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第3話 彼女のお仕事


「…………」


「…………」


「……あれ? 誰君」


気まずい沈黙のあと、我にかえったように眼前の美女がきょとんとした顔をした。


「あ、その、林条七世……です。今日からお世話になる……」

怒鳴られたあとなのでなんであろうがとにかく気まずい。七世は完全に畏縮してそう言った。


「林条?…………あぁ、伸一大伯父さんのか!」

女性は合点が行ったように手を叩いた。

「いやー新手のセールスかと思って。ごめんね怒鳴っちゃった」

てへぺろ、と言って女性は女子高生のように舌を出す。


―――いやセールスでもクソアホンダラってのは……


胸中でそう思うも、七世の第六感がそれは口に出してはならないと告げている。ひとまず繕った笑顔をむけて、七世は頭を下げた。

「今日からよろしくお願いします」

「ええ、私は櫻木桜香よ。よろしくね。ところで七世くん、今暇?」

「え、まぁとくに用事はありませんが……」

突然の質問に少し動揺する七世。桜香は続けた。

「実はちょっとお手伝いしてほしいことがあって」

「アパートの掃除とかですか?それなら喜んで……」

「ちーがーう!そうじゃなくて、もう1つの仕事の方!」

「もうひとつの仕事……ですか?」

七世の言葉に、桜香が今度は驚いたように目を見開く。

「えっまさか聞いてないの」

「……実にすいません」

「まぁ、伸一大伯父さんだもんね」

「…………ええっと」

いったい父は親戚のなかではどういう立ち位置なのだろうか。あまり親戚の集まりには行かない七世は気になったが、桜香が口を開く方が先だった。

「んーと、じゃあ、今から荷物おいたらここの真下の部屋に来てくれるかしら。きっともうひとつの仕事もわかるわ」

そう言ってトントンと足で床をならす。

「わかりました」

七世の返事ににんまりと口角をあげる桜香。なんだかとっても嫌な予感がして、それを振り払うように七世は頭を左右に振った。

「じゃあ荷物置いてきます。部屋は……」

「この隣よ。鍵は空いてるから、入ってくれて構わないわ」

「ありがとうございます」





玄関にそっと荷物を置いて、早急にしまわなければならなさそうな母からもらった食品類だけ備え付けの小さめの冷蔵庫にいれると、七世は一階へと向かった。桜香の姿はない。おそらく既に一階に行ったのだろう。


―――しかし。


歩きながら考える。


―――櫻木さんって誰かに似てるんだよなぁ……


顔ではなく、行動や、言葉や、態度が、誰かを彷彿させているのだが、いったいそれが誰だかわからない。


「うーん……」


疑念を抱えたまま、七世は一階の、先程桜香が示した部屋の真ん前までやってきた。

明らかに他の部屋とは装いが違う。ノブは小洒落たデザインのものであり、そもそも扉の板そのものに高級感がある。するとその部屋の扉に、文字が書かれたプレートがかかっていることに七世は気付いた。

「えー……っと」

随分可愛らしい文字だった。おそらくは手書き。扉に近づいて、七世は読み上げる。

「櫻……木?えーと……事務所……なんだこれ」

かすれて読めないところもある。いったいなんだろう。


「七世くん?」考えると同時に室内から桜香の声「そこにいるなら入ってきなさい。鍵空いてるわ」直後にトタトタという足音がした。

「あっはい今」とりあえず七世はノブを手にとった「失礼します」


入ると、アロマの柔らかな香りが七世を包んだ。そっと見回せば、どうも七世の部屋……アパートの他の部屋とは間取りそのものが違うようだ。ちなみに桜香の姿はない。短いながら廊下の先にもうひとつの扉が見えるので、恐らくはその奥にいるのだろう。


「……櫻木さん?」


返事はない。仕方なしに、七世はそのまま歩を進め、ふたつめの扉を開いた。


「櫻木さ……ん"っ!!」


桜香の名を呼ぶ、だがそれと同時に七世の瞳に飛び込んできたある姿があった。


「やぁ……七世くん」


探偵帽に、チェックのワンポイントが入ったケープ、それに加え口にくわえているのはパイプ。つまりは何かというと、七世の目に映ったのは、なんと探偵のコスプレをした桜香だった。

桜香は入口の正面にあった大きな背もたれの皮張りの椅子に、足を組んで腰かけている。


「さ、櫻木さんその格好は……」

「はは、格好などどうでもいい。いいかい七世くん、大切なのは自身が探偵であるという、自覚だ」


役に入り込んでいるのか、口調まで変わっている。


「君にはその自覚があるのかい?」

「ないです」


バッサリと切り捨てる七世。一瞬桜香の顔が素面に戻るが、すぐにまた余裕綽々と言った表情をつくる。


「冗談はよしてくれよ、なな」

「ないです。冗談でもないです。そもそも俺は探偵じゃないです」

「…………」


余裕だったはずの桜香の頬に冷や汗。しかしまだ諦めずに桜香は続ける。


「ふっ……そうか、それならそれでいい。だが私はどうかというと―――迷える依頼人を救う、生粋の探偵だ。櫻木探偵事務所には今日も今日とて、山のような依頼が届く。休みだってない。しかしだね、七世くん」


桜香が足を組みなおした。美人ゆえにとても様になっている。なっているのだが……。


「私が弱音を吐くことはないのだ。なぜならそれが―――」


ドヤ顔で七世の顔を見つめる桜香。


「――私の使命だからだ」


「……」


「……」


「……終わりました?」

七世の言葉は冬のロシアより冷たい。


「……もうちょっとノリがよくても良いんじゃない?」

ため息をつきながら桜香が言った。帽子をとって、手でもてあそびはじめる。

「でもまぁ、私の職業についてはよくわかったでしょ?」

「それは……まぁ。探偵でいらっしゃるんですね」

桜香がニヤリと笑う。肯定するということだ。

「でもそれを説明するだけで五分かかってますけど」

「細かいことは気にしないことも大切よ、七世くん」

肩をすくめる桜香。この出会ってまだ15分もたっていないというのに、七世はだいぶこの櫻木桜香という女性を理解できたような気がする。

それを察しているのかいないのか、桜香は七世に向かってウインク。嘆息を漏らす七世だったが、ここでふとあることを思い出した。


「ところで、手伝ってほしいことってなんですか?」

「ん?」

「さっき手伝ってほしいことがあるって……」


それこそ出会った直後に、桜香は七世に手伝ってほしいことがあるといったはずだ。だから七世はここに来たのである。


「あー、それは……んー」


だが途端に桜香の挙動が怪しくなる。七世と目線をあわせようとしない。


「……まさか」


聡い七世の脳裏に、ひとつの考えがよぎった。


「そのコスプレを見せるためだけにここに呼んだんですか!?」

「しょ、しょうがないじゃない誰かにこれを見せたかったのよ!!」


図星である。


「子供か!?子供なのか!?」

「童心を忘れないことは何よりも大切でしょう!!!」

「いっそ忘れてください!!!」

「あなたはもう少し覚えてるべきだったわ!!!」


お互いに叫びあう二人。一通り言い合うと、桜香が肩を上下に揺らしながら苦笑した。

「七世くんってクール系かと思いきやそればっかじゃないのね、安心したわ」

「……ちょっと言いすぎました」

「いいのよ。でね」

桜香の笑い方が変わる。苦笑ではなく、三日月形にゆがんだ笑い。間違いない、これは……


――――悪いことを考えている顔だ。


「七世くん」

「……はい」

返事はしたくないがするほかない。そしてやはり、七世の悪い予感は当たるのである。

「ここでバイトしない?」


―――どうしてそうなった。


もしかすると今の言葉遣いの悪さのせいかと、七世は冷たい汗がつたうのを感じる。


「……バイト、ですか」一呼吸おいて尋ねる「雇うならもっとそういう仕事に慣れた人のほうがいいんじゃ?」

「うーんとね」


ざっくり説明すると、という前置きを挟んでから、桜香は説明しだした。


「親戚…っていうか家族が、私一人だとなにかと心配らしくてね。前々から誰かを雇えとは言われてたのよ。でも雇う気なくて。どうしようかと考えていた時に……」


桜香は七世を指さす。


「七世くんが。」

「……なるほど」


大まかな理由は理解した。だがしかし即決というわけには行かない。七世自身、一人暮らしをするにあたってバイトは必須であったから何かしようとは考えていたが、果たして今ここで決めてしまってよいものか。もっと別の選択肢もあるはずである。


それに、七世にとってひとつ気になるのが、彼女の家族が桜香を心配する理由である。女性一人で、ということが一番考えやすい理由だが、それだけではないと七世の勘が告げていた。ここまでくると勘と言うより本能である。


すると煮え切らない七世を見かねてか、桜香が指を一本たてた。


「時給は1000円」


「やらせていただきます」


即答だった。さっきまであった選択肢はどこかへ消え失せ、ここで決めていいに決まってると、頭の中に住むもう一人の七世が告げている。


―――心配事なんてどのバイトでもあるだろう。


と、ちらつかされた時給に、すっかり七世の本能は押さえ込まれたようだ。


桜香が嬉しそうに笑った。

「それじゃ明日、月曜日からね。これでなにもかも解決だわ」

「わかりました」


なにはともあれ、バイト先が決まったというのはかなりの安心材料だ。それが親戚のものであるなら、なおさらである。

「じゃあ、俺はこれで……」

用事もすんだことだし、部屋に戻って荷ほどきをしようと七世は入ってきたドアの方を向いた。しかしそこで一つ桜香に尋ねたいことが浮かぶ。


「あ、あの櫻木さん」

「桜香でいいわ」

「それじゃあ桜香さん、あの明日からのバイト内容ってどんなものですか? 今日準備できることがあったらしておくので」

「そうねぇ、でも今のところ依頼はないしなぁ」

「ん?」その言葉が七世の耳に引っ掛かる「でもさっき『山のように届く依頼』って……」

「あぁそれ」

桜香は悪びれもせず答える。

「言葉のあやみたいなもんよ。実際はホント暇。あ、そうだ」そしてポンと手を打つ「じゃあひとつめのバイトのお仕事は、依頼を探してくることにしましょ」

「………了解しました」

桜香の自由人っぷりに窶れを隠せない七世。

桜香は七世の返答に満足したのか深く頷くと、椅子をサッと立ってコスプレの道具もろもろを手近な机の上に置いた。


「じゃあ私ちょっと出かけるわね。明日からよろしく七世くん」

「こちらこそ……よろしくお願いします」


バイト先も給料も住みかも頂く身としてはよろしくならざるを得ない。それに七世自身、お世話になるということを抜きにしても、どうしてかこの櫻木桜香という女性が憎めなかった。美人だということではない、彼女の持つ別の『性質』がおそらくはそういうものなのだろう。

こういうのを魅力的というのだろうか。恋愛事情に疎い自覚のある七世はいまいちその感覚が掴めないが、悪い人ではないということだけは理解できた。


「それじゃあいってきます。鍵開けっぱでいいから」

「お気をつけて」


桜香が部屋を出ていく。やがて玄関のドアが開く音がして、そのとき。

「あ」


―――そうか、誰に似てるかと思えば……


自由人の桜香の姿が、父伸一と重なっていたことに七世はやっと気付いたのだった。



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