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32 令嬢、幼女に慰められる

 リーゼは不器用に私の背中をさする。誰かに泣きつかれたことはないのだろう。時折、背中に小さな痛みが走った。

 不快なはずの痛みがどこか心地よい。ここにいてもいいんだよ――声なき声が聞こえてくる。私はリーゼの肩をさらに涙で濡らしていた。


 「ルティお姉ちゃん、ごめんなさい」


 リーゼは涙声でつぶやく。私は額をリーゼの肩に押し当てたまま首を振る。口を開けば嗚咽を堪えられなくなるのがわかっていた。

 幼子のようにすがりつくことは、リーゼを困らせることにしかならない。私の中の小悪魔は『無様な姿を晒すな』と怒鳴り散らすが、感情の奔流を抑えることができない。体の震えは止まりそうになかった。


 「ごめんなさい、ごめんなさい――」


 リーゼは何度も謝罪を口にする。もらい泣きをしているのか、リーゼの体も震えていた。

 私はもう一度リーゼの背中に両手をまわす。必死に小さな体を抱きしめた。



 爆発する感情のままにたっぷりと五分間は泣き続けた。全身がクタクタに疲れ果てた私とリーゼは、体を支えきれずに屋上へ倒れ込む。衝撃で涙が引っ込んだ瞬間、お互いの顔を見て笑いが噴き出した。

 髪型は崩れ目元を赤く腫らし、服は涙で乱れている。淑女にあるまじき恥ずかしい姿だ。

 エドモンド様には決して見せられない――王太子妃としては失格とも言える無様な風貌。それでも、重しを失ったかのように心が軽やかになっていく。隣で寝転ぶリーゼとは、おそろいの格好だった。


 思わずクスクスと忍び笑いをこぼす。ひとしきり笑い終えた私は目を閉じた。

 天候は穏やかで屋上に差し込む陽の光も優しい。冷え切った体に少しずつ熱が行きわたっていった。


 「――ルティお姉ちゃん」


 リーゼが私を呼ぶ。私はゆっくりとまぶたを開けた。

 いつの間にか立ちあがっていたリーゼが、右手を私に差し出している。リーゼの顔には、得意げな笑みが浮かんでいた。

 私は目を大きく開いてリーゼを見上げた。


 「お姫様、私の手をとっていただけますか?」


 リーゼは芝居がかった口調で言う。真っ赤な目元に、ヨレヨレの衣服。とても騎士とは呼べない容貌だった。


 「お願いいたしますわ、騎士様」

 「喜んで!」


 私は迷うことなく小さな騎士の手を握る。仮初の王太子妃には、真似事騎士がふさわしいのかもしれない。どちらも本物になれる日がくればいいのに……そう望むのはわがままだろうか。

 リーゼは繋いだ手に力を込めて私を引きあげる。私も強く握り返した。


 立ちあがった私はリーゼの頭から足元まで一瞥すると、リーゼの身なりを整える。痛々しい目元を冷やしてあげたいが、対処の仕様がない。私は内心でため息を吐いた。

 私自身の身なりも見える範囲で整えていくが、鏡もない状態ではどうにもならない。おざなりに取り繕うことしかできなかった。

 懐中時計を取り出して見れば、時計の針は午前十時を指していた。


 「私の部屋に来てくれるかしら?こんな格好のままでは、私もリーゼもいられないわ」


 リーゼは口元を隠したまま、小さくうなずく。リーゼの体は小さく揺れている。私は不思議そうな顔で「リーゼ?」とつぶやいた。


 「ルティお姉ちゃん、まだ変な顔をしてるよ」


 私を指さしながら、リーゼは口の端に弧を描く。噴き出した笑いを抑えることができないのか、小さな笑い声が漏れ出していた。

 私はまじまじとリーゼの表情をのぞき込んだ。


 「リーゼもおかしな顔になっていることを忘れているの?貴方の顔も十分におかしいわ」


 お返しとばかりに、私はリーゼに指を突きつける。揶揄うような口調で言うと、リーゼは楽しげに頬をゆるめ、さらに大きな声で笑う。私も声を抑えることなく笑い声をあげた。

 心の底から笑ったのはいつ以来だろうか。私の目端にはあたたかな涙が浮かびあがっていくが、どうしてか顔を隠したいとは感じない。

 ますます崩れていく表情が、どこか誇らしかった。



 リーゼと手を繋いだまま、私の寮室を目指す。

 目元を赤らめて歩く学園の嫌われ者と最年少の魔法士――私とリーゼの友人関係を知っていたとしても奇異に映るらしい。すれ違う人たちは目を大きく開いて見つめてくる。

 口をあんぐりと開ける人を見つける度に、リーゼは噴き出し笑いをした。「あの人、おかしな顔してるよ。ルティお姉ちゃんも見てみて」リーゼはニヤニヤと笑いながら、私に目線で指し示す。リーゼの視線を追いかけると、また私の口元は綻んでいく。得意げな表情のリーゼと目を合わせて笑った。

 呆然と固まる人たちを置き去りにして進み行く。隣で歩くリーゼと私の足並みはピタリと揃っていた。


 数分後、私とリーゼは目的地にたどり着く。私はドアノブに手を掛け、寮室への扉を開いた。


 「ここがルティお姉ちゃんのお部屋なんだ」


 リーゼは弾んだ声を出すと、部屋の中へと駆け出す。無邪気な笑い声をあげながら、部屋の中を探検し始めた。学園寮の質は決して悪いものではない。机にベッド、クローゼットなど基本的な家具は全て備え付けられており、各個人に割り当てられる部屋の間取りも広い。

 一般的な平民の生活水準を鑑みれば、十分に恵まれていると言えるだろう。公爵家のタウンハウスから追い出された私にとっても贅沢すぎる部屋だった。


 「がっかりさせてしまったかしら?」


 私は書棚とにらめっこをするリーゼに向かって揶揄うようにつぶやく。振り返ったリーゼは不思議そうな表情で首をかしげた。


 「がっかりなんてしないよ?」

 「そうかしら?……リーゼの部屋と比べたら、狭いし何もないでしょう。お姫様のような華やかさなんて、どこにもないの」


 私の声には羞恥の色が滲みだす。ぐるりと視線を部屋中に巡らせる。机の脇に置かれたセレストドラゴンのぬいぐるみが気だるげな瞳を私に向けていた。

 公爵家での自室と比較すること自体がおこがましい――わかりきったことだとしても、やるせない気持ちになる。リーゼが伯爵令嬢であることも、私の羞恥心を強く煽り立てた。

 無骨な備え付け家具を飾り立てるのは、私とエリアルが作った布細工の数々。殺風景な部屋を少しでも華やがせるために、少しずつ作りためてきた思い入れのある作品たちだ。

 餞別の代わりに贈られた宝飾品もドレスも、部屋を飾る役には立ちやしなかった。飾られた布細工も決して精巧にはできていない。どこか歪み、所々で糸はほつれている。職人たちの作品との差は歴然としていた。


 「ルティお姉ちゃんのお部屋は十分に素敵だよ」


 リーゼは楽しげに室内の布細工を指さしていく。「あれも好き」「こっちはかわいい」リーゼの声はだんだんと弾み出す。まるでダンスを踊るかのごとく体を一回転させると、弾かれるように両手を真横に広げて駆け出す。勢いのままに私へ抱き着いてきた。

 もぞもぞと押しつけた頭を動かすと、満開の笑顔が咲き誇る。見下ろす私の瞳は大きく開かれていた。


 「とっても可愛らしいお姫様のお部屋なんだもん。リーゼもこんなお部屋に住んでみたい。ルティお姉ちゃんが羨ましいよ」

 「お姫様のお部屋……」


 私は小さくつぶやく。リーゼは大きく頭を振った。何度も何度も頭を上下に揺らす様は、せわしなくてしょうがない。私の口元には微笑が浮かんでいた。


 「お姫様のお部屋と言うには、華やかさが足らないわよ」私は明るい声を出す。

 「たくさん飾りがあって華やかだもん。それに、叔父さんの家みたいなキラキラしてるお部屋は嫌いなの」


 リーゼは頬を膨らませて不満を露わにする。私はリーゼの頭をゆっくりと撫であげた。


 「布細工が欲しいのならば作ってあげるわ。リーゼは何が欲しいかしら?」

 「お姉ちゃんが作ったの?」

 「そうよ。この部屋の布細工は私と、私のメイドとの合作なの」


 私は片目を閉じ、リーゼに向かってウィンクを送る。リーゼは小さく噴き出して笑った。


 「ルティお姉ちゃん、また変なお顔してるよ」


 一歩後ろにさがったリーゼは、指をさしながら体をくの字にして笑う。私は小さく唇を尖らせた。


 「リーゼ、笑わない!」

 「だって、お姉ちゃんがおかしいんだもの」リーゼは両手で口元を押さえる。

 「もう笑わないの!整えてあげるから、ついてきなさい!」


 私は目を怒らせて声を張りあげる。リーゼは口元をもにょもにょと歪めながらうなずく。小さなため息を漏らしながらも手を差し出せば、私の手をとったリーゼが前を歩き出す。小さな騎士の背中を見て、私は顔をほころばせた。


 部屋の奥にある鏡台へ向かいながら、横目で机の上を覗き見る。そこには、青薔薇の香水瓶を収めた木箱が鎮座していた。そっと視線をリーゼの背中へ戻すと、私の胸は何故かチクリと痛んだ。

読んでくださってありがとうございます。

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