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29 令嬢、侍女に赤面する

 学園に戻る道すがら、私は思考を巡らせる。フローラさんの嫌疑を晴らすために、私にも何かできることがあるのではないか……。

 ブレス・ブルームの権益を独占する――それが理由の一つであることは間違いないはず。だが、貴族であれ商人であれ、権勢を欲する者ならば誰もが望むことに違いなく、その候補はあまりにも多すぎる。とてもではないが、特定の誰かに絞ることはできやしない。

 さりとて、悠長に調べる時間は残されてはいない。ゲーベル様の言うとおり、フローラさんは尋問に耐えられないだろう。王妃教育の一環として罪人への尋問を見学したが、凄惨の一言に尽きた。……少なくとも、私に耐えられるとは思えない。尋問の様子を思い返すと、どうにも気が重たくなった。


 何から手をつければよいのだろうか……。

 私が持つ情報はゲーベル様から聞かされたものだけだ。はっきり言えば、何も知らないのだ。時間が足りない中、やみくもに調べるわけにはいかない。何かしらの足掛かりがどうしても必要だが、私には思い至らなかった。


 私は何度目とも知らぬため息をつく。

 思考は堂々めぐりを繰り返すばかりで、答えを見つけることができないでいた。同行するエリアルも口を開くことはなく、ただ私につき従う。沈黙は私の寮室に戻るまで続いた。



 鏡台の前に座ると、エリアルは私の髪を解き整え始めた。私は目を閉じて、エリアルに身をゆだねる。そのまま思考の海に沈んでいった。

 不思議な香水店、感情を抑えられないエリアル、ブレス・ブルーム、フローラさんの嫌疑……。今日一日の出来事を少しずつ紐解いてみると、私の中で一つの疑惑がグルグルと螺旋を描きながら、浮上しては沈んでいく。まるでもがき苦しむかのように、回転軸は徐々に歪んでいった。


 ――やはり、あの香水店が怪しい。

 香水店について教えた後に見せたゲーベル様の剣幕を思い返す。再三にわたって香水店に近づかないように念を押す姿は普通ではなかった。まるで危険があると暗に示しているとしか思えない。

 ゲーベル様の中では何か確信めいたものがあったに違いない。


 エリアルの様子が変わったのも、香水店に近づいてからだ。少なくとも、今のエリアルにおかしなところは見当たらない。

 そもそも、香水店が怪しいとするならば、エリアルにだけ影響したことをどう説明すればいい。どうして、私は何も変わらなかったのだろうか。エリアルと一緒に香水店を訪ね、同じ香水のにおいを嗅いでいたのは間違いない。

 丸薬を飲みくだすのとはわけが違う。特定の個人を狙い撃ちにすることなどできるはずがない。

 そうすると、あの香水店は関係がない……?


 考えがまとまらないまま、思考は同じところをグルグルと回り続ける。時計の針もまた一つ回り、午後六時を告げる鐘の音が遠くに響いた。

 私にも何かができるはずなのだ。いや、何かを成さないといけない。それなのに、何も思い至らない。

 私の全身を燃やし尽くさんばかりに、激しく焦燥が燃え広がっていく。膝の上に置かれた両こぶしは強く握りしめられていた。


 「お嬢様、ご確認くださいませ」


 エリアルの声が私を現実に引き戻す。私がゆっくりとまぶたを開けると、笑顔のエリアルが鏡面に映っていた。

 頭をずらして後ろ髪を確認する。後ろで一つにまとめられた髪に、白き翼を模したバレッタが飾り付けられていた。

 私は思わず鏡を凝視した。そっと後ろ髪に手を当てバレッタに触れると、かすかにエドモンド様の魔力を感じる。エドモンド様が学園への入学祝いとして送ってくださったバレッタに間違いなかった。


 すぐに私の元まで追いついてきて欲しい――そう告げられたのは二年前のことだ。私がエドモンド様を見失わないように、とバレッタに魔力を注いでくれたことを鮮明に覚えている。

 そばに居られなくなった今も、私はエドモンド様を想っている。でも、その背中にどれだけ近づけたのか。……手を伸ばしさえすれば、まだエドモンド様の背中に届くのだろうか。

 力なく腕を下ろし、私は顔を俯かせた。膝元がどこか滲んで見えた。


 「私はお嬢様に従います。だから、お嬢様の……いえ、ルティの思うがままに行動したらいいわ」


 エリアルはやさしく私の頭を撫でると、後ろから私を抱きしめる。顔をあげてエリアルを見る勇気は、私にはなかった。


 「ルティは私の主なのだから、変に気をまわさなくてもいいのよ」

 「……エリアルならばわかっているのでしょう?私がしようとしていることは、自己満足にすぎないわ」


 硬い声で口にした言葉が、ナイフのような鋭さを持って私の胸を突き刺す。

 フローラさんの嫌疑を晴らすことには、確かに意味がある。冤罪で裁かれることを防ぐことも、ブレス・ブルームの不当な権益確保を明らかにすることも、どちらも大切なことだ。

 もしエドモンド様がいれば、決して見逃したりはしないだろう。スターチス王国では、王の不在時は王妃が指揮を執るのが習わし。それならば、エドモンド様が不在の今、王太子妃の私が代わりに解決するべきだ。


 でも、私なんかにエドモンド様の代わりが務まるだろうか?

 私自身の努力を卑下したくないが、それでも不安が頭をもたげて仕方がない。

 剣の腕は二流、魔法に関しては三流以下。公爵家の庇護からも外されてしまっている。フローラさんの件に関わるならば荒事は避けられないが、私には何の力もないのだ。


 誰にも期待されていないことを、私は知っている。

 正式な王太子妃が決まるまでの繋ぎ――それが私だ。

 何もしない何もできない御飾りの王太子妃であることのみが求められている。誰も私がエドモンド様の代わりを果たすことを望んでいない。……私が長年エドモンド様の婚約者であることも、私がエドモンド様を愛していることも、王国においては無価値なものでしかない。


 家柄と魔法適性の低さで決められた期間限定の王太子妃。

 決して私には真実を告げてはならない――王命に背いてまでお父様が教えてくれたのは、きっと優しさなのだろう。私がどれだけエドモンド様に恋焦がれたとしも結ばれる未来はない、と。

 エドモンド様と年齢の近い令嬢には魔法適性の高いものが多く、王太子妃の選考は難航している。今も三人の候補者から決めきれずにいるのだ。

 選定が済んでしまえば、エドモンド様の体面を保つためだけの王太子妃など吹き飛ばされてしまう。そのために、王妃としては不適格なほどに魔法適性の低い――失墜させるには十分な理由を抱えた私が選ばれたのだから。


 エドモンド様は真実を知っているに違いない。知っているからこそ、期間限定の王太子妃を大切にしてくれたのだろう。相思相愛だと勘違いしていた私は、愚かな女でしかなかった。

 王太子妃にはルティしか考えていない、とエドモンド様が宣言されたのは、私だけに貧乏くじを引かせないためかもしれない。

 エリアルが言うには、私のエドモンド様への想いはわかりやすいらしい。加えて、エドモンド様に私を想う発言があるならば、私とエドモンド様の関係を一方的に清算することは難しくなる。

 先々代の王と王妃の不和が国に混乱をもたらしたことは、王国ではあまりにも有名な話だ。エドモンド様が私を想っているのならば、引き離すことに抵抗を覚える者もいるだろう。エドモンド様と次の王太子妃との間に楔が打ち込まれてしまうのだから。


 エドモンド様には、信用されていても愛されてはいないのだろう。

 例え、私の片思いに過ぎないとしても、胸に灯った恋の炎は消えていない。簡単にはあきらめるなんて、できるわけがない。エドモンド様の隣に立つのは――王太子妃は私でないといけないのだ。

 私には周囲を認めさせるだけの結果が、どうしても必要だ。王妃教育を早期に修了するだけでは、誰も私を認めたりはしなかった。

 フローラさんの事件は、私がエドモンド様にふさわしいことを示す、絶好の機会だった。


 「自己満足で何が悪いの?」


 エリアルが私に訊ねる。私はおそるおそる顔をあげると、正面の鏡に目を向ける。悪戯っ子のように小さくウィンクをするエリアルが映っていた。


 「ルティはエドモンド様が好きなのでしょう?好きな相手に喜んで欲しいと思うのはあたりまえのことよ。でも、本当に相手が喜んでくれるかなんて、誰にもわからない。わかるのはその本人だけ」


 エリアルは同意を求めるように言葉を切る。私は何も言えないまま、小さくうなずいた。


 「だから、自己満足でいいのよ。大切なのはルティがどうしたいか、それだけよ」

 「でも、迷惑をかけてしまうわ。……きっと、エリアル、貴方にも」


 さも当然とばかりに答えるエリアルへ向けて、私は震えた声を出す。私自身のわがままで、エリアルを危険に巻き込みたくはなかった。


 「そんなことは今更よ」


 エリアルは即座に言い切る。私を抱きしめるエリアルの両腕に力がこもった。


 「私はルティが好きよ。だから、ルティに何かをしてあげたいと思うし、ルティが嬉しそうにしていたら、私も嬉しくなるの。逆にね、悲しそうにしていると、私も悲しくなるのよ」

 「……本当にいいの?」私はぼんやりとつぶやいた。

 「当然よ。それに、何の協力もさせてくれない方が嫌だわ」


 エリアルは唇を尖らして私を非難する。あまりにも子供染みたしぐさに、私は小さく噴き出した。

 にんまりとエリアルは表情を緩めると、私の頭を一撫でした。背筋を伸ばして私の隣に立つや、椅子に腰かけた私に向かって手を差し伸べた。

 私はおずおずとエリアルの手を握る。エリアルに力強く引かれた私は、立ちあがってエリアルを見つめた。

 エリアルはウィンクを一つ決めると、私と手を繋いだまま片膝をついた。


 「お嬢様の望まれる道を進んでください。私は、どんなことがあったとしても、お嬢様にお仕えいたします」


 エリアルは私の指先に口づけると、手の甲に額を押し当てる。

 スターチス王国では、もっとも有名な騎士の礼だ。愛しい女性に決して裏切らないと誓う――男性から女性に向けた親愛の証明。

 リーゼが見せた騎士の礼には、深い意味はなかった。騎士への憧れから、見よう見まねでリーゼは行ったのだから当然とも言える。

 エリアルはどんな気持ちで私に親愛を伝えているのだろうか。

 燃えているのではないか、錯覚に陥るほどの熱が私の頬に集まった。


 「……エリアル、ありがとう」


 私は消え入りそうな声でつぶやく。エリアルはそっと私の手を離すと、二度目の口づけを私の指先に落とした。

読んでくださってありがとうございます。

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