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21 令嬢、侍女と香水店に赴く

 エリアルに連れ込まれた店内には幻想的な光景が広がっていた。


 赤色、青色、黄色とその色合いに応じて仕分けをしているのだろうか。棚の背後に照明が設置されているために各々の色彩で淡く輝いている。薄暗い店内を虹色に染めあげていた。

 棚の前を歩けば、その色合いに応じた香りが漂う。商品棚にところ狭しと並べられた香水瓶は同一ではないのだろう。香水が瓶自体に染みわたり香りを放つが、様々な香りが一体となってハーモニーを奏でている。

 香水瓶の配置を変えないために商品棚には水魔法による障壁が展開され、直に香水瓶に触れることはできない。香水瓶の配置が意図的であることは明白だった。私は店主の技量を思い舌を巻いた。


 「お嬢様、こちらの薔薇の香水をライラック様に贈りましょう!」


 エリアルは一直線に青の商品棚へと私を連れていく。満面の笑みで振り返るエリアルに対し、私は目を見開いた。


 「……赤い薔薇ではなくて、青い薔薇?」

 「その通りです。店の外からも、この香水のにおいが漂ってきていました。間違いありません」


 自信満々に答えるエリアルはそっと商品棚に手を伸ばして障壁に触れる。数秒後、押し当てた手を離して、エリアルは「お嬢様、ご確認ください」と手のひらを私の鼻先に近づけてきた。

 私は手であおぎ、においを嗅ぐ。ほんのりと甘く、やさしい香り。私が店外で感じた香りとは異なるが、素敵な香りであることには間違いなかった。

 エリアル自身もにおいを嗅ぎ「やっぱり、この香水です」と嬉しそうにつぶやいた。


 「エリアルの言うとおり、この香水は素敵だわ。でも、目的の香水とは別ではないかしら?嗅ぐ相手に応じて香りを変える……そんな夢のような香水があると聞いたのでしょう?」


 私はエリアルの目を真っすぐに見つめながら問いかける。エリアルの笑みが一瞬だけ固まった。エリアル、あなたは当初の目的を完全に忘れていたわね……。

 エリアルに気づかれないように私は小さくため息をついた。

 数秒間、エリアルはきょろきょろと視線をさまよわせた後、恥じ入るように目を伏せた。


 「……お嬢様、申し訳ありませんでした」


 エリアルは蚊の鳴くような声を出すと、膝に額をつけんばかりに深く腰を折る。今にも消え入りそうなほど体を小さく縮こまらせた。

 常とは異なるあまりにも感情的な振る舞いに、私の心は大きく波打つ。内心の動揺を押し隠すべく、言葉を慎重に選びながら私は口を開いた。


 「エリアル、私は――」

 「申し訳ありません、お客様」


 私が声を出した瞬間、呼び止める女性の声と重なる。私が顔を向けると、この香水店の従業員であろうか。眼鏡をかけた黒髪の女性が申し訳なさそうな目で見つめていた。


 「店内ではお静かにお願いできますでしょうか」

 「……すみません、失礼いたしました」


 私は女性に頭をさげる。エリアルからは「お嬢様!」と慌てた静止の声が聞こえたが無視をした。

 今、この香水店には王太子妃も公爵令嬢もいない。ただ、友人へのプレゼントを買いに来た一人の女性客でありたかった。


 「え、あ、あの、不躾に申し訳ありませんでした」


 私が素直に謝罪するとは思っていなかったのか、女性は戸惑った声をあげる。私よりも深々と女性は頭をさげた。

 華美な格好はしていないが、平民が着るには上等な衣服を今の私は身に着けている。加えて、そばにメイドを侍らせていれば、貴族令嬢だと予想もつくだろう。

 貴族であれ平民であれ間違いを犯したのならば認めるべきだと思うが、そうも単純にはいかない。女性が貴族と問題を起こさないために頭を垂れたことに対し、私には何も言う資格はなかった。

 私は気を取り直すべく、静かに息を吐いた。


 「どうか頭をあげてください。……教えていただきたいことがあるのです」

 「はい、私にわかることでしたら何なりと!」

 「相手の好む香りへと適宜変化する……そんな夢のような香水があると伺いました。そんな香水が本当にあるのでしょうか?」


 夢物語のような香水が実在するのか、と私は女性に尋ねる。正直に言えば、私は誇張された噂に過ぎないと考えていた。

 女性は顔を引きつらせると、ためらいがちに口を開いた。


 「……申し訳ありませんが、そのような香水はございません。ただ当店では様々な香水を取り扱っていますので、お気に入りの香水が見つかるはずです。……僭越ながら、私にそのお手伝いをさせていただけないでしょうか?」


 女性の回答は私の予想通りだった。やはり夢の香水は噂の域を出ていなかったか、と小さく落胆する。夢物語とは思いながらも、期待せずにはいられなかったことに気恥ずかしさすら感じた。

 一方で、香水選びを手伝うという女性の好意に私の心は喜びで満ちた。


 「では、お願いできますか?友人へのプレゼントを買いたいのです」

 「お任せくださいませ!」


 満開の笑顔を浮かべて女性は首肯する。女性につられて私も笑みを浮かべた。


 「ご友人へのプレゼントとのことですが、店内は一回りされましたか?」


 女性の問いに私は首を左右に振る。

 エリアルに無理やり連れ込まれたのだ。私がゆっくりと店内を巡る余裕などあるはずがない。

 それでなくとも、店内を埋め尽くすほどに香水瓶が置かれているのだ。好みの香りを探すだけでも重労働だろう。今日一日だけでリーゼへのプレゼントを決められるかどうか、不安に思えて仕方がなかった。

 ふと私はエリアルに目を向けた。


 「エリアルはどうしてこの棚に好みの香水があると思ったの?」


 エリアルは迷うことなく青薔薇の香水を手にとった。何かしらの確信めいたものがあったのだろうか。私に同じ真似ができるとは思えなかった。


 「それは……わかりません」

 「わからない?でも、真っすぐに向かったわ」


 エリアルは一瞬だけ悩むようなそぶりを見せて口をつぐむ。目線で話の続きを促すが、困ったような笑みを浮かべるだけだった。

 仕方なく女性に視線を向ける。女性は微笑ましそうに私たちをのぞいていた。


 「お客様、メイドさんは意地悪で何も言わないわけではないのですよ」

 「どういうことでしょうか?」


 私が訊ねると、女性は悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、赤の商品棚に向かう。そして、そっと商品棚を覆う障壁に触れると、魔法を展開した。突然の行動に、私とエリアルは茫然と眺めるしかなかった。

 女性は「お客様、こちらにいらしてください」と声を出す。私とエリアルは顔を見合わせて首を傾げるが、女性の意図がわからない。何の気なしに女性のいる赤の商品棚に向かって歩いた。

 数歩目を踏み出した瞬間、ふいに強烈な辛い香りを感じ、私は顔をしかめる。同時に、私の視界は赤色のペンキをぶちまけたように染めあげられた。

 思わず数歩よろめく私は、楽しそうに笑う女性に抱き止められていた。


 「申し訳ありません、お客様。……ですが、今ほど体験していただいたことが、メイドさんが何も言わない理由です」

 「……意味がわからないのですけど?」


 私は動揺を隠しきれずに震え声で聞き返す。女性に支えられながら、私は姿勢を整えようとする。エリアルは私の腕にかかっていた女性の手を外し、替わりに私の背中に手をまわしてを支えた。


 「香りは五感に作用するということです」


 女性は苦笑しながら言葉を紡ぐ。そして、私の揺れる瞳を真っすぐと見返してきた。


 「香りが刺激するのは主に嗅覚。それはお客様もご存知だと思います」


 女性は自身の鼻頭に右手の人差し指を押し当てた。


 「ですが、嗅覚以外の感覚も同時に刺激させる――そんな香りも確かに存在しています。例えば、香りを嗅いだ瞬間に、辛い味が口に広がったり音楽が聞こえたりするわけです。実際には、何かを口にしたわけでも誰かが曲を奏でているわけでもないのにです。それは、とっても面白いことだと思いませんか?」


 得意げな表情を見せながら、女性は私に問いかける。私には即答できなかった。

 香りは嗅覚を刺激するものでしかない。それが味覚や聴覚に影響すると、女性は言いたいのだろうか。私の十七年の人生の中では、一度もそんなことは起きたことがない。俄かには信じられないことだった。

 私はいぶかしげな視線を女性に送った。


 「疑っておられますね」

 「すみません、私には起きたことがないことですから」


 挑戦的な瞳を向ける女性に、私は申し訳なさそうに答える。


 「お客様は、先ほど経験されたと思うのですが……」

 「あれは、急に辛い香りがしたから驚いただけだと思います。……嗅覚以外の感覚に作用したとは、どうしても思えません」

 「そちらのメイドさんと同じ様に、お客様も香りを感じた瞬間に、誰かが見えたりしませんでしたか?」


 私が小さく首を左右に振ると、女性は大仰にため息をついた。

 エリアルは「失礼な」とつぶやくや否や飛び出そうとしたが、私は視線でエリアルを押さえつける。

 明らかに感情的な態度をとるエリアルに私は内心で狼狽していた。私は波打つ心を必死になだめながら、ごまかすように微笑を浮かべた。


 「でしたら、お客様。実際に試してみますか?先ほどの香り以外にも、この店にはたくさんの香りがありますから」


 女性は冷めた瞳をエリアルに向けながら私に訊ねた。

読んでくださってありがとうございます。

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