41 令嬢、幼女を背に立ちあがる
リーゼの説明を聞きながら、私は笑みを深めていく。王都伯様はどうやら協力してくれるようだ。私は賭けに勝ったらしい。
得意げな表情で語るリーゼには、喜びが満ちあふれている。王都伯様のことが、好きでたまらないのだろう。リーゼは王都伯様の声真似を交えながら、身振り手振りで伝えてくれる。
私は目を細めて隣に座るリーゼを見ていた。
遠くに響く鐘の音が、午後二時を告げる。リーゼは一旦説明を止めると、テーブルに置かれたお菓子へと手を伸ばす。私はティーカップを手にとり、ゆっくりと紅茶の味を楽しんでいた。
本日の講義が終わるや否や、リーゼに引きずられるように、私は自分の寮室へと戻った。朝から茶目っ気を含んだ笑みを見せるリーゼに、何かあるとは思っていたが、あまりにも性急に過ぎる。私に心の準備はできていなかった。
私の帰りを待っていたエリアルも、リーゼの勢いには目をパチクリさせていた。動揺のさなかにあった私をよそに、テキパキと紅茶とお菓子の用意を済ませ、エリアルは席を外す。エリアルは退出の間際、リーゼに気づかれないようにこっそりとウィンクを送る。優しげな笑みを見せるエリアルにつられ、私も微笑み返していた。
小さく首をかしげるリーゼを横目に、私は心の中でエリアルに感謝した。
紅茶を淹れたエリアルを想いながら、私は風味を堪能していく。私は満足げに小さく息を一つ吐くと、ティーカップをゆっくりと戻す。リーゼは幸せそうにお菓子を一つ二つと頬張っていた。
無邪気なリーゼの姿を眺めていると、言い知れない不安がこみ上げてくる。……本当にリーゼを巻き込んでもいいのだろうか。私は小さく首を左右に振ると、お菓子を一つ掴み、ほんの少しだけ口にした。
騎士に憧れるリーゼの想いは大切にしたいけれども、いざという時は私がリーゼを守るわ――私はお菓子を咀嚼しながら、決意を新たにした。
「ルティお姉ちゃん?」
リーゼの声で私は思考の海から浮上していく。不思議そうに小首をかしげたリーゼが、私を見つめていた。
何となく気恥ずかしさを覚え、私は口を閉ざす。数秒間、私とリーゼが見つめ合っていた。
ふいに悪戯な笑みを浮かべたリーゼはテーブルからお菓子を手にとり、私に向かって差し出してきた。
「お菓子、美味しいよ」リーゼは弾んだ声を出した。
「私は食べたばかりだから、大丈夫よ」
「美味しいよ!」
リーゼは身を乗り出し、お菓子をさらに私の口元へと近づける。困惑する私を見たリーゼは楽しそうに笑い、グッとお菓子を突き出していく。
私はキョロキョロと視線をさまよわせた後、リーゼを見やる。諦めたように深く息を吐くと、羞恥で頬を赤らめながら、私はお菓子に齧りつく。私の食べる速さに合わせて、前へ前へリーゼはお菓子を押し出していった。
食べきった私は、慌てて紅茶を口にする。リーゼは「美味しいよね?」と笑いながら、また一つお菓子を自分の口へ放り投げた。
満開の笑顔を咲かせるリーゼに、怒りの矛先を向けるのも馬鹿らしい。肩の力を抜いた私は「美味しかったわ」と微笑んでいた。
「ルティお姉ちゃん、本当に行くの?」
リーゼは不安そうに私へ声をかけると、私と繋いだ手を強く握りしめた。私はリーゼに顔を向け、大きくうなずいて見せる。私もリーゼの手を強く握り返した。
私とリーゼは、ゲーベルの花屋に向かって歩いていた。街外れにある花屋に近づくほど、人通りは少なくなっていく。傾く太陽が通りを照らし出していた。
先日、私とエリアルと別れた後、ゲーベルはトリスタの香水店に向かっているのだ。王都伯からの情報を踏まえても、現状ではトリスタがもっとも怪しい。
ゲーベルとの情報共有が必要だと、私は判断していた。
「ええ、必要だもの。……リーゼ、怖いのならば無理をしなくてもいいのよ」
私は諭すように言う。ゲーベルは恐らく、私にもリーゼにも危害を加えることはないだろう。それでも、初対面の時に監禁まがいのことをされているのだ。嫌がるリーゼを無理やり付き合わせる気は、私にはなかった。
誤解であったとしても、怖い思いをしたのは事実だ。もしかしたら、と不安を抱くのは当たり前のことだ。香水の事件がなければ、私自身も二度と行くことはなかったに違いない。
考え込むように、リーゼは顔を俯かせる。私は歩みを止め、リーゼに体ごと向き合った。
「リーゼ」私は気づかうように声をかけた。
「……一緒に行く。リーゼは、騎士だもん。お姉ちゃんを守るんだから」
「無理をしなくてもいいのよ?」
私が訊ねると、リーゼは大きく首を左右に振る。顔をあげたリーゼは「平気だもん」と力強く言い放つ。リーゼは大きく一歩を踏み出し、私の手を引いて歩きはじめた。
私は小さな騎士の背中に一瞬だけ視線を送り、歩みを速めていく。リーゼの隣に並び、同じ速さで歩き出した。
ゲーベルの花屋にたどり着くと、リーゼが私を庇うように一歩前へ出る。私は目を見開き、先導するリーゼを見ていた。
驚きのあまり私の歩みは遅くなる。リーゼは知らないふりをしているのか、何も言わず花屋へと足を踏み入れた。
「……どうして、こんなにひどいことができるの?」
リーゼに遅れて入店した私は、茫然と声を漏らす。どれだけの花が置かれていたのだろうか、店内の至るところに花が散乱し足の踏み場もなかった。
私はしゃがみ込み床に散らばる花を拾う。踏まれてへしゃっげた花びらが痛々しい。そっとっ捨て置かれた花々を拾い集め、私は抱きしめていた。
「ルティお姉ちゃん、立って」
黙り込んで店内を見回していたリーゼが硬い声で言う。私が顔をあげた先に、両こぶしを握り締めたリーゼの背中が見える。どんな言葉をかければいいのかが、私にはわからなかった。
花々を抱きしめたまま、私は立ちあがる。床に落ちた花を踏まないように慎重に歩き、リーゼの隣へと向かった。
リーゼは店の奥をただにらみつけていた。
「お姉ちゃん、カードは持ってきてる?」
リーゼは正面を向いたままつぶやいた。
「えっ?ええ、持ってきているけど……どうしたの?」
唐突な問いに、私はしどろもどろに答える。目をしばたかせながら、私はリーゼをのぞき見た。
リーゼは険しい表情を浮かべて身構えている。その手には、護身用のカードが掴まれていた。ギョッとした私は、慌てて顔を店の奥へ向けた。
顔を向けた瞬間、私は目を限界まで大きく開いた。私とリーゼに向け、何かが飛んできている――。私は無我夢中でリーゼに飛びかかると、勢いのままにリーゼを押し倒した。
倒れていく私の頭上を何かが通り過ぎていく。風を切り裂く音が、私の耳朶を鋭く震わせた。
一拍遅れでリーゼの背中にまわした私の両腕に激痛が走る。歪んでいく視界の先に、表情を凍りつかせたリーゼを見つけた私は、力の限りに叫んでいた。
「リーゼ、魔法!」
リーゼははっとしたように目を開くと、カードに魔力を流し込む。私は目をつぶり、リーゼの上に覆いかぶさった。
数秒後、何かの衝撃音が響く。私が恐るおそるまぶたを開くと、呼吸に合わせて白い息がのぼっていく。視界一杯に氷の壁が広がっていた。
「……ルティお姉ちゃん」
私は顔を下に向ける。涙目のリーゼが体を震わせていた。
「……助かったわ、リーゼ。ありがとう」
内心の動揺を押し隠し、私はリーゼに微笑む。リーゼはくしゃりと表情を歪め、私の背中に手をまわし、顔を押し当てた。
私はリーゼを落ち着けるように頭を撫でる。リーゼのすすり泣く音が、氷のドームに響いていった。
リーゼに気づかれないように、私は二度三度と息を吐き出す。震える手で袖に隠したカードを取り出した。
ちらりとリーゼに視線を向け、私は覚悟を決める。次は、私が頑張る番だ。
魔法の展開中に、別の魔法を使うことはできない。それでなくても、今のリーゼに魔法が使えるとは思えなかった。
私はそっとリーゼの手を外して立ちあがる。氷のドームは私の背丈よりも高いのか、私は真っすぐに背筋を伸ばす。恐怖を貼りつけたリーゼに、私は笑顔を見せ、手を差し伸べた。
私の顔をまじまじとリーゼは見る。私は一つうなずき、腰を屈めて手をリーゼに近づけていった。リーゼは泣き笑いを浮かべて、私の手を掴んだ。
繋いだ手を強く握り、勢いのままにリーゼを抱きしめる。私はリーゼの頭を一撫でし、静かに口を開いた。
「リーゼ、貴方だけでも逃げなさい」
私の声は震えていないだろうか。笑えているだろうか。不思議と私の心は澄み渡っていた。
「何を、何を言っているの?」リーゼはかすれた声で言った。
「何度でも言うわ。リーゼ、貴方は逃げなさい。私が、時間を稼ぐから」
「そんなこと……できるわけない、できるわけないよ!」
リーゼが瞳に涙をあふれさせて吠える。私は表情を緩めると、私とリーゼの位置を入れ替えていく。リーゼを出口へ近づけた。
私はリーゼの背中から手を離し、出口を指さした。
「リーゼ、この氷の魔法が解けたら、真っすぐに走りなさい」
「いや、嫌だよ……そんなこと、嫌……」
リーゼは首を大きく左右に振る。瞳からはポロポロと涙が零れていった。
私は指先でリーゼの涙を拭っていく。右に左へと拭い、最後にリーゼの鼻先を軽く掴んで引っ張った。
「見捨てろ、と言ってるつもりはないわよ。助けを呼んできて欲しいの、わかっている?」
私は揶揄うように言うと、リーゼは目をパチパチとさせる。理解ができたのか、リーゼは唇を噛み締めてうなずいた。
私は体を前へと向き直す。氷のドームにはいくつものひびができていた。リーゼが魔法を持続できなくなったのだろうか、私とリーゼを守る盾は今にも失われようとしていた。
ウソつきだな、私。心の中でひとりごちる。脳内の小悪魔な私は『後悔していないでしょう』と珍しく笑って慰めてくれた。
氷のドームに走るひび割れが大きくなる。一つ息を吐き出し、私はカードに魔力を流し込んでいく。初級の火系統魔法では時間など稼げやしないだろう。それでも、みっともなく足掻くことだけは決めていた。
私がカードを突き出すのと同時に、氷のドームは光へと変わっていった。
「リーゼ、行きなさい!」
「――お前、ルティか!?」
私の声に被せるように、男の声が響く。一瞬で私からカードを奪い取った男は、私の眼前に迫っていた拳を慌てて止めた。
殴られる寸前で止まった拳に、一気に恐怖がこみ上げてくる。腰砕けになった私は、その場でへたり込んでいた。
「すまない、ルティ!……ああ、小さいお嬢ちゃんも泣かないでくれ!」
ゲーベルは両手を上にあげて必死に叫んでいた。




