10 令嬢、花を贈る
「……ルティお姉ちゃん、ごめんなさい」
左手でアイリスの花束を抱え、右手はリーゼと繋いだままで学園に向けて歩く。花屋の女性からのお詫びを早々に受けとり、王都の中心街にたどり着くころには、日が傾いていた。
リーゼは蚊の鳴くような声でつぶやく。そっと目線を向けると、リーゼは俯いたまま、歩みを進めている。
私は何も声をかけなかった。非のないリーゼの謝罪を受けるつもりはない。私とリーゼは、花屋の店員たちの勘違いに巻き込まれただけだ。
私はリーゼを恨みがましく思っていない。リーゼに謝罪させ、溜飲を下げるつもりもない。だから、リーゼが罪悪感で苦しむ必要はない。
「ありがとう、リーゼ」
顔を前に向けたまま、私もひとり言をつぶやく。繋いだ右手に少し力がこもる。
「今日一日、リーゼと一緒にお出かけできて、とても楽しかったわ」
リーゼが顔をあげる気配を感じたが、気づかないふりをした。
「リーゼさえ良かったら、また一緒にお出かけしたいのだけれども、どうかしら?リーゼは嫌?」
リーゼに向かって軽くウィンクする。リーゼは目を見開き、呆然としていた。
「……リーゼは嫌なの?」
私は足を止め、目を伏せる。小悪魔な脳内の私に『かわいいリーゼに悪戯しようぜ』とささやかれ、傷ついた令嬢を演じる。視界の端にあたふたするリーゼが写り、口元に弧を描いた。
「嫌じゃない!嫌じゃないから!私もお姉ちゃんとお出かけしたい!」
リーゼが声を張りあげる。言い切った後で不安になったのか、心配そうに下から私をのぞきこんだ。
「また一緒にお出かけしましょうね」
「うん!」
私はリーゼをそっと抱きよせる。リーゼと私を繋ぐ右手は、しっかりと握り返されていた。
「次は、私がルティお姉ちゃんのことを守ってみせるから!」
「あら、頼もしい騎士様ですね。次もリーゼがエスコートしてくれるのかしら?」
「私がお姉ちゃんの騎士なんだから、当たり前だよ!」
リーゼの主張に私の頬がゆるんだ。
「リーゼ、少しだけじっとしていてね?」
私はアイリスの花束から一輪の花を選び、リーゼの髪に挿す。『あなたを信頼しています』と、私の気持ちがリーゼに伝わることを願いながら。
「リーゼ、とても似合っているわ」
リーゼは、私の顔とアイリスの花束にせわしなく視線を送っていたが、私に向かって微笑んだ。
「ルティお姉ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして。……騎士様、学園までエスコートしていただけますか?」
私はリーゼに向かって右手を差し出す。
「私にお任せだよ!お姫様、一緒に行こう!」
触れたリーゼの手はあたたかく、力強かった。前を向くリーゼが、私の手を引いて歩く。私も顔をあげてリーゼとともに歩き出した。
「……どんな顔をして入ればいいのかしら?」
私は寮室の前でたたずんでいた。エリアルと仲直りするわ、とリーゼに宣言して別れた以上、何もしないわけにはいかない。臆病な私の逃げ場をなくすつもりで口にした言葉に後悔した。
私はエリアルから逃げ出した。エリアルに嫌われ、私自身を否定されることが怖かったから。きっと、私は私自身しか見えていなかったのだろう。
いつから私は私自身のことしか考えていなかったのか。ふいに小さくため息が漏れた。私はリーゼに感謝しなければならないのだろう。今日一日、私は私自身のことよりもリーゼのことを考えて行動できた。少々強引ではあったが、自己中心的な思考に支配された私を解放してくれたのだ。
エリアルには長く心配させていたのだろうな……。
ヒステリックに泣きわめく私はさぞ面倒だったはず。エリアルに暴力を振るわなかったことだけが、唯一の救いかもしれない。
手元に視線を向ければ、アイリスの花が咲き誇る。フローラルな香りが鼻孔をくすぐり、口元が少し緩む。エリアルだけでなく、私自身のことも信頼しないといけないわね。
コンコン、と私はノックしたが、部屋からエリアルの応答はない。私は気にせずに入室した。
「…………エリアル……」
エリアルは扉に背を向けたまま座っている。エリアルがどんな顔をしているかはわからない。ただ背を丸め顔を俯かせていた。
「……お嬢様、おかえりなさいませ」
「ただいま、エリアル……」
弱々しい声でエリアルは私を出迎える。テキパキと仕事をこなすメイドの姿は見られなかった。私と視線を合わせようともしない。
「エリアル、あなたにプレゼントがあるの。受けとってくれないかしら?」
「……私にプレゼントですか?」
唐突な私の言葉に、エリアルはいぶかしげに私を見る。
「……アイリスの花」
「そう、アイリスよ。私はこの花をあなたに贈るわ。エリアル、この花があなたの問いに対する私の答えよ」
エリアルは目を見開いた。
「花言葉の意味はわかるわね?」
「……お嬢様」
「エリアル、そんな泣きそうな顔をしないで。私は笑顔のエリアルが好きよ」
私はそっとエリアルに近づき、アイリスの花束を手渡す。見上げた視線の先には、目端に涙を浮かべたエリアルがいた。
「エリアル、今までごめんね。私は自分のことしか見えていなかったみたい。エリアルに甘えていたんだと思う」
「そんなこと、そんなことはありません、お嬢様。私に謝る必要なんてないのです」
「ありがとう、エリアル。……でもね、謝らせて欲しいの。エリアルのこと、私は大好きなの。大好きなのに、私は傷つけた。私が弱くて自分のことしか考えられなかったから。だからね、エリアル、ごめんなさい」
私はエリアルに頭をさげる。公爵令嬢がメイドに謝罪することは、本来であればありえない。でも、エリアルは私のお姉様も同然の人だ。私的な場で謝罪することに躊躇などありはしない。
「お嬢様、頭をあげてください。私もいたらなかったのです。……お嬢様を支えることができませんでした」
エリアルは絞り出すように悲痛な声を出す。視線を向けると、涙ぐむエリアルが見えた。
「私は弱いから、すぐに自分のことばかり考えてしまうの。もっと強くなるつもりだけど、私は弱い自分に負けると思う。だから、そんなときはエリアルに叱って欲しい。……私一人だとダメなの。エリアルに助けて欲しい」
私は弱い女だ。すぐに自分本位で考えてしまう。エドモンド様への気持ちも捨てられない。エドモンド様の婚約者の座を誰にも渡したくない。
リーゼが望むお姫様役に私はふさわしくない。きっと恋愛小説に登場する悪役令嬢こそお似合いなのだろう。それでも、エドモンド様のお姫様になりたい。あきらめたくない。
「エリアル、私を助けて」
「――はい、お嬢様」
私とエリアルは顔を見合わせて笑いあった。
読んでくださりありがとうございました。