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39 幼女父、困惑する

リーゼのお父さん視点です。

 「事件を自らの意志で起こしたわけではない……何の冗談だ、これは?」


 執務室のテーブルを豪奢に飾りたてるように、書類が山を築き上げる。据え付けられた無骨なテーブルからは、厳格さが完全に失われていた。


 椅子の背もたれに体を預けた私は、諦め混じりに大きなため息をつく。投げ捨てるように、報告書を放り出した。

 紫がかった夕焼けが、執務室の窓からのぞき込んでいた。


 現実から逃避するように、私はまぶたを閉じる。脳裏に愛しい妻と娘の姿を思い描いていく。二人を抱きしめたのは、いつのことだろうか。

 私は両頬を強くたたきつけ、力の限りに首を左右に振る。エレーナとリーゼの表情が悲しみで歪んでいく想像を、必死に打ち消していった。


 鼻のつけ根を揉みしだき、私は目に力を込める。放り捨てた書類を手にとり、上から下へとゆっくりと内容を確認していく。一週間で発生した事件数と、犯人の供述が書類には記載されていた。


 よくぞまあ、一週間に集中させたものだ。私の口から乾いた笑いが漏れ出した。

 暴行事件から強盗事件、果てには殺人事件に至るまで、大小さまざまな事件が立て続けに起こっている。残念なことではあるが、一つ一つは年単位で見ると起こりうる話だ。驚くことではない。

 ただ一週間に集中して起きたとなれば、話は変わってくる。次の一週間も事件が頻発するのか、それとも終息するのか。それぞれの事件に関連性はないのか。


 次の一週間も事件が起きるのだろうな。心の中でひとりごちた私は、書類の一文に目を落とす。表情を歪めたまま、私は目元まで書類を近づけた。


 『容疑者には事件を起こす明確な動機はなく、衝動的な犯行だと思われる』


 食い入るように書類を見た私は、何度目かも知らないため息をつく。尋問官からの報告書はどれもこれも同じ結論に行き着くばかりだった。


 子供の癇癪でもあるまいに、何となくで犯罪が起きてたまるか。

 尋問官たちは本当に仕事をしているのか、ふつふつと沸きあがる疑惑を私は必死に噛み殺していく。

 エレーナやリーゼ――家族に何かが起きてからでは遅すぎる。何の気なしに大切な人が傷つけられるなど、たまったものではない。


 「……心を操る魔法なんてものがあれば、その使用者を探せと言えるんだがな」


 現実離れした言葉を、私はポツリとつぶやく。命あるものに魔法式を書き込むことはできない――魔法を学ぶ者が、初めに学ぶ基礎中の基礎だった。

 つまらない願望を振り払うように、私は首を左右に振る。まぶたを閉じて雑念を締め出した。


 瞑目していたのは数十秒だろうか、トントンと執務室の扉をノックする音が響いた。ゆっくりとまぶたを持ち上げると、私は「入ってもかまわないぞ」と扉に向かって声をあげた。

 「失礼いたします」と秘書官は入室すると、矢継ぎ早に要件を告げていく。常になく焦った様子に、悪い予感をひしひしと感じていた。


 数分後、予期せぬ来客を迎えるべく、私は重い腰をあげていた。



 「急な来訪にも関わらず、ご対応いただきありがとうございます」


 応接室の扉を開けた私を、アリウム侯爵の子息が出迎えた。深く頭を下げて自らの名を告げるアレクセイ・アリウムに、私の目つきは鋭くなっていく。侯爵家の名代として現れたアレクセイに、私の警戒心は否応なく高まっていた。

 内心の警戒を押し隠した私は、アレクセイに笑顔を向ける。ソファーに腰掛けるように勧め、私自身もどっしりと腰を落とす。挨拶もそこそこに本題へと切り出した。


 「このような時間に、急報とは穏やかではありませんね。どのような御用件か、教えていただけますか?」


 再び頭を下げんとするアレクセイを押し留めるように、私は体の正面へ小さく手を突き出す。

 私が微笑みかけると、アレクセイは一つうなずき、背筋をまっすぐに伸ばした。


 「伺わせていただいたのは、この一週間での頻発する事件に関し、重要な情報を得たからです」


 アレクセイは、断定口調で言い切る。私の眉が小さく動いた。


 「侯爵家でも、独自に調査をしたと?」

 「――どうか誤解をなさらないでください。我が侯爵家は王都守護隊に疑念を持ってなどおりません」


 私の瞳に暗い光が宿るのを察したのか、アレクセイは一瞬体を震わせて言い募る。敵意の入り混じる私の視線がアレクセイと結ばれていく。アレクセイは目を逸らさなかった。


 数十秒間の沈黙の後、私は肩をすくめて表情を緩める。一拍遅れで、アレクセイは大きく息を吐き出した。


 「この場は無礼講……それでどうだろうか?」私は目を細めた。

 「……お願いします」


 息も絶え絶えにアレクセイは答え、疲れ切った表情で目を閉じる。前途ある若者の素直な姿に、私は大きく声を出して笑った。


 「アレクセイ殿、と呼んでもかまわないか?私のことは、クロードと呼んでくれてかまわない」

 「……わかりました、クロード殿」


 侯爵家もよい後継に恵まれたものだ。一瞬言い淀みはしたものの、私の名をはっきりと呼んだアレクセイに、私は表情をやわらげる。アレクセイも笑みを浮かべた。

 物怖じしない態度に、私はアレクセイに好感を抱いていた。体の線はまだ細いが、筋肉のバランスも良い。偏った鍛え方をしていないためか、背筋がまっすぐに伸びている。

 実戦経験させ積めれば、優れた騎士になれるだろう。私はまぶたを一度下ろし、雑念を閉め出す。アレクセイへと体を向け直した。


 「アレクセイ殿、私たちへの情報提供ということでいいのか?」


 私が訊ねると、アレクセイは大きくうなずく。アレクセイの表情は真剣味をおびていった。


 「頻発している事件には関連性がある、それが侯爵家の見解です。そして、その原因が香水にあると考えています」

 「香水だと?」


 私は訝しげに聞き返す。アレクセイは「信じられないのも、無理はありません」と即座に答える。何かを思い出すように、アレクセイは目を閉じると、小さく息を吐き出した。

 数瞬後、アレクセイは瞳の奥を強く輝かせ、私に視線を合わせた。


 「何でも香水を使った相手を、思い通りに行動させられる……。夢物語のような香水がある、と」

 「冗談……というわけでもなさそうだな」


 私は身を乗り出してアレクセイに向き合った。


 「香水の入手経路はわかっているのか?」


 端的に私は訊ねる。アレクセイは苦しげに顔を歪め、首を左右に振った。


 「侯爵家がその香水の存在を知れたのも、偶然に過ぎないのです。ここだけの秘密としていただきたいのですが……」


 アレクセイは言い淀むと、私を伺い見る。私は「決して口外しないと誓おう」と迷うことなく口にした。アレクセイはかすかに表情を緩め、小さく頭をさげた。


 「……私の妹が、侯爵領で誘拐されたのです。妹の誘拐の際に、件の香水が使われておりました。……捕らわれた妹は虚ろな瞳をし、犯人の言いなりでした。何の抵抗もなく、犯人の指示に従っていたのです。救出された時も、意識を半分手放している状態で、私のことすらもわからず……」


 アレクセイは眉間にしわを寄せて拳を握りしめる。


 「意識を取り戻した妹は、前後の記憶が曖昧のようで、香水を使われたことまでしかわからない、と」

 「犯人はどうした?」


 私は鋭い声で訊ねる。アレクセイは弱々しく首を左右に振り「自害されました」とやるせなくつぶやいた。

 瞑目した私は鼻のつけ根を揉みしだきながら、執務室にうずたかく積まれた報告書のことを思い出す。苦い果実を一口で飲みくだしたのか、私は顔に渋面を貼りつけてため息をついていた。


 「妹君と同じ状態については、報告されている」

 「本当ですか?」アレクセイは勢いよく身を乗り出した。

 「ああ、事件の犯人がその状態だったと聞いている。事件前後の記憶が曖昧ではっきりとしない、と」


 興奮した様子のアレクセイに反し、私の眉間のしわは深く刻まれていく。あまりにもわからないことが多すぎる。件の香水が使われた、そう判断する材料は何一つとしてなかった。

 発生した事件もさまざまであり、その犯人も老若男女が入り混じっている。不可思議な香水が存在する――眉唾な情報だけで判断をくだせるはずがなかった。

 せめて現物でもあれば調査のしようもあるのだが……。


 「アレクセイ殿、情報には感謝しよう」


 私は一つ息を吐き出し、片手で顔の右半分を覆い隠す。左目だけでアレクセイを見た。


 「だが、その香水が使われたと決めつけるわけにはいかないんだ」


 私はゆっくりとした口調でアレクセイに告げる。

 アレクセイは唇を噛み締めたまま、のろのろとソファーに腰を落とす。顔を俯かせ、両こぶしが赤黒く染まるほどに握りしめた。


 「これは、提案なのだが……」


 顔を隠す手をどけ、私はアレクセイに顔を向ける。まぶたを一瞬だけ閉じると、不敵な笑みを私は浮かべた。


 「アレクセイ殿、一人の騎士として、私に力を貸してくれないか?」

 「クロード殿?」


 アレクセイは勢いよく顔をあげると、目を大きく開く。私の意図がわからないのか、驚愕を顔中に貼りつけていた。


 「香水の件が関係あるかはわからない。ただ王都が不安定なのは、紛れもない事実だ。私は王都伯として、この王都に迫る危険を見逃すつもりはない」


 私は力強く言い切る。アレクセイは真っすぐな瞳を私に向けた。


 「王都に住む人々の平穏のために、優秀な騎士は多ければ多いほど良い。侯爵家が力を貸してくれれば、一日も早く脅威を取り除けるはずだ」


 真剣な表情のアレクセイに、私は小さく笑う。誰の書いた筋書きかなど、王都を守ることを思えば――エレーナとリーゼのためならば、どうでもいいことだ。

 せいぜい侯爵の手のひらの上で踊ってやるさ。もっとも、侯爵の思い通りにことが運ぶとは限らないがな……。


 「アレクセイ殿」と私が声をかけて立ちあがるや否や、アレクセイもソファーから腰をあげる。どちらからともなく伸ばされた手が強く繋がれた。


 「感謝する」

 「全力を尽くします」


 私の短い言葉に、アレクセイは神妙な面持ちで答える。実戦を知らない若い雛鳥の頼もしい姿に、緩みそうになる頬を必死で引き締めた。

今年もよろしくお願いします。

次もリーゼのお父さん視点の予定です。

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