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前編③


「フェイリム! みんな心配していたんだよ。折檻されているんじゃないかって、大丈夫だった?」


 彼は椅子の上に胡坐を掻くという、少しばかりお行儀の悪い座り方で出迎えた。こちらの顔を認めてぎこちない笑みを浮かべる。いつも遊びに行く時に拾って手に持つような手ごろな木の棒らしき物を持っていた。


「どうしたの、そのこん棒みたいな奴」

「今朝で五本も折ってしまったからね」


長さも太さも、ちょうどパン工房の奥で職人の人が扱うものに太さが一番良く似ていた。近くでよく見ると、先ほどの魔術師が手に持っていたのとよく似た、魔力を操る細身の杖を数本、紐で括った物を持たされているようだった。


ベアーテはようやく、彼に何が起きたのかを悟った。魔術師達の所属する機関が貸し出した高価な水晶玉をうっかり壊したのではなく、彼は自分の中に眠っていた素養の片鱗を見せつけたのだ。


「僕って実は、ちゃんと訓練すると偉大な魔術師になれるらしいよ」

「……すごいじゃん」


 ベアーテは彼の、どこか投げやりな話を聞いた。当初、水晶玉を破損させてしまったので大騒ぎになってしまった事。他の魔術師達とは違う結果が出てしまったので、事実の確認に時間が掛かってしまった事。どうやら既に両親とも話がつけられていて、今後は領域の魔術の習得に励む事になるのだと。


 ベアーテには先に話しておこうと思って、と彼は言う。いつから始まるの、と尋ねて見ると、今すぐにでも始めたいらしい、という返事だ。彼はそれを口にした後、疲れ切っているかのように俯き、何か考え込んでいる様子である。


 呼び出してごめんね、と彼が歯切れ悪く呟くのを聞きながら、ベアーテは改めて周囲の様子を見まわした。彼が座っている椅子以外に、家具らしきものは見当たらない。代わりに壁一面、古く分厚い蔵書が立ち並ぶ書棚になっている。教会にだって、こんなに立派な書斎は見た事がなかった。


 一応、仕事を任された身として、ベアーテはどうやって持って来た食事を摂るべきかを考えなければならなかった。そもそも、ここで食べていいのかという疑問が浮かぶ。この建物のどこかに魔術師達のために用意された食堂があるとの話だったので、書斎よりは相応しいように思われた。

 一旦この部屋の外に出て、ベアーテをここまで連れて来てくれた、ヴェルナーかエイミーという魔術師に確認した方がいいだろうか、と思案していると、フェイリムが再び口を開いた。


「……知らなかったんだ、杖だって初めて触ったから」


 彼は途方に暮れたように、こちらを見上げた。軍人さんになりたい、と無邪気に木の棒を打ち合わせた親友はしょんぼりとしている。魔術の適性あり、とされたら余程の事情、高位貴族の跡継ぎ息子か、死に至る病で余命数日、くらいの事情がないと断れないとされている。


「それでね、ベアーテ。本題なんだけど。これから魔術師として≪魔の森≫へ行く事になったら、身体に色々な変化が現れるんだって」


 まず髪の毛の色、と彼は自分の赤茶色の猫みたいな髪を示した。銀の髪に、とそれだけに限ればカッコいいような気もする変化だが、魔術の行使の悪影響、と続けられると、ベアーテも軽口をたたくどころではない。

 先ほどの女性魔術師の、不自然なまでに肌を見せないようにしている恰好が頭を過った。


「だから僕もそのうちに、あんな暑そうな恰好で動き回るし、見た目と、性格も変わって別人みたいになる人もいるんだって」


 フェイリムの言葉を聞いて、魔術師達の横柄な態度が気に障る、とそんな噂話もあった事を思い出す。それは高額な報酬と特別な身分を得るからだと思い込んでいたが、自分の意思と関係なく起こる事らしい、と彼は暗い顔をしていた。

 ベアーテも、店に来た魔術師の父に対する振る舞いは確かにどうかと思っていたが、あれも魔術の行使による悪影響なのか、と少し何とも言えない気持ちになってしまう。店に戻ったら、あの人は好きで横柄な態度ではなかったのだと、と父に取り成しておいた方がいいのかもしれない。


「魔術師になったら、そのうちに僕は僕でなくなるかもしれない。少なくとももう、軍人さんにはなれないし」


 だから、と神妙な面持ちの彼はこちらをようやくまともに見た。いつも元気で明るく笑う彼の表情に、悲しみが浮かぶのを初めて目にする。


「……ちょっと待って。大切な話をする時に、お腹が減っているのはよくないよ」


 力なく笑う彼を慌てて制止した。待って待って、と大袈裟に繰り返さないと、こんな状況なのに、親友のフェイリムなのに、何もかも落ち着かない。色気より食い気か、と呆れられるより、どうにかしてこの暗い話題のままではまずい、と思考を巡らせた。

 今日は魔術師の人がお店に現れてから、何もかも驚く事ばかりである。今までの人生で一番びっくりした日、とベアーテは家に戻ったら日記に書こうと思った。


「すっかり忘れるところだった、こんな時のためにこそ、≪お腹を満たす幸せの魔法≫があるんだよ」


 何それ、と困惑しているフェイリムに、内緒だからね、と行儀が悪いのは承知でふかふかの絨毯の上に腰を下ろし、持って来たお持ち帰りセットをカゴから取りだした。とりあえず食べて、と彼にも無理やり一つ押し付け、ベアーテは自分の分を開封した。

 怪訝な表情のフェイリムに、美味しいご飯の作り方を極めると使えるようになるんだよ、と解説した。まるで本当の魔法みたいに、父の料理を食べる事で起きる、不思議な出来事をいくつも挙げる。

 そして娘のベアーテにも父のように、一流の料理人になるまで技術の習得に打ちこめばいつかできるようになると言ってくれた。ベアーテはそれを信じて店に立っている。


「……ここの人達のために、わざわざ腕利きの料理人を雇っている、って話だったから、魔術師だって食べる事からは絶対に逃げ切れないはずだ」


 包み紙を破くと、パンに野菜と特製のさっぱりとしたソースと共に、美味しい揚げ鶏が挟まっている。ざくざくとした衣もしっとりとした皮も身の部分も、脂っぽさを少しも感じさせない。野菜やパン屑を落とさないように集中しながら半分食べ終えると、お腹が空っぽだった時とは明らかに違う。身体は温かいご飯で満たされ、気力や活力と呼ばれる働きへと変換される、それが確かに感じられた。


 味はどう、と彼に尋ねて見ると、彼も少し顔色が落ち着いたように見える。美味しい、と彼がしみじみと呟いた。それを聞いてようやく、ベアーテもまた美味しいお昼にようやくありついた気がする。そうして元気のない様子はどこへやら、お腹が空いていたのか、がつがつと食べ進めるフェイリムの顔を見つめた。

 魔術師になったら本当に、本来の容姿や彼の美点である気の良さや優しさはどこかへ消えてしまうのだろうか、とそれはとても恐ろしい事に思える。

 けれどそれが一番苦しいのはフェイリム本人なのだから、ベアーテまで右往左往するばかりなら、とても親友は名乗れない。


「フェイリムがすごい魔術師になるなら、私は父さんよりすごい料理人になる。親友の誼で、お互いそれを見届ける事にしない?」

 

 ベアーテは突然の宣言に驚いているフェイリムに、半ば無理やり約束させた。父を超える、それは腕前を世界で一番よく知っている娘の立場からは、途方もない道のりに感じられた。お店の切り盛りの一端を担うために、身につけるべき事柄は山のようにある。経理作業に商会や、父の方針を受け継ぐのなら教会とだって対等にやりとりをしなければならない。お客さんへの接し方は丁寧でなければいけないが、しかし卑屈になるのもよろしくない。

 

 

「……それならベアーテも、君は僕のお隣さんで、一番の親友だし、一番好きな女の子だって、忘れないで」


 よしよし、と咄嗟の思い付きにしては上出来だと悦に浸っていたベアーテが、今度は思わず目を瞠る番だった。彼の綺麗な形の目は真剣で、どこまでも本気だった。


「……私は、私も好きだよ。同じ物を美味しいって食べてくれるフェイリムが大好き」 


 自然と口をついて出たのは、その場しのぎの慰めではなく、ベアーテの本心である。フェイリムは何度か瞬きをした後、ようやくいつもの元気いっぱいの笑みを浮かべてくれた。

 座り込んでいた二人は、どちらからともなく立ち上がる気力を取り戻した。服の裾に埃がついていないかを入念に確認する。

 よし頑張れる、とベアーテはいつものように木の棒を打ち鳴らすのをやろうとして、何も持っていない事に気がついた。

 フェイリムもそれに気がついたらしく、束ねた杖を持っていない方の手を差し出す。いつも街を走り回っていたのと変わらない繋ぎ方をしたまま、二人は部屋を出る事にした。


 これが最後になるかもしれない、という不安を振り払うように、代わりにできるだけ長くこうしていられる事を、ベアーテは自分にだけ聞こえる声でこっそりと祈っておいた。

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