17 令嬢、幼女に相談する
恐る恐る目を開いた私は息を呑んだ。
突如として現れた水のドームが私とリーゼを包み込んでいた。日差しを遮るような蒼を背景に、ハート型や星型、ダイヤ型など様々な形のシャボン玉が変幻自在に飛びまわる。
明るい青色に暗い青色。様々な青色で彩られる青の世界に私は目を奪われていた。
「綺麗……」
「えへへ、ルティお姉ちゃんどうかな?すごいでしょ!」
私が感嘆のため息をつくと、リーゼは得意げに声をあげる。恥ずかしそうに鼻をかきながら、はにかんだ笑みを浮かべていた。
「魔法はね、とっても綺麗でとっても楽しいんだよ!……えっとね、えっと、そう自由なんだよ!」
「自由?」
「うん。魔法はね、大好きを形にするんだよ。今の魔法だってね、お姉ちゃんが楽しんでくれたらいいなって、そう思いながらしたんだ」
私は目頭が熱くなり、まぶたで蓋をする。リーゼを見つめたままでいたら、涙がこぼれ落ちると思った。
リーゼはどうしてこんなにも私を受け入れてくれるの?
私は何も言えず、小さく体を震わせた。
「ルティお姉ちゃん?……」
リーゼがおずおずと声をかけるが、私はすぐには反応できなかった。まぶたの端は湿り気を帯びていた。
「ありがとう、リーゼ」
私は普段通りに笑えているだろうか?頬を一筋の涙が流れていく。
リーゼのオロオロとする姿が愛しくて、胸に抱きしめていた。
「……ありがとう、リーゼ」
「どういたしまして、だよ。お姉ちゃんが喜んでくれたなら、リーゼも嬉しい」
私の胸にコテンとリーゼは頭をよせる。涙を隠すように私は顔を俯かせた。
私の気持ちが落ち着くまでの数分間、リーゼは何も言わなかった。ただ私の胸の中でじっとしていた。
リーゼの肩を軽く押して私から離すと、その瞳は真っすぐに私を見ていた。
「ルティお姉ちゃんは魔法を使うときに、どんなことを考えてるの?」
「リーゼ?」唐突なリーゼの問いに私は呆けた声を出した。
「えっと、ルティお姉ちゃんが魔法を使うときに考えていることを教えてほしいの」
魔法式を正確にカードへ書き込み、変換されたカードの構成通りに魔力を注ぎ込む。それ以外に考えることがあるかしら?
困惑した私はリーゼの問いに即答できなかった。私の回答は教科書にも記載されている基本中の基本だ。当然、魔法に長けたリーゼが知らないわけがない。だから、教科書通りの回答は求められていないと思った。
ただ、それがわかっていても私は別の答えを持ち合わせていなかった。
「……魔法発動のルールを遵守することかしら。私は魔法が苦手だから、ルールを守らないと魔法が使えないもの」
「やっぱりだ」
「え?」リーゼの嬉しそうなつぶやきに、私は思わず声をあげる。
「ルティお姉ちゃんが魔法をうまく使えない理由、リーゼはわかったかもしれない」
リーゼは得意気な顔をすると、腰に両手を当てて胸を張る。
困惑をより深めた私はリーゼをまじまじと見やった。リーゼが口にした言葉がうまく処理できない。
魔法の才能がないから、魔法がうまく発動できない。それは私自身が一番よくわかっていることだ。だから、他の学生たちに追いつくために倍の努力を積み重ねてきたのだ。魔法の才能がないこと以外に理由があるとは思えなかった。
「私にも魔法が使えるようになるの?」
「そうだよ!ルティお姉ちゃんも私みたいに、もしかしたらもっと凄い魔法が使えるかもしれないよ?」
リーゼの満面の笑みに鼓動が早まる。
あきらめかけていた夢をもう一度だけ見てもいいのだろうか。
握る手のひらに力がこもった。
「ルティお姉ちゃん、しっかり聞いてね。魔法はね、単純なんだよ!難しくないんだよ!」
「何を言ってるの?」思わず私は小首を傾げた。
「えっと、だからね、えっと……難しくないの」
「魔法はとても難しいわ。魔法式を理解さえできれば魔法は使える……それは十分にわかっているのに、うまくできないわ。魔法が苦手な私だと、魔法式はとても複雑になってしまうから、だから仕方ないことだけれど……」
「ちが、違うよ!ルティお姉ちゃん、魔法はね、難しくなんて、ないんだよ……」
小さくなる言葉尻に倣うように、リーゼは俯いていく。いたたまれない空気に私もリーゼも沈黙した。
リーゼの言葉が飲み込めずに呆然としていたのは数十秒だろうか。言葉が私に染み込んでいくにつれ、疑問は次第に氷解した。
才ある者に才なき者の気持ちはわからない。ただそれだけのことだった。
「……リーゼ、顔をあげて」
波打つ気持ちを押さえつけるようにゆっくりと深呼吸をする。
リーゼに悪意がないことはわかっている。リーゼが善意から私に助言をしようとしたこともわかっている。
私が心に蓋をすれば、リーゼは傷つかない。私さえ我慢すればいい。
「リーゼが私のことを思ってくれていること、私はちゃんとわかっているから」
「違う、違うの、違うんだよ」リーゼは大きく首をふる。
「違わないわ。……私はとても嬉しかったもの。こんなに素敵な魔法を、私のためだけに見せてくれたんだよ。小説のお姫様ではないけれど、私はドキドキしたわ」
そっと両手の手のひらを合わせて差し出せば、色鮮やかなシャボン玉が積み重なる。魔法で作られた幻であるはずなのに、本物の宝石のように輝いて見えた。
「もしリーゼが騎士様のように告白したら、私の気持ちを奪えてしまうかもしれないわ。それぐらい嬉しかったの」
私はそこで言葉を区切る。私の言葉に嘘はひとつもなかった。
「だから、また笑顔を見せて。リーゼが悲しそうにしてると、私も悲しいわ」
「……ルティお姉ちゃんは、それでいいの?」
「――当たり前よ!私は笑顔のリーゼが大好きなんだから!」
リーゼのささやくような問いに、私は一瞬だけ言い淀んだ。ごまかすような声はわずかに上ずっていた。
「リーゼは悔しいよ」
はじめて聞くリーゼの低い声に、ギョッと視線を向ける。俯いたままのリーゼは左手を前に突き出していた。そして、左指をパチンと鳴らすと、水のドームは霧へと姿を変えていく。
私が両手で抱えていたシャボン玉も光となって霧散していった。
急な視界の変化に私は目をしばたかせた。
霧が晴れた先には、クラスメイトからの視線の集中砲火が待っていた。驚愕と畏怖、それに嫉妬の混じる視線に私は思わずたじろいだ。
けれど……私は視線に力を込めてにらみつけた。
「貴方たち、こちらをジロジロと見ているけれども、何か言いたいことでもあるのかしら」
できるだけ低く冷たく言い放つ。目線だけを左右に動かし、周囲を一瞥した。
「まだ講義は終わっていないでしょう。貴方たちは貴方たちのすべきことをしたらどうなのですか。……私の練習の邪魔をするならば、貴方たち覚悟なさい」
顔を左右にゆっくりと動かせば、私と視線を合わせまいと顔を背けられる。そんなクラスメートに背を向けて、私はリーゼだけを見やる。
リーゼのどこかもの寂しげな表情に、私は目を見開いた。
「……リーゼ?」
「どうしたの、ルティお姉ちゃん?リーゼの顔に何かついてる?」
不思議そうな声を出したリーゼは、自分の顔をペタペタと触り出す。寂しげな表情は霧散していた。
私の見間違いだったかしら?
小首をかしげずにはいられなかった。
講師の「本日の講義は終了だ」と告げる声が遠くに聞こえた。
読んでくださってありがとうございます。