27 令嬢、熊男への協力を決意する
「す、少し落ち着いてください」
ゲーベルの激昂を見て、私は宥めるように声をかける。感情を剥き出しにした瞳が私を捉えた。
「フローラさんのことを教えてください。……私では力にはなれないかもしれませんが、話すだけでもきっと楽になると思うのです」
私は下げたままの両こぶしを強く握りしめ、身を乗り出す。ゲーベルの視線を真っ向から受け止めた。
目を見開いたゲーベルは一瞬だけ口を開けるや否や、力一杯に噛み締める。徐々に力を抜いているのか、魔物のごとく恐ろしげな表情は穏やかなものへと変わっていった。
見つめ合ったのは数秒のことだろうか。仕切りなおすように、ゲーベルは一つ息をついた。
「フローラは、直接的には関与してないんだ」
ゲーベルは落ち着いた口調で言う。私は先を促すように、小さくうなずいた。
「フローラの花屋は強盗に押し入られたことがあるんだ。そのときに、いくつかの花を盗まれたんだがな……その盗まれた花の内一本が、問題の香水に使われていたんだよ」
ゲーベルは苛立ちを抑えるべく、胸元を強く握りしめる。服にはくっきりとシワができていた。
「花を盗まれた被害者なのに、どうして罪となるのですか!」
私は甲高い声をあげる。ゲーベルの様子を見る限り、フローラが加担しているとは信じられなかった。
何よりも謂れのない罪を被せられていることが気にいらない。身につまされる思いだった。
「……疑わしきは罰しろ、そういうことだ」
「そんなこと、おかしいわ!」
思わず抗議の声をあげると、ゲーベルは顔をくしゃりと歪めて笑う。ささやくような「ありがとう」との言葉に、私は目を大きく開いた。
毒気の抜かれた私は、まじまじとゲーベルを見上げて黙り込んでいた。数秒の沈黙の後、ゲーベルは固まる私に軽くデコピンをする。小さな痛みを感じ、私は額を押さえた。
ゆっくりと腕を下ろしながら、もう一度ゲーベルをのぞき見る。腕で視界が覆われていた一瞬で、子供のごとく屈託のない笑みは霧散していた。
あれは見間違いだったのだろうか。気持ちを切り替えるように、私は小さく息を吐いた。
「……花屋であれば、王都中にあります。盗まれたお花だって、他の店にもあったはずなのに、どうしてフローラさんのお店だと疑われるのですか?」
いくぶんか落ち着いた口調で私は訊ねる。あまり街を出歩かない私ですら、花屋を五軒は知っている。街に買い出しに行くエリアルならば、さらに知っているだろう。
ゲーベルも同意するようにうなずくが、その瞳には悲しみの色が浮かんでいた。
「その花はスターチス王国では咲かないんだ」
「咲かない?」私はいぶかしげに聞き返した。
「ああ、そうだ。生育がふつうの花とは違うんだ。水も土も特殊なものを使わなくてはならない上に、開花期間がたったの三日しかない。だから、王国内では全く流通していないんだ」
悲痛な表情とは裏腹に、ゲーベルは少し誇らしげに言う。私は驚きのあまり口を半開きにしたまま聞き入っていた。
ゲーベルの話が本当ならばスターチス王国ではじめて生育に成功した花がある、ということだ。特殊な環境で育つ短時間しか咲き誇らない花。そして、人に影響を及ぼすほどの効果を持つとなれば、私の心当たりは一つしかなかった。
「もしかして、フローラさんが育てた花というのは、ブレス・ブルームのことですか?」
私は高ぶる感情のままに身を乗り出す。ゲーベルは「そのとおりだ」と喜色を浮かべて答えた。
ブレス・ブルームは強力な治癒効果を持つ魔法花で、骨折や打ち身などの身体的なものから不眠症などの精神的なものに至るまで、万病に効くと謂われている。ただ五枚の花びらにしか効能はなく、時間とともに治癒効果は薄れる。それゆえに、スターチス王国ではブレス・ブルームの粉末を隣国リンドリアからの輸入に頼るしかなかったのだ。
リンドリアの赤土とは相性がよいためか、国花としてブレス・ブルームは多く育てられている。リンドリアを医療大国に押し上げたのは、ブレス・ブルームと言っても過言ではなかった。
フローラがブレス・ブルームの生育に成功したことは、間違いなく快挙だ。ブレス・ブルームを国内でも提供できるのならば、より安くより品質の良い薬が大勢の人に行き渡る。これまでは救われなかった命も救われるようになるかもしれない。
輝くばかりの未来を思い、私の体は歓喜に震える。ゲーベルは照れくさそうに頭を掻くが、その表情は徐々に陰り始めた。
「……フローラが頑張っていたことは、俺が一番よく知っている。あいつは優しい奴なんだよ。病気で亡くなる子供をなくしたいって、よく笑っていたんだ。それなのに、どうしてこうなるんだよ……」
ゲーベルは言葉を続けられないのか、目を伏せて黙り込む。沸き立っていた私の心も急速に冷え込んでいった。
状況を打開するために何をするべきか、私は思考をめぐらせる。
沈黙は数秒か、それとも数十秒だろうか。必死に考えるが、すぐには有効な対応策が思いつかない。不甲斐なさのあまりに、私の視線は地に向かって行った。
「フローラさんは、勾留されているのですか?」
「ああ、そうだ」
私の小さなつぶやきに、ゲーベルは硬い声で答える。強く握りしめられたゲーベルの拳は赤黒く変色していた。
思わず私も下唇を噛み締めた。
「俺には時間がないんだ」
ゲーベルは絞りだすように言う。私が顔をあげると、怒りと悲しみを混ぜこぜにした揺れる瞳で見つめられた。
「フローラが尋問に耐えられるとは思えないんだ。耐えられなくなれば、ありもしない罪を自白させられるかもしれない。だから、本格的に始まる前に俺はフローラを助けたい。ルティ、俺に協力してくれないか。虫のいいことを言っているのはわかっているが、それでも――」
「ゲーベル様」
息をつく間もなくゲーベルは言い募る。その必死の言葉をピシャリと私が遮ると、ゲーベルは血走った眼を大きく開く。私は小さく喉を鳴らし、穏やかな笑みを浮かべて見せた。
「ぜひ私にも協力させてくださいませ」
私はスカートを握り小さく頭をさげると、得意のウィンクを送る。ゲーベルは呆けた顔を一瞬見せると、笑いを堪えるように口の端をヒクヒクと歪ませる。
不思議そうに私がまばたきを数回繰り返していると、ゲーベルは「ありがとう」と満開の笑みを見せた。
ゲーベルの反応にかすかな違和感を覚え、私は小さく首をかしげた。
「――お嬢様」
そっと私の真後ろに歩み寄ったエリアルが、咎めるような声を出す。
私が軽く手をあげると、エリアルはこれ見よがしに息を吐きながら後ずさる。私を案じてくれるエリアルに心の中で感謝した。
事件に自ら首を突っ込むのは愚か者のすることだ。私には関係ないことだ、とゲーベルの願いを突っぱねる方が正しいこともわかっている。それでも、エドモンド様の隣に立つためには、見て見ぬふりはできない。それに、リーゼが望む『アルティリエ姫』ならば、きっと逃げたりはしないだろう。
フローラさんの事件はどうにもきな臭いのだ。ブレス・ブルームの権益を狙っているとしか思えない。
盗まれたブレス・ブルームが悪用された。その事実だけを考えれば、フローラさんは被害者だ。少なくとも犯人の一味として扱われること決してないはず。……例え、盗まれた先で犯罪に使われたとしてもだ。
フローラさんは恐らく冤罪なのだろう。罪人として扱われているのは、その方がフローラさんを利用する上で、都合が良いからに違いない。
無実の罪を被せたうえで恩赦を与えて無理やり従わせるのか。それとも、尋問でブレス・ブルームの生育方法を暴き出すのか。どちらにせよ決して許されることではない。
私は両こぶしを握りしめて前を向く。エリアルの抗議の声に、ゲーベルの瞳は不安げに揺れていた。
「みんなでフローラさんを助けましょう。私とゲーベル様、エリアルの三人で」
私は声を弾ませて言う。私たち三人それぞれの不安が晴れることを願いながら。
「そうだな、頼りにさせてもらうぞ」
「ええ、任せてください」
ゲーベルは一歩前に進むと、私に向かって手を差し出す。私は迷うことなく、その手を握る。私もゲーベルも表情をゆるめた。
「エリアル、貴方もこちらに来なさい」
私は振り向いてエリアルに声をかける。エリアルは無表情のまま、私の横に並んで立った。
「私はお嬢様に従うのみですが、よろしくお願いいたします」
「……ああ、あんたも頼むよ」
小さくエリアルは頭をさげる。ゲーベルの声には若干の険が含まれていた。張り詰めた空気を感じ、私はこっそりとため息をつく。
この二人はどうして仲が悪いのか。私は首を傾げるばかりだった。
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