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二度と語られない物話  作者: 佐野ひかる
3/3

0ー1ー3 ベルフィマール

私達が迂闊に動いて、魔王の息のかかった者を塔に誘導することだけはあってはならない。

二人は慎重に計画を練り、塔の防衛を固めることに専念した。


人員を増やすのは危険を伴うので、なるべく秘密裏に仕掛けを増やしていくことにした。

地上で迷わせる仕組み、塔で排除する仕組み。当時はまだ転移魔法陣なんてなかったから、大荷物を抱えて出発する事になる。


精霊の案内に従ってかなり離れたところから姿を消し、痕跡を残さぬ様に遠くから地に足をつけずに塔にたどり着いた。そこは細い棒の様なものが天に向かってそびえ立つ不思議な建造物だった。

複雑な魔術を幾重にも重ねがけされて守られた塔の入り口に立って、彼女が真剣に守られている事に私達は安心した。


精霊に託し、二人は何通も手紙を書いた。


皆元気で過ごしている事、彼女のおかげでいくつもの街が魔王の襲撃から守られた事。

彼女の決断を讃え、励まし、変わらずに思っている事。

この戦いが、この生活が終わったらこうしたいと言う夢など、とりとめもなく書き連ねては送り続けた。


返事は一度も来なかった。だが、それは手紙を書かない理由にはならなかった。



ある日、フィスタシアの母が見えないはずの私達を追ってここまで来ていた。

彼女もまた疲れ切ってやつれて見えた。辛い生活を送る娘を心配して、私達を必死で探していたのがわかる。


「メルクディシオ殿、どうか、娘に手紙を!」


母の悲痛な声が森に響き渡る。


ベルフィマールは魔法の反応がないかを確かめていた。身内に見える罠ほど恐ろしいものはない。

姿を隠していた二人はどうするか狼狽え、しばらく身を隠したままじっと動かないでいたが、見かねたメルクが彼女の腕を掴んで、手紙を受け取ろうとした。


「必ず渡します。」

「良かったわ、ありがとう。」

彼女は姿を現したメルクの腕を掴み返した。


「…ずっと探していたの。」


メルクは腹が温かい物に触れたような気がした。いや、熱い。


彼女の手に隠し持った刃物がメルクの腹を深く切り裂いていた。


フィスタシアの母を動かしていたのは魔族特有の能力、精神誘導だ。

精神支配や魔法の類ではない。

特定の事実を覆い隠し、間違った結論や手段に誘導するもので、あくまで本人の意思決定だ。

外部からは魔法の影響としては感知できない。


彼女の母もまた、愛する家族が戻って来る条件として、魔王側に付くという誤った誘導に乗せられてしまった。


メルクは普通の職人として生きてきたただの若者だ。

弓も魔法もたしなみ程度にしか使えない。

腹を切り開かれて動ける素人などそうそう居はしない。


解き放たれようとする自分の臓腑を抑えつつ、真っ青になってうずくまった。


フィスタシアの母は娘への手紙と言って持っていた紙片を握りしめて、虚空へ向かって叫んだ。

「魔王様、ここです、ここに塔があります!」


紙片が炎によってたちまち灰と化し、代わりに彼女の足元から魔法陣が浮かび上がる。

それと共に彼女もまた燃え上がる炎に巻かれていく。


「良くやった。やっとこの戦を終わらせることが出来る。」


彼らの頭上に現れた魔王は巨大な鷲に跨って現れた。

ようやく目にすることができた空へ長く伸びる塔を見上げ、ふんと鼻で笑った。


「エルフ共め、手間を掛けよる。」


そう呟いて鷲を操り、塔のてっぺん目指して飛び上がって行った。


ベルフィマールは燃え盛る母親の体から親友の体を引き離し、治癒の魔法を使って出血を止めた。

しかし、彼もまたたしなみ程度でしかない魔法は、傷付けられた内臓までは修復できない。


「…上へ、行け。」

「でも…メルク…」

「彼女を、頼む。」


ベルフィマールは躊躇したが、絶望的な二択のどちらかをすぐに選ばなければならなかった。すでに彼から流れ出た血と、自分の治癒魔法の限界を考え、横たわる彼に言葉を掛けた。


「分かった、絶対に助けるから心配しないで。」


それから決して振り返らず、塔の内側に張り巡らされた螺旋状の階段を駆け上がった。

風の精霊達の助けによって彼の体は最上階に向けて押し出されるが、無限にも見える階段は終わりがない様に見える。


足はうまく上がらなくなり、身体中が疲労による痛みで悲鳴をあげている様だ。

前へ進みたい上半身と動きの鈍い下半身とで齟齬が生じ、腕すらも使わないと思う様に進めない。


それでも彼は登り続ける事を止める訳にはいかなかった。


優しい者や真面目な者が割りを食う世界ではあって欲しくない。

メルク自身が招いた油断だと謗るものもいるかもしれない。

だが、ベルフィマールは友人の優しさを美徳と認めて尊重する。


彼が命の瀬戸際で選択した願いを、自分だけは叶える。


「心配なんかしてないさ、友よ…」


メルクの言葉は声にならなかったし、聞こうとするものも周りに何一つ残って居なかった。


彼の願いはきっと叶う。例えそれを彼自身が見ることはできないとしても。


ーーーーー


塔の最上部に位置する小部屋には、いくつもの複雑な防御魔法がかけられていた。


しかし、魔法防御の技術は多くが人間達の発見、発明である。精霊魔法による防御はあまり強くはない。

元人間であった魔王にはそれは容易く突破できるものであった。


最後の精霊魔法の障壁に、自分が操っていた大鷲をぶつけ、彼自身は無傷のまま部屋に降り立った。


部屋の中にはほとんど何もなかった。

質素な寝台と椅子とテーブル、それと数枚の紙片。そこには椅子に腰掛けて魔王を睨みつけるまだ若いエルフの乙女がいるのみだ。


その身を包んでいたのはエルフの文化でも珍しい形の美しいドレスではあったが、これを決戦と知る彼女の表情は険しかった。


「お前が予言者か。全くいい迷惑だよ。」


魔王が座る彼女に一歩近づく。ぱきりと何かの障壁が壊れる音がする。


「ただの小娘にしか見えんが、そういう油断はしない事にしている。」


再び魔王の歩が進み、ばきりばきりと何かが壊れる音が繰り返される。

彼女個人が纏っていた防御魔法は解除の動作無しに魔王に壊されていく。


ニヤリと笑みを浮かべ、魔王の腕がフィスタシアの細い喉を鷲掴みにした。


「腹立たしい邪魔者ではあるが、容姿は悪くないな。最後に色仕掛けでも試してみるか?」


魔王は殆ど見た目は人間の様だが、彼女を掴む腕だけがまるで魔物の様に大きく、長い爪を持っていた。


座っていた彼女の体が立たされ、持ち上げられ、首にかかる圧力に顔をしかめる。


「あなたがここに来ることは見えていました。」

「そうか。それで?何か出来ることがあるとでも?」

「ええ。」


魔王の体がピシピシと氷に覆われていく。

だがそれらはすぐに打ち破られてしまった。再び氷が魔王の体に纏わり付き、足元を釘付けにした。


「この程度か。」

「どうでしょうね。」


何度も何度も氷は魔王の体を囲み、簡単に打ち破られることを繰り返す。


「…何かの時間稼ぎか?無駄な抵抗だとしか思えんな。」

「そうでしょうか。」

「つまらんな、もう死んでいいぞ。」


魔王が腕に力を込めた。その腕を氷が包み込んでいく。


「精霊魔法は、精霊との、契約なのです。」


フィスタシアは苦しげに、だがはっきりとした声で話し始めた。


「私が死んでも、この契約は、続きます。」

周辺の空気があまりの冷気に、キラキラとした氷の煌めきに埋め尽くされる。


「あなたの力と、氷の精霊の力、どちらが多いでしょうね?」


魔王は言葉の意味に気がついて、彼女から手を離そうとした。

しかし、すでに凍り付いていて離れない。


魔王の力の源は、これまでに溜め込んだ負の感情や、それによって命を奪われた魂をエネルギーに変えたものだ。大量に溜め込んではあるものの有限である。


彼女の力は彼女自身が持つものではなく、大自然に存在する全ての精霊の力だ。

どんな契約を結んだのかを知ることは出来ないが、彼女の死によって終わるものではないのならば。



冷気は空の上に無限に存在する。


魔王には今すぐ彼女の体を焼き尽くすことが可能だ。

しかし、精霊を、契約を止めることができなければ意味はない。


「私を殺して良いのですよ。貴方のたった一つの善行でもって、神々に申し開きいたしましょう。私は貴方に救われたと。」


フィスタシアは笑顔でそう言った。

彼女の死が救済ならば、それは魔王の敗北を意味する。


「黙れ!」


魔王の腕に力が込められた。




ベルフィマールが塔の上に着いた時にはそれは終わっていた。


寒々しい冷気に満ちた部屋の中で、魔王の体の生命を維持する力はとうに失われており、冷たい氷の中で動かなくなっていた。


フィスタシアの体もまた、呼吸はすでに止まり、力なく吊り下げられて、ただ微笑んでいた。


魔物の様な腕から彼女の体を解き放ってやり、そっとその場に横たえた。


凍てついた塔の部屋で、メルクが贈った美しいドレスに、彼の涙が染み込んで消えていった。


ーーーーー


それからのベルフィマールは、魔族の研究を始め、地下迷宮の探索をする様になった。


人間達の冒険者パーティーに加わることもあった。

多くの者達と情報交換を行い、二度と魔王が現れることのない様、多くの国で予測、調査、対応を周知徹底させるため活動を続けた。


人間達と深く関わろうとするエルフは希少だったため、多くの場合驚きを持って受け入れられ、貴重な情報はいつでも感謝された。


そして、迷宮探索の第一人者として名が知れる様になり、魔族に命が狙われるのが面倒になってきたある日、彼もまた大賢者の元を訪れた。



「あんたみたいな子供に用はないんだけど?」


彼の目の前では、獣人族の若者が不機嫌そうな顔で腕組みをしている。

すっかり年老いたベルフィマールも負けず劣らず不審な者を見る目で若者を睨みつけていた。


「子供で悪かったな。前の体は寿命を迎えたので放棄した。今はこちらが本体だ。」


ベルフィマールが眉間にしわを寄せて、遠い記憶を呼び起こす。


「確かに、メルクが会ったのはよぼよぼのじーさんだったと言ってた気がする。」


聞き覚えのある名前に、若者の顔はさっと曇り、腕組みを解いた。


「メルク…メルクディシオか、彼は私を恨んでいなかったか?」

「どうかしら、あなたの罪悪感を軽くしてあげる義理は私にはないけど。」


彼の顔は後悔と苦渋に歪んでいた。

「あんなに何一つしてやれることがなかった事例は彼だけだ。あの時の私は老いて疲れていた。もっと別の何かを提案してやることもできたと今になって思う。」


それは彼らしか知らないはずの話だ。

願いを全てはねのけた大賢者の話など、子供の夢をぶち壊すだけの余計な情報でしかない。


「…貴方は本物の大賢者様ね。彼は恨み言など言っていませんでした。」

「教えてくれて感謝する。君の用件を言ってみたまえ。」


ベルフィマールは転移魔法陣を開けて、そこからテーブルにどさどさと資料を積んだ。

迷宮に関する研究と、魔族に関する研究の全ての資料を出し切ると、再び若者に向き直った。


「一つは魔族と迷宮についての研究資料を預けたい。いろんな所に周知するため配り回ったけど、絶対に失われない写しとして保管してもらいたいの。それと、今の私は魔族達に狙われて全然気が休まらないから、出来ればいっそのこと生まれ変わって別の人生を始めたい。」


「例えばどんな?」

「そうね、選べるのなら人間の女性がいいわ。オシャレを楽しんで、あっという間に寿命で死にたいの。」


ーーーーー


「あれから何年も経ったのねえ。」


マルフィンはしみじみとした口調で言った。

彼女の目の前にはぼろぼろと涙をこぼすユージーンがいた。


「ちょっと、あんたがそこまで泣くことないのよ。彼らは皆納得して選択したんだから。」

「違うわマルフィン、あなたの事よ。ずっと一人で、頑張ったのね。」


確かに結ばれなかった恋人達の物語も充分涙に値する。

しかしユージーンには、理解者である友人達と別れた後の友の孤独の方が、理解を超えていて計り知れない。


「仕方がないでしょ。これでも普通じゃない自覚はあるんです。…なによもう、泣き過ぎよ。」


マルフィンが乱暴に彼女の涙を拭いてやる。ユージーンは鼻をすすりあげて、喉を詰まらせながら言った。


「私が言われて嬉しかった言葉、あなたにもあげるわ。私はあなたの全てを肯定する。私、あなたを尊敬するわ。」

「肯定か。私の前世も辛いだけのものじゃなかった事、思い出したわ。」



これで、私が語る昔話は終わりです。


もう二度と人に語ることはなく、これは私の人間としての生が終わる時、天に返されることになります。


ほんの数十年、きっとあっという間でしょう。それでも私は今になって初めて、先を見るのが楽しみだとワクワクしているのです。


ーーーーー

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。悲しいお話でごめんなさい。

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