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一匹少女と森のケダモノ「進化のお荷物」

作者: 穐亨

ここにきて、もうそろそろ九十日が経とうとしています。森に入ったときにはまだ紅葉して木々を彩っていた葉が、今は地面にくしゃりと乾いて落ちています。

わたしは、いい加減思い知るべきなのかもしれません。ですが、それでもまだ棄てきれない思いがあるのです。

だから。わたしはーー


※※※


「まだ生きてたのか」

足下から声をかけられ、カノコは地面を見下ろした。カノコが腰かけているのは、枝の太い巨木だった。二メートル程登ったところにある枝を太股で挟むようにして、幹に背をもたれている。

木の根本には、灰色の巨大な獣がいた。薄青色の瞳を、カノコに向けている。ーー狼だ。

カノコは狼と、自分の手元とを見比べてからくすりと笑った。

「ええ。おあいにくさまですね。この通りです」

「ふぅん。でも、そんなところでなにしてるんだ?」

「手紙を書いてるんです。時間があるので」

「手紙?」

手紙というもの自体が分からないのだろう。狼が首を傾げるような仕種をする。

「そうです。ペンも持てないケダモノさんには、縁のないものですよ。あ、あまりその辺り歩き回らない方が良いですよ? うさぎの通り道に、幾つか罠を仕掛けて、成果を待ってるのところなので」

罠と聞くと、狼はさすがに嫌なのか身体を一度ぶるりと震わせ、木の根本のより近い位置に座り込んだ。

「あら。そんなところに居座るなんて、嫌がらせですか?」

「うさぎが獲れて、罠が回収されたら離れるよ。その間は貴様に手出ししないと約束すればいいんだろ?」

カノコが狼を警戒していることを、狼もまた理解している。だからか、最近はそんな約束を一方的にしてくるようになった。ケダモノなのに律儀なものだと、カノコはまたくすりとした。

「それで、その手紙というのは何なんだ?」

「あら。ケダモノさんには縁のないものだと、さっき言ったばかりですが」

「動けないとオレだって暇なんだ。お喋りくらいいいだろう?」

地面に腹をつけて寝そべる狼の姿は、確かに暇そうだ。カノコは少し悩んでから、「手紙は……他者に言葉を伝えるための手段です」と言った。

「同時に、気持ちや言葉を記録にして残す役割もあります。そうすることで、時間が経っても伝えたい思いが褪せにくくなるんです」

「ふぅん……?」

狼の耳が片方、ぱたと揺れる。

「よく分からんが。貴様は、誰に言葉を伝えようとしてるんだ?」

「わたしは……」

呟き、自分の手元を見つめる。分厚いノートに、書きなぐなれた大量のセンシティブな言葉たち。

ほんの少し、カノコは苦笑いした。

「わたし……宛の、手紙を。書いて、いたんです」

「貴様が、貴様に?」

「はい。……将来のわたしへ、少しでも、過去が道標になるようにって」

案の定、狼はおかしな顔を作った。

「……よく分からないな」

「ケダモノさん。人間はあなた達と違って、進化していく上で頭に一層分の余計なものを積んでしまったんです。だから、シンプルに生きられないんです」

それは理性であり、羞恥であり、プライドであり、過去と未来をほんの少し想像する力であり。それらがあるからこそ、時に己を客観視して助言してくれる存在が欲しくなる。本能と爆発的な感情だけで素直に生きることを躊躇う程度には、人間は複雑だ。

「よく分からん。今、腹が満たされて仲間がいれば、それで良いじゃないか」

「そう、思いたいんですけどね。人間はそういうのを刹那主義って呼ぶんです」

「面倒なんだなぁニンゲンは」

「それが、進化の代償であり、ようやく手に入れたかけがえのないものなんです」

そう言いながら、カノコ自身、自分の言葉を不可思議に感じて首を傾げた。随分とまぁ、人間を擁護することだ。その人間の世界から逃げてきた自分であるのに。

「……? 何を笑ってるんだ?」

狼に訊ねられ、カノコはくすりと口から音を漏らした。

「いいえ。本当に、面倒なものだなと思いまして」

言って、「手紙」の書かれたノートをぱたりと閉じる。

「そろそろ、うさぎの一匹くらい獲れたんじゃないのか?」と狼が欠伸混じりに言う。どうやら、余程退屈させたようだ。

「ねぇケダモノさん」

「うん?」

カノコは胸に抱いた「手紙」を示し、

「この手紙、書ききれなくなったらあなたにあげます」

「ん? オレはニンゲンの文字ってやつなんて読めんぞ」

いかにも嫌そうな身ぶりをする狼に、カノコはくすくすと笑う。

「だから、です。読めるならあげませんよ」

「んんん? どういうことだ?」

カノコはクスクスと笑いながらそれには答えず、ぴょいと身を翻し、狼の灰色の背に飛び込んだ。


前回よりも時系列的には少し前のお話でした。

今回は書くにあたってランダムお題から「書留」と「ダーウィン」と出されたので、話の世界観に合わせて「手紙と進化」に解釈し直しての執筆となりました。

カノコさんは書いててなかなか楽しいキャラなので、結構お気に入りだったりします。

今度はもう少し設定に触れられるような話になるかな?と思います。

それでは、お目通しありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[一言] 感想失礼します。 これは前作品があってのお話なんですかね。短編なのでこちらだけを読んでの感想ですがお許し下さい(笑) カノコは、嬉しい感情はクスクス笑う微笑み程度、悲しい感情は無口になる程…
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