怒りに肩を震わせながら、それでも毅然とした態度で発言した。
この状況下でこの切り返しが出来るだけで、公爵の手強さが十二分に伝わってくる。
しかし、殿下は想定通りの流れと言わんばかりに、すっと右手を挙げた。
その合図を受けて前へと進み出たのは、ほかならぬ私の兄で。
「ゼノン殿下の婚約者選定の折、グレタ嬢を推薦したのは他でもないカペラ王妃殿下でした。また、その時期から頻繁に王妃と公爵が密会していた証拠は押さえてあります」
「推薦に密会? その程度のことで事をここまで大きくしたとでもいうのか貴様……!」
「いえ、それだけではありません。17年前、カペラ王妃殿下が王家に嫁がれる前に、貴方と不貞関係にあったことを証言する者の用意もありますよ」
「そのような昔のこと、いくらでも捏造出来るではないか! 私は決して認めんぞ!! グレタは私と亡き妻の間の子だ! 王妃殿下とは一切関係ない!!」
激しく反論するハリス公爵の血走った眼を涼しい顔で見返すお兄様は、
「……ええ、そう仰ると思っておりました。ですから、動かぬ証拠を掴む必要があったのですよ。我が家の天使を巻き込むことになっても、ね」
そう言ってメイベル様の横に並び、彼女から小瓶を受け取った。
私を巻き込む、その言葉でなんとなく察するものがあった。
「この毒物は無味無臭で、一度飲み物に混ぜてしまえば気づくのはほぼ不可能です。さらに解毒も難しいため、我が国では劇物指定として王家が厳重に管理している代物。……ハリス公爵、貴方自身は決定的な尻尾は最後まで出しませんでしたが、貴方のご息女と王妃殿下はそうではなかった、ということです」
「…………何が、言いたい」
ハリス公爵の絞り出すような声に、殿下が応じた。
「そこで震えている女が貴様の娘にこの毒を渡したということだ。それが、動かぬ証拠だ」
王妃殿下はボロボロと涙を流しながら「違う……違うの……」と両手で顔を覆い、その場で泣き崩れてしまう。それを悲し気に見下ろす陛下は、しかし慰めの言葉も行動も起こさなかった。
もしグレタ様のことが事実ならば、陛下は長い間、王妃殿下に裏切られ続けていたことになる。
それが耐え難い恥辱であることは想像するまでもない。
同時に、私もやはり囮として少なからず死の危険があったのだと納得した。
もしグレタ様や王妃殿下の企みが成就していたなら、私がこの結末を知ることもなかっただろう。
「毒を盛られる直前で気づくことが出来たので未遂には終わったが、我が婚約者を害そうとした罪は極刑に値する。……さて、まだ何か言いたいことはあるか?」
「…………いえ、ございません」
潔く観念したハリス公爵は、一瞬だけ王妃殿下へと視線を向けた後。
「まったく、馬鹿なことをしたものだ」
自嘲気味にそう零し、無抵抗のまま騎士たちによって連行されていった。




