第4話:最悪
私はやっぱりどこかがおかしい。
あの土曜日以来、胸の高鳴りが止まらないし、顔はずっと赤い。
今は昼の2時すぎ。今日は日曜日だっていうのに、松永 要との約束を律儀に守っている。
これは仕方ないのよ。だって生徒手帳を返してもらわないといけないし、裕介に私の気持ちがバレてしまう……。
そう思ったとき、黒い心からにゅるっと人間の手が伸びた。それは私を心の中からぎゅっと掴んだ。
だめ。知られてはいけない。裕介には絶対。知られたら、私はもう歩けない。
「あれ、美樹じゃん」
はっとして私は顔を上げた。私を呼んだ声は聞き間違えるはずがない、裕介の声だった。こんな街中で会うなんて、すごい確率だ。
「何やってんの? 美樹が休みの日に街にいるのって珍しいね」
裕介が私に話しかけてきた。裕介は制服姿だった。
「ちょっとね。裕介は?」
「あ、俺は……」
裕介が答えようとしたとき、裕介の後ろで女の子の声がした。この声も聞き間違えない、椎名さんだ。椎名さんは裕介の隣に並んで、やはり私を睨んだ。
「デートなの?」
「あ、まぁ。部活帰りでさ」
裕介が少し照れて答えた。私は『私』を崩すことなく笑った。椎名さんが、行こっと裕介の手を引っ張った。
「仲、良いんだね」
また別の声が聞こえた。これも聞き間違えない、声。松永 要だった。私は後ろから声が聞こえたので驚いた。
「あれ! 松永さん?」
裕介は私以上に驚いた声をあげた。そして私と彼を見比べている。
「美樹、松永さんを待ってたの?」
「えっ、えーっと……」
私がまごまごしていると、彼がわしゃわしゃと私の髪の毛を乱した。
「ほら、裕介達はデートなんでしょ。早く行きなさい」
彼の言葉に背中を押されて、裕介達は街の中に消えていった。
「裕介達、ラブラブじゃん。美樹ちゃんが入る隙ないね」
私はぶんっと腕を回した。彼はすっと私の拳を避けた。
「裕介の前だと、美樹ちゃんって変わるよね? それって自分の気持ちがバレないため?」
むかつく。本当に何もかも見透かされてる。
「だから、あなたには関係ないです。それより生徒手帳をっ」
「まだまだ。今日が終わってから返すよ」
彼はさっそく私の手を引っ張って歩き出した。私はもたもたとしながらも、ぐいぐい引っ張る彼に付いていった。
今日彼に振り回されて、彼についていろんなことが分かった。歳は二十歳で大学生だとか、バイトはかけもちしているだとか、一人暮らしをしているだとか。何の取り留めのないことが分かった。私としては別に知りたくもない情報なのに、彼は子犬のようにはしゃいで教えてくれた。
「美樹ちゃんっていつから裕介が好きなの?」
「だから私はっ」
私達が遊ぶ街中には、緑に囲まれた広い公園がある。その公園のベンチに座って、彼は私に質問をした。
「今さらだよ。俺には分かってるんだから」
彼はイタズラっぽく笑った。彼には勝てないようだ。私はぽつりと答えた。
「小さいときから」
「へぇ。随分長い間、片思いしてんだね」
言われてみれば、私は本当に長い間、裕介を想ってきた。その証拠に、私の黒い心が私を覆い隠すくらい大きく成長している。
「どうして分かったんですか?」
彼に対して、ずっと気になっていたことを口にした。裕介にだって気付かれないこの想い。裕介以外の異性に見破られるなんて予想外だった。
「それは、俺がすごいから」
「は?」
彼は笑ってごまかした。私は腑に落ちない顔をした。
「私は完璧に幼なじみをやってたのに……」
彼は言葉を返すわけでもなく、じっと空を見つめていた。
「それがかえって、目に付いたのかも。美樹ちゃんは気付かないのかもしれないけど、裕介と一緒の美樹ちゃんはいつも寂しそうだったよ」
「そんなことない! 私はちゃんと」
いつの間にか、真剣な目で私を見る、彼の顔に気が付いた。私はふいっと目線を外した。
「どうして気持ちを隠そうとするの」
彼は今まで聞いたことのない優しい声だった。そのせいなのか、私は気を許し、彼に話を始めた。
「裕介に知られたら私は歩けない。だから、絶対隠さないといけない」
「どうして歩けないの?」
ぽとりと、小さな子の手のひらに、甘いキャンディを落とすように、優しく彼は言葉を私に落とした。
「私にとって裕介が全てだから。私の中には裕介しかいない」
何か決心したような口調で、私は彼に向かって話した。
「でも裕介には彼女がいる。だから今さら伝えたところで何になるの? バレたら裕介はきっと私から離れてしまう。それが怖いの」
でも裕介を好きな気持ちは止められない。裕介を好きになる度に、私はその気持ちを押しとどめてきた。
そうして出来たのが、重たい黒い私の心。厳重に鍵をかけて外に漏れないように、奥に隠してある。
「そんなに裕介が好きなんだ?」
「……うん」
私は静かに聞いてくれた彼に対して、前のような嫌なイメージを無くしつつあった。彼にはこんな一面があるんだ、と改めて考え直し始めた。
「ふーん……」
彼はそっと私との間を詰めて座り直した。私はぎょっとして彼を見た。相変わらず、彼の顔は綺麗でまつげも長く、結衣達が騒ぐのも分かる。
「裕介のこと、忘れさせてあげようか?」
え?、と聞き返そうとしたとき、彼の顔が私に近づき、2人の唇が重なった。
何が起こったのか分からなくて、すぐに抵抗が出来なかった。しかし我に返り、ドンッと彼の胸を叩き抵抗した。けれど彼は離れる様子もなく、それどころか、ますます力が強くなる。いつの間にか彼の両腕に抱きしめられ、身動きが出来なくなっていた。
何これ、私何してるの?
「んっ……」
やっと離れた唇はひりひりに腫れているようだった。はぁはぁと肩で息をする私は、彼の顔を見た。
「な、なんで……?」
「なんで? ちょっと意地悪してみただけ」
彼はふっと笑った。
「前に言ったよね。俺、美樹ちゃんをぐしゃぐしゃにしたいって」
「……それだけ?」
私は焦点が合わないカメラの視界になっていた。何もかもがぼやけている。はっきりと見えない。はっきりと何も考えられない。
「それだけでキスしたの?」
私はぼやける目で彼の顔を見ようとした。けれどやっぱり見えない。
「キスぐらい初めてじゃないだろ? こんなの遊びだよ」
彼はどんな顔で話しているんだろう。分からない。でもこれだけは分かる。彼はやっぱり……。
パシンッと、私は彼の左頬を叩いた。
「あなた、やっぱり最低ね!」
私はぼやける目で、力いっぱい彼を睨んだ。ぼやけている理由、それは涙のせいだった。ポロポロとこぼれる涙のおかげで、視界がぐんと良くなった。目の前には左頬を赤く腫らした彼がいた。
「泣いてるの?」
「泣いてなんか……ない」
私は涙を拭い彼に背を向けた。彼の視線が私の背中に刺さる。
「また嘘ついた」
彼の口元が笑う声がした。
私はまた、からかわれている。言葉だけじゃなく、こうやって簡単にキスなんかしてきて。一体私が何をしたっていうんだろう。私があんたに何したっていうの?
「二度と私の前に出てこないで」
それだけ言うと私は、その場にパタパタと去っていく足音だけを置いていった。