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道にある使用済みコンドームを見てしまうのは人間の性なのか

作者: 中川洋太郎

普段は目に入らないものが視界に入った。3年通う通学路で、こんなものが道路の真ん中に落ちているのは初めてだ。

くだらない、と思った心とは裏腹に少し眺めてしまう。

とはいえあと1秒もすれば地面に落ちたそれは歩く僕の後ろに流れていき、もう目にすることはないだろう。僕は通り過ぎ、それは視界から消えたー


「ねえ、見てたでしょ。」

そんな声が聞こえたが、その女の声の矛先は僕ではないだろう。いや僕ではないと信じたい。

「ねえってば。」つかまれた。

右腕のコート、その肘あたりをつかんでくる。駅から大学へと続くこの道で出会う友人はいない。だからこそ僕は僕に話しかけられたと思わなかったし、まあ確かにそれを見ていたのは事実だが、あんなものが落ちていれば僕でなくとも見てしまうだろう。

「なんですか?」振り返りながら声を出した。

振り返って、顔をあげて、少し静止してしまう。

こんなに奇麗な人が、こんなに無垢な人がいるのか、と生まれて初めて思った。


「お喋りしましょう。」その人は名乗らないまま、子供みたいなことを言い出した。普段なら絶対に断るし、そもそも怪しすぎる。知らない人にはついていかないーそれこそ幼稚園児が一番最初に言われる教えをこの人は知らないのだろうか。

「私は怪しくないわよ。」それが怪しい。3限目登校なので通学路に学生はいない。そもそも通っている大学も街はずれで基本的に大学近辺に人が出てくるのは朝か夕方だけだ。

「どっかでお喋りしましょうよ。」遊ばれてんのか?ジャン負けとか?陰で友達が見てクスクスしてるとか。まさか逆ナンとか美人局じゃないだろ。もっとイケメンや金持ちそうなやつ狙えって話だ。20代半ばくらいの見た目的に、路地に連れ込んでカツアゲしてきそうなヤンキーとかとつるんでるってことはなさそうだが。

「あなたしかいないわ。」不安が伝わったのかそう言ってきた。なぜか相手も不安げだ。台詞だけはちょっと恋人っぽいが、そんな程度の言葉でついてくると思ってるのはシンプルに馬鹿だろう。

それでも友人に授業に出られない旨をスマホで伝えノコノコと二人で歩きだしてまった僕も馬鹿なのだろう。別に美人に弱いとは思わないが、ここまでだと、さすがに授業より優先してしまう。今日の3限は大教室の座学だ。明日の昼飯を餌にレジュメを買えばいい。


「どうすればいいの?」満足げにカフェに入ったその人は頼み方がわからないと言った。まあここのサイズ表記は独特だ。SMLではないやつだ。

なんでもいいというその人を席に待たせ、コーヒーとモカを買い僕も戻った。大学生には大金ではないが馬鹿にもできない出費だ。当然のように払う気をなさげにしている点にムッとしないこともなかったが、これだけの美人だ、男に払わせて生きてきたのだろう。別に僕としても数百円を気にする器量の小さい男と思われるのは嫌なので口に出したりはしない。それになんだかそっちの方が周りから恋人同士に見えるのではという安い自尊心もあった。そして何より、美人のわがままは男の中ではカウントされない。


「甘いわ。」彼女は笑顔でモカを口に運んだ。見惚れる。別に人生で女性経験が0ではないし、女友達だっているがそれでも群を抜くほど端正な顔立ちだ。


「よく気づいたね。」これから何を話そうかと逡巡する僕にいきなりその話題から入った。「まあそれは」適当にお茶を濁した。ここから先の単語は、いくら客がいないからと14時のカフェで口に出していいとは思えない。

「使用済みコンドームなんてあんなとこ落ちてないもんね」何とも言えない笑みとともに、それでも何の躊躇いもなく彼女は言った。あまりにもさらっと言うので僕の方もリアクションが取れず「そうですね」と流れるように言ってしまった。そんな言葉は使い慣れているようなビッチ、というよりむしろ何の感情も込めていないGoogleの音声に似ていたかもしれない。正直僕が「それ」がきっかけだったからこそ僕はついてきたというのもある。「ワンチャン」というやつだ。


「見つけてくれてありがとう。」何言ってるんですか、と返す前に「そのおかげでこうして話せてるわけだし。」と続けられたので、僕は台詞を取り上げられた気分になった。「そういえば、あなたの名前は?こうして僕はホイホイついてきちゃ・・・」

「ああそうね。」

「名前はね、ないよの。」そんなこともまた、彼女はさらっと言った。


「私に名前はないの。」ああはいそうですか、というのが大人かな。まあ見ず知らずの男に名乗る義理もないし。僕はよく知らないが、キャバクラとかだと別の名前を使うと言うし―

「私はね、生まれなかった命なの。」それも流すのが大人だろうか。


「私は生まれなかった命なの」「生まれる前に消えた命」「だから名前はないの」「ありがとう、見つけてくれて。」

逃げようかな。僕は一瞬迷った。電波系ってやつか?でも席を立つ気にはなれなかった。付き合ってあげるのが大人だから?そんな理由はただの正当化の言い訳だ。

「聞きたい」と思ってしまった理由付けだ。


「人の存在は認識だから。」「誰かに認知してもらったとき、人間は存在するの。だから誰にも認識されなかったらそれは存在してないのと同じなのよ」「でも私は、あなたが見つけてくれた。」「だからここにいられる。」

質問ではなく同意を求める語調だった。いや、そうですらない。これは事実を告げる語調だ。何を言っているのか、意味がよくわからない。僕は思いだす。道に捨てられていたー


「でも私はもうすぐ消えるの。」ふと我に返った。からかわれてる?でもこの時わかった。なぜ先ほど席を立たなかったか。僕は彼女の言葉を信じている。こんな荒唐無稽な話を信じている。

20年の浅い人生だ。嘘を本当だと思わされたことは山ほどあるが、本当のことは本当だとわかる時がある。今は、それだ。


「だからあなたに見てもらえてよかった。」消える前に、と彼女は続けた。消えるってなんだ。幽霊みたいにだんだん透けていくのか。それとも僕の記憶からいなくなるのか。「いいんですか、僕なんかと話していて。時間がないなら、もっと大事なことがあるんじゃないですか。」

意図せず少し意地悪な言い方をしてしまった。訂正しようか迷っていると彼女は良いのよ、と言った。「何をすればいいかわからないもの。でもね、きっと生まれた後の私は、誰かと話したいとは思っていたはずなのだから。」


「何になりたかったのかしらね、生まれた後の私は。」そんなことを聞かれても僕にはわからない。でもその容姿なのだから、親や周りの人からモデルや芸能人になるのを勧められただろう。もちろんそんなことは恥ずかしくて言えず、「なんでしょうね。」とそっけない対応をしてしまった。余裕ぶりたかっただけだのはわかっている。


「あなたは何になりたいの?」彼女はそれからいろいろなことを聞いてきた。学校、暇な時してること、趣味、友人、恋愛。僕は何個かはちゃんと答えたし、何個かはちゃんと答えられなかった。それでも彼女は満足そうに聞いていた。しがない大学生の話の何が楽しいのか疑問に思って聞いてみると彼女は言った。「解答がなくても答えがあるならば、それは素晴らしいことよ。」


「それじゃ、私はもう行くね。」30分ほど話すと、彼女は立ち上がりかけた。「待って。」と反射的に僕は声をかけていた。聞きたいことはたくさんある気がする。話したいこともいっぱいある気がする。だけど何を言えばいいかわからない。でも何か―


「きっとそれほど奇麗なあなたなら、芸能人やタレントになっていたと思いますよ。」口をついたのは言えなかった言葉だった。


「・・・ありがとう。それを聞けてよかった。」「人間の存在は認識だけれど、存在する意味は承認ね。」やっぱりよくわからないことを彼女は言ったが、それがお別れの言葉だということはわかった。


その人が出ていってから、30分ほど僕はその席にいた。どうせ4限にはまだ時間がある。思い出す言葉は、なんだかだんだん薄れていく。そろそろ行かないと授業だ。


その人が誰だったのか、もう考えても仕方のないことだ。全てが真実だったのか、それともやはり美人の思い付きでからかわれていただけなのか。


店を出ると冷たい風に煽られた。人間の記憶とは酷いもので、あれだけ美しいと感じたその女の顔も鮮明に思い出せなくなっていた。


「4限は来んの?」スマホの通知が来た。友人からだ。「いくいく」と答えスタンプを押し、ポケットにしまう。ふと気が向いて僕は「さんきゅ」と付け足した。

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