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30 令嬢、侍女と状況確認をする

 「ルティのことだから、目星はつけているのでしょう?」


 エリアルは私の前に紅茶を配膳しながら訊ねる。トレーにエリアル自身の紅茶を乗せたまま、テーブルの真向かいに移動し、ゆっくりと腰かけた。

 私とエリアルはそろって紅茶に口づける。可憐な花のような香りが漂い、鼻孔をくすぐる。心のわだかまりを解きほぐすように、私はゆっくりと息を吐き出した。


 「お姉様も気づいているのでしょう?」私は悪戯っぽく微笑む。

 「あの香水店は怪しいと思うわ。別に、あの店主に含むところはないのだけれど……」


 エリアルが口ごもる。視線が戸惑うように左右に揺れて私から外れた。


 「あの香水店の近くにいると、どうしても感情を抑えられなくなるの。問題の香水が、本当に人の心を誘導するものであるならば、関係がないとは思えないわ」


 エリアルは早口で言い切ると、気持ちを切り替えるように紅茶を口にする。私は相槌を打ちながら聞いていたが、最後には首を左右に振っていた。


 「私も無関係だとは思わないの。でも、もしそう考えるならば、私にも影響しないとおかしいわ。お姉様だけに影響するなんておかしいもの」


 私の声には悲しみが色濃く表れる。

 フローラの冤罪を晴らそうとする私が、トリスタに冤罪をかけるわけにはいかない。事件に介入するならば、確かな根拠が必要だった。

 内心ではトリスタが怪しいと感じてはいても、私には断定しきれなかった。


 「そのことなら予想がついているわ。ずいぶんと単純な話よ」

 「……どうしてか、わかったの?」


 私は思わず呆けた声を出す。目を見開いてエリアルを見つめた。

 エリアルは一瞬だけ怪訝そうに眉根を寄せるが、すぐに得意げに笑い出す。エリアルは「ルティには気づけないかもしれないわね」と揶揄うように言い放った。

 紅茶を一口飲みながら思考を巡らせてみるが、私には検討もつかない。答えを求めるように、伏し目がちにエリアルを見上げた。


 「香りの感じ方にも個人差がある、それだけのお話よ」

 「どういうこと?」


 私が小首をかしげながら訊ねると、エリアルは考え込むように目を閉じる。数秒後、ゆっくりとまぶたを開けたエリアルは紅茶に口をつけた。


 「この茶葉は少し苦めだと思うのだけれど、ルティはどう感じたかしら?」


 エリアルの唐突な質問に私は眉をひそめるが、促されるままに紅茶を口に含む。苦みは強いがストレートでも十分に美味しい。漂う花の香りも爽やかで、私好みの香りだった。


 「少し苦めだけど、美味しいと思うわ。花の香りも気に入ったし。今度はミルクを入れて飲んでみたいわ。……エリアル、話をそらさないで」


 美味しい紅茶に頬が緩みそうになるが、すぐに表情を引き締める。私は口を尖らせてエリアルを非難した。

 エリアルは嬉しそうな表情を見せて「次はミルクの用意もしておきますね」とつぶやいた。


 「私たちはこの紅茶を苦いと感じたわけだけど、同じくらいの苦味を感じたとは言えないでしょう?辛味の得意な私はドローラ・チキンを食べられるけど、ルティは食べられないし」


 ドローラ・チキンは香辛料をふんだんに使った蒸料理だ。一口食べただけで涙が止まらなくなり醜態を晒したことを鮮明に覚えている。私には忘れたい苦い思い出だった。


 「それとは関係ないでしょ」


 不貞腐れてつぶやく私を見て、エリアルは苦笑する。


 「関係があるのよ。ドローラ・チキンを食べられるかどうかは、辛い料理への耐性があるかどうかの違いだと思うの。はっきりと言ってしまえば、個人差があるだけ、そうでしょう?」

 「……あの香水店での出来事も同じ?」


 私は肩透かしを食らったかのように呆然とする。エリアルは真剣な表情でうなずいた。


 「辛味だけでも感じ方は人それぞれなのだから、香りへの感じ方も人によって違って当然よ」


 エリアルは一息で言い切ると、紅茶に口をつける。動揺のあまり私の視線は大きくぶれていた。

 トリスタが魔法を使ったことを私は怪しんでいた。店内に香りを漂わせるふりをして、別の魔法を使ったのだと……。気分を落ち着けるために紅茶を一口飲むが、何も味を感じられない。

 震える手で降ろしたティーカップが不快な音を響かせた。


 「……私の方がお姉様よりも耐性があっただけなのね」


 私はポツリとつぶやく。やるせなさを隠せなかった。


 「ルティが気づけないのは、仕方がないことよ。私がメイドだったから、わかっただけよ」


 エリアルは慰めるように声をかける。優しい眼差しを私に向けていた。


 「私の仕事はルティを支えることだから、よく考えるのよ、ルティはどうしたら喜んでくれるかなって。……食事でもそうよ。私ならばこの味付けの方が好みだけど、ルティは違う。そんなことはよくあるの。自分の基準にこだわらないことが、私の仕事では大切なのよ」


 楽しげに笑うエリアルは頬杖をついた。


 「だから、私とルティで感じ方が違う、そのことをよく知っているわ。今回もそうかもしれないと思ったの」

 「……いつもありがとう」


 私は気恥ずかしさを感じて視線を逸らす。エリアルは「とても嬉しいわ」と弾んだ声を出した。

 ごまかすように紅茶を口に含めば、ほどよい苦みが私を刺激する。ゆっくりとティーカップを置いて顔をあげた。

 姿勢を正したエリアルと視線が絡まっていく。


 「トリスタさんは関わっていると思う?」

 「……私はそう思うわ。主犯かどうかはわからないけれど」


 エリアルは躊躇いがちに告げる。私は「そうよね」と小さくうなずいた。

 トリスタは香水への造詣が深く、感情的に振る舞うエリアルを面白がっている節があった。もしかしたら、エリアルが感情的に振る舞うことも知っていたのではないか?

 トリスタが人の心に影響する香りを知っていたとしても、私は驚かないだろう。


 「お姉様は青薔薇の香水を嗅いでおかしくなったのよね?」


 エリアルは大きくうなずく。


 「あの香水店にはたくさんの香水があったのに、すぐに青薔薇の香水を見つけたのはどうして?」


 私が訊ねるや否や、エリアルは目を見開いて固まった。開いては閉じるを繰り返すばかり、エリアルの口からは声がなかなか出てこない。エリアルの瞳は戸惑うように揺れていた。


 「そ、それはね……その……」エリアルは顔を俯かせる。

 「そんなに言えないことなの?」


 黙り込んでしまったエリアルを私はじっと眺める。にわかにエリアルの両耳が赤く色づき出した。


 「ルティの笑顔が見えた気がしたの!だ、だから、私は……」


 突然、顔をあげたエリアルが大声を張りあげるが、勢いは長くは続かない。言い終えることなく霧散した。

 驚く私は目を見開くばかりだったが、次第に頬が熱くなった。


 「お願いだから、忘れて」エリアルは蚊の鳴くような声でつぶやく。

 「……忘れたりしないよ。だって、嬉しいから」


 羞恥から泣き出しそうなエリアルに微笑んで見せる。私の心はポカポカとあたたかさで満たされていた。


 「それに私もね、エドモンド様の姿を見た気がするから……お姉様と一緒だよ」


 もしかしたら件の香水で心を操作されただけなのかもしれない。それでも、大好きな人を感じられたことが嬉しい。姉のように慕うエリアルが、私のことを大切に想ってくれていること知って、私の心が高揚していく。

 単純な女だと笑い出したくなった。


 「ルティも青薔薇の香水を嗅いだときにエドモンド様が見えたの?」

 「違うわ。柑橘系の香りがしていたもの」


 エリアルはうなずきながらティーカップを手にとると、再び紅茶を口にした。


 「ルティは特におかしくなったりはしていなかったわよね?」

 「いつもと何も変わらなかったわ。香りを嗅いだときは幸せな気持ちになったけれど、感情的になったりはしていないと思う」


 私は思い出しながら答える。エリアルは相槌を打つと黙り込む。私も倣うように思考の海に沈んでいった。

 感情が抑えきれなくなるか否か――私とエリアルの特筆すべき違いは一つだけだ。影響を受けた香りが異なることを含めて、個人差があると切って捨ててもいいのだろうか。

 気を紛らわせるように紅茶に手を伸ばす。口に含めば随分と冷めてしまっていることに気づく。私は残り少ない紅茶を一息に飲み干した。


 「エリアル、明日からお願いしたいことがあるわ」私は硬い口調に切り替える。

 「何なりとお申し付けくださいませ」


 エリアルは椅子から立ちあがり頭をさげた。


 「エリアル、貴方は香水の噂話の出所を探りなさい。特に、貴方に香水の話を伝えた者には、十分に注意して調べなさい」

 「かしこまりました」


 私はエリアルの主として命じる。不安を押し殺すように声を張りあげた。


 「私は青薔薇の香水について調べます。少なくともエリアルに作用している以上、調べてみる価値はあるでしょう」


 私は一息で言い切ると、まぶたを閉じる。

 力を貸してくれるだろう小さな騎士の姿を思い浮かべる。リーゼを巻き込みたくはないが、私とエリアルだけではどうにもならないのは事実だった。青薔薇の香水を調べるためには、魔法に秀でたリーゼの協力は不可欠に思えた。


 「エリアル、わかっているとは思うけど、無理をすることは許しません。できる範囲でかまいません。調べておきなさい」


 願いを込めて私は言い放つ。エリアルは顔を俯けたまま、小さくうなずいた。

読んでくださってありがとうございます。

まだまだ頑張ります。

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