『幻想』
SFファンタジーです
ーーーそれはいつだって僕の側にいたし、それはいつだって遠い空の向こう側にいた。
ーーーそれはいつだって見えていたし、それはいつだって見えていなかった。
ーーーそれはいつだってそこに存在していたし、それはいつだってそこに存在はしていなかった。
自分が子供であると自覚しながらも、いつだって僕はそれに抱きついていたし、いつだって僕はそれに抱きつかれていた。
「それ」は人形だったのかもしれなくて、もしくは中に人が入った着ぐるみだったのかもしれない。いや、仮に着ぐるみだったとして、中にいるのが人だったというのは間違いだ。
中にいるのは恐らく、人智を越えた神か或いは奇妙に人を唆す怪異か、もしかしたら悪魔か天使の類いだっただろう。その正体を僕は知らないが、ただ事実として、人ならざる何かということは断言出来る。
そして僕は常にそれを探していて、僕は常にそれに探されている。
現在、今日 (?)この時間、この場所で。
今、六月 (?)朝、アスファルトの道路の上で。
全く、やっと陽が全部顔を出したところだというのにこんなにも熱気が漂うものか。
シュリーレン現象とかいった科学的根拠のある不快な現象のために生じた陽炎に、科学的根拠等皆無なそれの姿を重ねながら、僕は目的地までの道のり、それを探し歩いていた。
「今日は...何にしようか」
時に自分の一人称は「僕」であるが、それは次に時計の針が動いた時には「私」に変わるかもしれなくて、或いは「俺」やら「ウチ」、「アタイ」、「私」に変わるかもしれない。もしかしたら「妾」やら「小生」やら「拙者」やらにもなるかもしれないが、まだなったことがないからわからない。
「ビビディバビディブーは...夢がありすぎる」
ーーーポタ、ポタリ
「サラガドゥーラ?メ...メチカブーラ?ああ、これはこの間使ったばかり」
音を立ててアスファルトを跳ねる水滴。
「そういえばどういう意味だっただろう。...いや、意味はなかったか。たしか語呂合わせか何かで。隅々まで考えられていそうな雰囲気を持ちながら意外にも重要にみえる歌詞がぞんざいときた」
ーーー汗 (?)
そりゃシュリーレン現象やらが起きるほどなのだから、一雫くらい汗が滴ってもおかしくない。
ーーーでもこれは
「あぁ、そういえば一番の有名どころをまだ使ったことがなかった」
ようやくアスファルトの道路を抜けて、今度は森に入る。全く手入れなどされていないここはざわざわと頓狂な方向に散らばるようにのび生い茂る枝葉で空が覆われていて、先程まで僕に容赦なく照りつけていた強すぎる日差しは多少の木漏れ日のみとなったが、むせ返るような熱さは変わらない。腰まで繁った草一本一本から滴る数多の雨の残り粒のせいだろうか、寧ろ熱気は増したようにすら思う。
ただでさえ大量の汗で湿った服が、草花の水滴が纏わりついて足、腰、ししどとなってゆく不快感。のびすぎた草花のおかげで足を一歩前に出すだけでもいちいち体力を持っていかれる。僕はまさしく疲弊困憊で、既に息も絶え絶えだ。かといってここで立ち止まれば一刻と立たないうちに熱中症やら脱水やらで今度は命を持っていかれる。
立ち止まることは許されないーーーと、控えめにいって最悪の気分だ。
そして僕が味わっていた最悪を断ちきったものが突然巻き起こったスコールなのだから全く救われない。
断ちきった、とはいっても、また別の最悪が覆い被さり、更に酷い新たな最悪になったというだけなのだが。
これ程の最悪を表す言葉を僕は知らない。適当に「最々悪」とでも名付けようか。
つい五分前まで全身で地面を照りつけていた太陽は完全に雲に隠れたようで、気付いてみれば辺りには木漏れ日一つ見当たらない。不気味に薄暗くなった周囲には、代わりに水鉄砲の如く勢いのよい雨が降り拉きはじめ、こめかみに当たった雨粒は、僕の汗を溶かし流した。
かといって涼しげになったかといわれると全く以て肯定はできない。雨粒は冷たさとは無縁で、寧ろ暖かいという表現の方が妥当ではないかとすら思う。その暖かい雨粒は風呂に潜ったように、ししどーーーどころではなく僕の全身を濡らしてゆく。
一瞬にして足の爪から髪の先に至るまで余すことなく濡れた体は、かえって不快感こそなくなったが、溢れ返った水蒸気で空気中のむしむし感が増し、熱中症の危険度というパラメーターで例えるのならば、優にマックスを越えているだろう。
この「最々悪」を脱するために、豪雨の中、僕は鉛の靴でも履いているかの如く重い足をなんとか踏み出し、一段と重くなった草を掻き分ける。
向かう目的地ーーー、そこは家のような場所で、少なくとも雨が凌げる。そして恐らくシャワーがある。エアコンの有については期待できないが、扇風機か少なくとも団扇くらいはあると思う。いや、切実にあると願いたい。
暫くすると草花の背丈が落ち着き、膝辺りまでとなっていた。それでも歩きにくいことに違いはないのだが、「最々悪」の中ではこんな些細なことでも心掬われる。雨はといえば全く勢いがおさまる気配はなく変わらず降り続けているが。
それにしても、スコールが一過性とはいえあまりにも空模様の変化が激しすぎる。つい数時間前にもスコールが降り拉いていたじゃあないか。
やはり昨今の異常気象のレベルは「異常」どころではないと改めて実感する。「人ならざる力」のせいだろうか。
それからまた少し歩き、多少開けた場所。やっとのことでたどり着いた目的地ーーー家だ。
家とはいえどそれは小さく、小屋という表現が妥当ではないか。更には屋根全体を覆うように蔦が伝い、板を適当に張り付けたような壁は朽ちかけていて今にも崩れ落ちそうである。
それでも僕にとっては利運この上なくーーーいや、今の心境のみに関して言えば、道中、熱中症やら疲労やらで命を持っていかれる前にたどりつけたことへの安堵が強かったかもしれないが、何にせよ胸を深く撫で下ろしたのだった。
僕は家もとい小屋の、大きな庇に隠れた扉を見つけると誰もいない扉の奥に向かって
ーーーコンコンコン
ノックを三回。
「開けゴマ」
そう唱えた。
この言葉に関しては、アラビアンナイトの盗賊のお話からの引用。何だかんだといって僕はその物語の内容をほとんど知らないけれど、これはあまりにも有名な呪文だ。
そんな呪文を唱えて、本来ならば石の隠し扉が轟音と共に開くはずなのだが、そもそも木でできているうえに、隠されておらず、鍵すらもかかっていない眼前の扉が、こんな科学の時代において馬鹿げた呪文ではピクリとも動くはずがなく、仕方なく自分の手でドアノブに手をかけ鉄の冷ややかさを感じる。
ドアノブはどうも錆びているようで、ギィギィと耳障りな音を聞きながら精一杯力を込めて、更に使う予定がなかった左手まで動員して、尻餅による尻の痛みと引き換えにようやく扉は開くのであった。
開けゴマーーーこの言葉が魔法のように扉を開かせる効果はなくとも、何の意味も持たないわけではない。
言葉自体はなんでもよかったといえばなんでもよかったのだが。
前には「生麦生米生卵」やら「ちちんぷいぷい」、時には「痛いの痛いの飛んでゆけ」などであったこともある。
ただ今回は「開けゴマ」であったと、それだけだ。
今、現在 (?)、この時、今しがた、人ならざる力を以て、三回のノックと共にこの言葉が眼前の家の名称となった。
人ならざる力ーーーとは曖昧な呼び名だが、それ以外によい呼び名がないのだから仕方がない。魔術や呪術の類いとは異なり、敢えて言うならば『幻想』に近い不可思議な力だ。
ただ先述したように、魔術やら呪術やらそんなメルヘンチックなものではなく、僅かな光のエフェクトすら発生せずにその力は働いた。
と、まぁこういうわけだ。
仮に何の意味も持たずに開けゴマを発したのだとすれば、巷で囁かれる中二病もいいところである。生憎僕はそんな荒唐無稽な病にかかった事はないーーーと自覚している。まさしく中ニのころ、多少魔法やら眼帯やらに憧れた覚えがないと言えば嘘になるが。
ついでながら、皮肉にも今右目には眼帯紛いの布を巻いている。ただ、お飾りではなく歴とした役割を持ってだと補足しよう。
さて、家の中といえば外見で想像した通りであった。
壁同様、乱暴に張り付けたような木板で組まれた小さなキッチンがはじめに目に入り、すぐ隣に茶色いカーテン。恐らく奥にシャワールームがあるのだろうが、注視するべきはカーテンだ。裾はヨレヨレで、あちらこちらシミだらけ、よく見ればこのカーテンはもともと真っ白だったのではないか。どうすればこんなにも茶色く染まるものかと感心まで込み上げる。
総評としては、見るところ見るところボロ臭く、その上小さい。もしもこの家で一生住むように等と言われた暁には全力で抗議せざるを得ない。雨粒が天井から染みだしていないのが奇跡だと思うほどである。
僕はといえば、扉を開けたと同時に頭に降り被った大量の埃が濡れた頭の水気を吸い取り、髪一本一本に絡み付いてゆくのを感じては絶望に浸っていた。ただ、雨や直射日光が凌げるだけ有難い、と腰をあげるまでに時間はかからなかった。
そして何より家の名称を「ビビディバビディブー」にしなかったのは正解だったと心から思う。
あれはキラキラと輝く魔法とプリンセスの世界だ。
世界観の相違としては「開けゴマ」も大概だが、「ビビディバビディブー」よりはよっぽどいいのではないだろうか。
敢えて言うのであれば「くわばらくわばら」なんかが一番よかったのかもしれない。
時にグリム童話のシンデレラでは、二人の義姉は足をガラスの靴におさめるために、それぞれ親指とかかとを切り落としたそうだ。そしてそれを指図したのが継母。つまり義姉の実の母親であって、彼女は娘を王子に嫁がせるためならば娘達に自傷させることも厭わなかったわけだ。
継母の言動は、恐らく、世間一般ではキチガイやら異常者やらの評価が妥当だろうが、彼女が何を以てしてそこまで王子との結婚に拘ったのか、僕に全く見当がつかないと言えば嘘になる。
何にせよ僕にシンデレラのようなプリンセス役をやれというとんでもない頭の持ち主はいないだろうが、おまえには継母役がお似合いであると、そう侮蔑混じりに言う人間ならばいるだろう。金、権力、名声、確固たる地位 (?)そしてーーー自分の欲望。それらを満たすためには手段は厭わない、と。
何とも不名誉ではあるが事実であるが故否定はできない。もし、相対してそういった風に罵られても、僕は反論も出来ずに相手を睥睨することに全力を注ぐ他ないだろう。
ただ、そのように僕を罵る輩が多くはいないのには、あまりにもディズニーのシンデレラ作品が有名で、彼女が嫌な継母だとは知りつつもそこまで非道といったイメージが世間にないからだろう。何だかんだといって中途半端に意地悪で間抜けな悪役では僕への蔑称には足りないと、そういうわけだ。
そんな世間の目口がある以上、僕は大手をふって歩けない。横行闊歩する勇気などおきない腰抜けというわけではあるが、まあ、この時代にそんなレッテルと侮蔑の言葉を背負って今日まで生き延びているわけだから多少の勘弁はしてほしい。
今しがたこんな辺境な小さな家に来ているのもそのためだ。
「人ならざる力」を頼って、時に穴蔵だったり河川敷だったり、人様の家の屋根裏だったりを点々と勝手に寝床にしている。
時に前回の寝床はコウモリが住み着く洞窟だったのだから、それに較べれば、少なくとも家である今回はそれだけで万々歳だ。電力が通っていないなどと文句を言ってはこの先生きられないーーーと、電力がなければ電気もつかないわけで、家の中は甚だ薄暗い。
電球の代わりに、入り口のすぐ近くにある小さな戸棚の上にはマッチとランタンが置かれていた。
太陽が完全に雲に隠れている今、明かりがなくてはなにもできない。マッチを擦るが、どうも湿気っていたり湿っていたりとなかなか点かない。ただ空間にカスカスという間抜けな音だけが響き、もうダメかと諦めかけたところだったが、十数本使い果たしたところでようやくマッチの先に火種が灯り、急いでランタンの中のろうそくに火を移す。
ボワリとランタンの中で揺れる橙色の炎は、非常に神秘的に家の中を照した。
灯火によってふと眼前にあった鏡に写し出された「私」の顔ーーー酷く無様で滑稽であると「誰か」は言うだろう。
頬をゆるり静静と伝う。
分かっていたんだ。
恐らくそれは遥か昔、始めからずっと、ひとりでに溢れ続けていた。
ーーーあぁ、涙だ
ーーエピローグーーーーーーーーーーーー
「人ならざる力」とは確かに人智を越えた力ではあったのだろうが、そんなに特別なものではない。自然からいつの間にか滲み出ていて、気付けば自然に還っている。
それが恐らく自然の摂理というものであり、「人ならざる力」の本質なのだと思う。
冒頭に出てきた「それ」は恐らく存在ではなかった。「それ」が何であるか断定はさせないが、敢えていうのならば感情やら不確定要素の塊といったところだろう。
「僕 (私)」はずっと涙を流し続けていた。
そしてそれに気付かないふりをしていた。
如何なる涙だったのか、涙というものは一定の感情からのみくるものだけではない。辛苦から流すものもあれば、何かを憂いたり不安になったりして流すものもある。かと思えば嬉しい、楽しい、喜ばしいといった正の感情から流すものもあり、或いはただ単に欠伸につられて流すものもある。
さて、「僕」はどうして涙を流し続けていたのだろうか。
また、何故「僕」の一人称は一つに確定しなかったのだろうか。
ーーーさあ、僕ハ何者ナノダロウ
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
このお話はここで完結になります。
短編ははじめて書きました。
ふと思い付いて書いたもので、はじめは長編にしようかと考えていたのですが、結局こういった形に落ち着きました。
「思うままに書いた」という感じで、文体もまさに心の中で思っているままなので、分かりにくいところがあったかもしれません。
それでも読んでいただいた方には感謝しかないです。
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