34話 似た者同士
遭遇した龍は、とても厄介な相手だった。
大型ながら、小回りが利く。巧みな動きでこちらを翻弄した。そして少しでも形勢が不利だと判断すれば、すぐに空へと逃げてしまう。そんな頭の良さも持ち合わせていた。
対するこちらの戦力は、負傷者が出たために、まともに動けるのは三人だけという状態だった。勝ち目は薄い。
「わたしが合図するまで、おまえは下がってろ。いいか? わたしが声をかけたら、迷わず撃て」
ツキコが、後輩の少年に指示を与える。
少年は青ざめた顔で、後方へ下がった。草むらに身を隠す。少年は今回が四回目の狩りだというが、おそらく大型の龍を見るのははじめてなのだろう。かなりの動揺を見せている。
「……てことで、ヒカリ、準備はいいか? 怖気づいてはいないよな?」ツキコは冷めた目でヒカリを見た。
「大丈夫。ツキコが一緒なら、わたしは心強いよ」
「そうだろうな」
一旦空へ逃げていた龍が、急下降してきた。
「わたしがやる」ツキコが銃を構える「ヒカリはまた上に逃げられたときのために、準備だ」
「了解」
二手に分かれる。
地面へ下り立った龍に、ツキコは続けざまに銃弾を撃ち込んだ。だが龍は賢かった。決して急所には当てさせず、器用に避けて回る。
あのツキコでも苦戦させられるのか。
離れたところからその様子を見ていたヒカリは、少しの不安を覚えた。
「今だ! 撃て撃て撃て撃て! 急所が無理なら後ろ足でもいい。とにかく動きを止めろ! 早く!」
ツキコが草むらに向かって怒鳴った。
後輩の少年が這い出てきて、震える手で銃を構え、狙いをつけた。撃った。しかしギリギリのところで、後ろ足から外れた。龍は銃弾を受け流した勢いそのままに踏み切って、再び空へと舞い上がった。
逃がすものか。
ヒカリは龍が逃げる方向を見定めると、あたりをつけておいた木々に手早く矢を打ち込んでいった。その矢を足場にして、空へと駆け上る。龍との距離が近くなった。
最後の足場を、勢いをつけて踏み切る。
跳び上がる。
ヒカリは宙を舞う。そして龍の背中に食らいついた。
ヒカリの重みに気付いた龍が、空中で暴れる。
振り落とされそうになりながら、ヒカリは必死で足を動かした。引っかかりになる鱗を探った。見つけると、そこに足を固定させた。これで少しは安定が得られる。すぐさま短剣を取り出し、振りかぶった。
短剣を、龍の背中に突き立てた。
龍がその身を捩る。次第に力を落とし、ふらつく。背の高い木にぶつかった。その拍子に今度は真向かいの木にもぶつかり、龍は完全にさっきまでの勢いを失った。幹に体を絡ませ、ずるずると落下していく。
龍の背の上で、ヒカリは地面が近付いてくるの感じていた。このままでは落下の衝撃を避けられない。タイミングを見て、木の枝に飛び移った。龍の体が木の幹に絡みついていたのが幸いした。
そこから地上を見下ろした。
ヒカリの真下では、龍が白目を剥いて倒れ、びくびくと体を痙攣させていた。
まだ生きている。早くとどめを刺さなければ。
そう思った直後、走り寄ってくるツキコの姿が視界の端に移った。
「ごめん。後はお願い」木の上からツキコに向けて、声を放った。
「こんな中途半端にして……。ちゃんと一度で仕留めてやれよ」
ツキコはぶつくさ言いながらも、手際よく龍にとどめを刺した。それからヒカリを見上げ「しっかりしろよ。なんのための二種持ちだ」と呆れ顔で言った。
ヒカリはするすると木から下り、バツの悪い表情を浮かべた。
「もっと短剣の練習しなきゃだね。今のは完全にわたしのパワー不足だ」
「じゃあコブみたいに筋トレでもすれば?」
「そうだね」
「あるいは二種持ちをやめるとか。ヒカリ、向いてないんじゃないか?」
「そんな意地悪言わないでよ、ツキコ。これから頑張るから」
「意地悪じゃない。わたしは事実を言っているだけだ」
「厳しいなあ、もう」
言葉のわりには険悪さの感じられない様子で、二人は会話した。
そこへ後輩の少年が歩み寄ってきた。「あ、あのお……」
「ん? どうしたの?」
「少し前からですね、あそこに立ってる人が怖い顔でこっちを見てくるんですけど、なんなんでしょう? 先輩方は心当たりありますか?」少年はおどおどしながら告げた。
「どこ?」
「あそこです」
ヒカリとツキコは同時に、少年が指し示す方へと目を向けた。イヌの姿があった。
「ああ、なんだイヌだよ。わたしの友達」少年にそう説明して、ヒカリは大きく手を振った。「おーいどうしたの? イヌひとりー? 班員は?」
強張った顔をしていたイヌは、ヒカリの声で瞬時に笑顔になり、駆け寄って来た。
「何あんた、ずっと向こうでわたしたちのこと見てたのか?」ツキコがイヌに尋ねた。
一方ヒカリは心配そうにイヌの顔を覗き込んだ。「どうしたの? 班員とはぐれちゃった?」
「うん、実はそうなんだよねー」
イヌは恥ずかしそうに、こめかみを掻いた。
「そうしたらたまたま二人の姿が見えてさ、加勢しようとは思ったんだけど、なんかわたしが手を出さなくて平気そうだったし」
「うん、ちゃんと狩れたよ。ツキコのお陰」
ヒカリはそう言って、ツキコに視線を送った。
ツキコには謙遜する気配がまったくない。「ああ、そうだ。わたしのお陰だ」当然といった顔で答えた。
「へ、へえ……そうなんだ……」
イヌが引きつった笑みを浮かべた。
◆ ◆ ◆ ◆
支部の中庭から伸びた小道は、林へと続いている。その道の途中に、コンクリートでできた土台がぽつんと一つきり、残されていた。
イヌはその土台に腰を下ろすと、遠くを見つめ、爪を噛んだ。
最初にその姿を見たときから、ツキコのことが気に食わなかった。
こいつは奪う側の人間だ。そう予感した。こういう勘は、大抵当たる。
案の定、ツキコは自分から奪っていった。ヒカリの右腕、一番の理解者、親友、戦友――今その場所にいるのは、自分ではなくツキコだ。
はじめて言葉を交わしたときのヒカリは、自信のない態度で、人の顔色ばかり窺う、地味な女の子だった。しかし今はみんなから頼られる存在として、頭角を現しつつある。最近では二種持ちとなり、ますます活躍が期待されていた。
ヒカリは変わった。どんどん遠い存在になっていく。
イヌは昼間、ヒカリが龍を狩るのを見た。
エキセントリックなヒカリ手法に驚いた。龍の背に飛び乗るなんて、正気じゃない。それをすんなり受け入れ、あろうことかヒカリのミスまで拾ってしまうツキコも異常だ。
あんなの見せられたら、もう認めるしかないじゃないか。
ヒカリは強い。
そのヒカリと肩を並べて戦えるのは、ツキコくらいのものだろう。
自分はもう、二人の間に入りこめない。
ヒカリとツキコは、互いをわかりあっている。そこには二人だけの世界が存在している。
胸の奥が、すんすんと軋んだ。眠れない夜に、雨の音を聞き続けているような感覚に似ていた。こういう気持ちを、寂しいというのだろうか。
孤独を自覚したとき、イヌの目には涙が滲んだ。
慌てて瞼をこする。ぼやけた視界に、人影が映った。
「泣いているの?」
頭上から、丸山の声が降って来た。
イヌはハッとして、顔を上げた。目の前に、丸山が立っている。
「大丈夫?」丸山は心配そうに、イヌの目を覗き込んだ。
「だ、大丈夫です」
そう言って咄嗟に腰を浮かせかけたイヌの肩に、丸山の手が置かれた。
「強がらなくていいのよ、イヌ」しゃがみ込んで、丸山はイヌと目線を合わせた。
「あ、あの……」
何か言いかけたイヌの声を遮って、丸山は言った。「辛いのね、イヌ。わたしは知っているの。あなたの気持ちを、わたしなら正確に理解してあげられる」
「丸山支部長……?」イヌは探るように丸山を見つめた。
「あなたようなタイプは、弱っていてもなかなか周りに気付いてもらえない。あいつなら大丈夫だろうと後回しにされて、周囲は決まって問題児のほうを優先して構う。問題児……そう、例えばツキコみたいなね。ねえイヌ? ツキコが憎い? あなたはからヒカリを奪ったツキコが、許せないんじゃない?」
「どうしてそれを……」
「わたしにはわかるの。わたしにだけは。だってわたしとあなたは似た者同士なんだもの。明るいキャラクターに見せているだけ。周りは誰もあなたの演技を見抜けない。本当のイヌは誰よりも繊細で傷つきやすい子だってこと、わたしだけが気付いている」
丸山はそこで一旦言葉を切り、瞳を潤ませた。
「……相手がイヌだから打ち明けるけど、わたしはたびたび支部長という責任に、押し潰されそうになっているの。正直、逃げたいと思うこともあるわ。ここにはわたしの相談相手となる人がいない。わたしはいつも孤独を抱えている」
こんな弱々しい丸山を見るのははじめてだった。イヌは心が安らいでいくのを感じた。
丸山は自分にだけ、不安を吐露してくれた。丸山は自分と同じだ。自分の仲間だ。
イヌは暗闇から解放された思いだった。
「意外です。丸山支部長はなんていうか、もっと強い人だと思っていました」
「周りが勝手にそう判断しているだけで、実際のわたしはとても臆病なのよ。だからわたしとあなたは似た者同士だと言ったの」
「わたしも、臆病……」
「そう、あなたも臆病。だからこんなところでひとり泣いていたんでしょう?」
丸山の言葉が、心に迫った。
「どうしてあなたはひとりなの? なぜ今、あなたの隣には誰もいないの? さあ話してみなさい、イヌ。わたしがあなたの力になってあげる。あなたの望むものをあげる。あなたが見たい世界を、作ってあげる。この支部でなら、それが可能だわ。すべての権限はわたしにある」
「わたしが……望むもの?」イヌは呆然として尋ねた。
自分は何を望んでいるのだろう。
何が欲しい? どうなりたい?
強くなりたい。強くなって、堂々とヒカリの隣に立てるようになりたい。
いいや、違う。そんなものは自分の望むかたちではない。ただツキコにとって代わるだけじゃ駄目なのだ。
わたしはヒカリを独占したい。
ヒカリがわたしだけを信じ、わたしの言葉だけに耳を傾け、わたしだけを求める。
わたしなしでは生きていけないというくらい、ヒカリから必要とされたい。
訓練棟に入って、同じ部屋で過ごした。共に脱走した。同じ拷問を受けた。そんな二人だから、これから先もずっと一緒に、肩を並べて生きていくのだろうと思った。
わたしとヒカリは同じ運命の渦の中にいるはずなんだ。
生唾を呑み、イヌは呟いた。「わたしは、ヒカリが欲しい」
丸山がにんまりと笑う。「いいわ。あなたにヒカリをあげる。約束する。……だけどその代わり、あなたには一仕事してもらうわよ」
「仕事?」
「ええそうよ、イヌ。あなたにはこれから、密偵として動いてもらう」




