神よ、なぜ私は地獄にいるのですか?
私は、酷い夢を見ている。
「あ、おはようございます」
法に忠誠を誓い、法の為に働き、法に代わって正義を成してきた私が、地獄などという無法者が逝く場所にいるわけがない。
ゆえに、これは何かの夢だ。
目の前に転がる部下達も、鮮やかにランプの光を反射する赤い血だまりも、悪魔のような笑みを浮かべる二人の狂人も全て、夜が明ければ覚める悪夢に過ぎないのだ!
「すみませんが、これから貴方に質問をしますので、全てに正直に答えて下さい」
夢の分際で生意気な口を利く狂人に苛立つが、自分の夢に不服を言っても仕方がない。
「私が訊きたいのは、一週間前に起きた大富豪殺人事件で、憲兵団がどれだけ情報を握っているか、ということなのですが、ご存じないでしょうか」
不快に響く敬語を無視し、私は自身の頭が描いている夢のエピソードの行方を、どこか他人事のように見守ろうとしていた。
いくら夢から覚めよと祈っても、意識が現実へと戻る気配が無い以上、私に出来るのは待つことだけだ。
「無視ですか。それともご存じでないのでしょうか。先ほどは軽快に動いていた口で、快活に響かせていた声を、自主的に発するつもりはないのですか………そうですか、ではまず、声を出す練習から始めましょうか」
無視を決め込んでいた私に、男はゆっくりと近づいてきた。
あの狂気を体現したかのような笑顔を、私は知っていた。右手に持つステッキが、「研ぎ澄ませ」という呟きで鋭さを帯びていくのを、私は知っていた。この言い表せない不気味さを、私は知っていた。
「待て!」
衝動的に声を出していた。体中から嫌な汗が出てきた。この男を止めなければならないと、本能が訴えかけてきていた。
「良かった、声は出るようですね。では、質問に答えて下さい。一週間前に起きた殺人事件の調査がどの程度進展していますか」
この恐怖を、思い出した。これは、迫りくる死に対する恐怖だ。
「お、俺は知らない!何も知らないんだ!!許してくれ!」
「そうですか。それは残念です」
狂人は止まらない。狂人は、私が信じた法を難なく喰いちぎり、狂人は、私が信じた正義を躊躇なく踏みにじる。
「ギャアアアアアアーアーーアアアーアァァァ!!」
剣が、私の左ふくらはぎを貫いた。
「そんなに叫ばないでくださいよ。足に穴が開いただけじゃないですか。まだまだ死ぬには程遠いですよ」
「何も知らないと言ったじゃないか!」
私は激痛に悶えながら、必死の思いで怒号する。私はまだ、気付いていなかったのだ。この狂人は、狂気に染まった人間に過ぎないと、根拠のない希望を抱いていたのだ。
だが、違った。
「ええ、分かっていますよ。知らないんですよね。僕が知りたかった情報を。つまり、今のあなたの価値はガラクタ同然なわけだ」
狂人の笑顔が深みを増した。
「そんなに現状から脱却したいのなら、君の信じる神にでも祈ればいいんじゃないですか?」
おお、神よ。なぜ、私に地獄を見せるのですか。
なぜ私に、安らかな死を与えて下さらないのですか。
「じゃ、次は右側ですかね」
神よ、なぜなのですか。私は、何か悪い事をしたのですか。