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ある夜のこと

 彼と出逢ったのは私が六つの頃だ、父の営む道場の門下生としてやってきた少年の名はリュウ。どうも私の父と彼の両親が古い馴染みのようで、男児たるもの剣のひとつでも扱えねば……ということで無理やりに入門させられたらしい。


 リュウは気弱で大人しい気質の男で刀を振るうよりは、日がな一日考え事をしていたり、本を読んだりしているほうが性にあっているらしく剣技に関してはさっぱり才能を示さなかった。


 日々苦しいばかりの修練をこなし、家に帰る。その様子をみた彼の両親は我が子を千尋の谷に突き落とす思いで道場に……私の家に居候させることにした。そこからリュウの剣術漬けの毎日がはじまる。



 かく言う私は道場の跡取り娘、名は牡丹。私を産んで亡くなった母がこよなく愛した花の名だ。母があの世から私を愛でてくれるようにと父がつけてくれた。


 リュウに対してとやかく言ったが私自身もそれほど剣術に才能があるわけでもなく、また熱心でもなかった。やがては跡目を継がねばならない、そういう意識の下で厳しく育てられたというだけだ。単に他人より練習量が多い、それしきのことなのだが……


 歳も近く姉弟子たる私がリュウの面倒を見ることになってしまった。リュウが居候をはじめた日の朝、父から告げられたのだ。如何せん才能もやる気もないリュウを手余しした父に面倒を押し付けられたと言ってもいい。


 それから五年、年上の弟弟子となったリュウに剣の手解きを続けた。どうしようもない無能者に何かを教えるというのは骨が折れる、片時も離れることなく二人で稽古に明け暮れ、ようやく人並みになったか……そう思いはじめたある日のことだ。二人で隣町まで使いにでることになった。


「牡丹ちゃん、支度はできた?」


「ちゃん付けはやめろと言うに……お前はどうなんだ?」


「ああ、僕は届け物と財布以外は持っていかないからとっくに」


「私もだ、なら早く出よう。隣町とはいえ距離はそれなりだ」


「そうだね、夕飯までには帰りたいし……」


 父は家事などからっきしなので私とリュウとでやる必要がある。私達が遅くなれば稽古でクタクタの父を待たせてしまうだろう、それでは申し訳がないので早めに帰りたい。


 急ぎ隣町へと向かい届け物を済ませた私達は帰路を急いだ。



「あっ、ねえ牡丹ちゃん」


「なんだ?急がねば日が暮れるぞ」


「いや、牡丹ちゃんってあんまりその……」


「はっきり言え、何なんだ」


「う、うん。あのこういうのって興味ないのかなって」


 リュウが指差した先には露天商が一人、簪や櫛の類を扱っているようだ。その中で一際目を引くもの……牡丹の飾りのついた簪がひとつ……


「興味と言われてもな、生まれてこの方このようなものには縁がない」


「ならどうかな……僕がこれを君に贈るよ。きっととても似合うと思うんだけど」


 そう言って彼が手にしたのは牡丹の簪だった。


「いや、いい……稽古くらいしかやることのない私には使い道のないものだ」


「そんなこと言わないで、ほら合わせてみて……」


 彼が簪を私の頭にあて、うんうんと頷いている。何を一人で納得しているのだろうか……


「とても綺麗だよ、すごく似合ってる……おじさん、これください」


「おい!いるとは言っていないだろう!」


「僕がどうしても君にもらってほしいんだ、頼むよ」


 そう言って彼は強引に簪を手渡してくる。仕方なく受け取ったものの、心の奥底にある熱い何かを意識せずにはいられなかった。



「簪か……こんなものいつ使えばいいのやら……」


 家に帰った私は鏡の前で一人呟く、彼がそうしたように頭にそれをあてがって、自分の姿をみてみた。


「ほう……こうすれば私もいくらかは女らしくなるんだな……なるほど……」


 自分らしからぬ姿に一人笑う、彼はこういうのが好みなのか。手にした美しい簪をじっと見つめ思う、この美しさに見合う女になれば彼も喜ぶだろうかと。昼間の彼の笑顔が脳裏を過る……私は記憶の中の彼へと微笑み返し、貰った簪を握り締めながら眠りについた。



 その日の真夜中のことだ、道場の方からの叫び声で目を覚ました私達が何事かと駆けつけると真剣を手に何者かと対峙している門下生達がいた。幾人かは血を流し倒れている。


「お師匠様、強盗です……すみません私達では抑えるのも無理なようで……」


「強盗とはいえ結構な手練れのようだな……あとは私にまかせ下がりなさい」


 父がそういうと門下生達は父と強盗を囲むようにして身を引いた。父が刀を抜き強盗へと切っ先を向けたその刹那だった、強盗のうち、中でも手練れの者と思われる一人が一瞬のうちに踏み込み父を逆袈裟に斬り伏せたのだ。


 正に一瞬の出来事で、見守る私達にも何事か理解することが出来ずにいた、父が崩れ落ちるその瞬間までは。


 門下生達が慌てて飛び出して倒れた父を引き離し、何人かは強盗へと立ち向かっていった。僅かばかりの猶予のなか瀕死の父が告げる、二人で逃げろと。

 私はそれを固辞したがリュウは言葉もなく私の腕を掴んで走り出した。


「離せ!父上を置いてはいけない!!」


「駄目だよ牡丹ちゃん、おじさんでも歯が立たないような奴がいるんだ……それにもう一刻の猶予もないよ、皆……斬られる」


「何を言うか!この軟弱者!!いいから離せ!!父上の仇を取るんだ!!」


 そう怒鳴りつけた直後のことだ、あの手練れの強盗が夜の闇の中からゆらりと現れた。


「牡丹ちゃん、行って」


「何?!何を馬鹿な!二人で父上の仇を――」


「駄目だよ……牡丹ちゃん、君は逃げるんだ」


「そんな……お前なんか一瞬で……」


「そうだと思うけど、その一瞬でも長く君には生きていて欲しい……牡丹ちゃん、僕は君のことが」


 彼の首は全てを言い終える前に宙を舞っていた。私は恐怖にかられ無我夢中で走った、頭の中は真っ白で仇討ちだとか何だとか全ての思考がどこかへと消し飛んでしまったままに、どこまでもどこまでも走って走って……逃げ出した。口ではいくら恰好をつけたことを言っても年端もいかない小娘の本性など、こんなものかと思うと笑えてくる。


 握り締めたままだった牡丹の簪を見ると止め処なく涙が溢れ、何処とも知らぬ森の中で私は一人いつまでも泣き続けた。




 ――――またあの子の夢か……これは……いつかの私……私だった牡丹という娘の記憶……

 まどろみの中で今みた光景が夢だと悟る。なぜ今この夢を……私には知る由もないことだが何かを暗示しているのだとしたら一体どんな意味があるというのだろう。


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