第3話:苺
私、なんでここにいるんだろう?
私の回りには待ち合わせをしている人や、遊びに出かける人でいっぱいだった。土曜日ということもあって、若い人から年配の方までの幅広い年代の人が入り乱れていた。
「とりあえず、腹ごしらえだな」
奴……松永 要は腕を組んで考え事をしていた。
「俺的にはガッツリ食べたいんだけど、女の子はやっぱり、お洒落なとこがいいよね?」
私は奴の言葉に、うんともすんとも言わなかった。がっちりと、体の隅々まで力を入れて気を許さないようにした。
「何かないの?」
「……」
「もうイジメないからさ」
「だったら生徒手帳、返してください」
私は眉をつり上げて、奴に向かって手を差し出した。
なんて不覚。きっと今朝、奴を叩いたときに落としちゃったんだ。
「それは出来ないな」
奴は差し出した私の手を取り、座っていた私を立ち上がらせた。かくんっと膝が曲がった。
「ちょっと、私は行きませんからっ」
「言ったでしょ? 美樹ちゃんに選択肢なんかないんだよ?」
奴はぐいぐいと引っ張る。私は言いなりになるまいと、地面にしがみつくように足に力を入れた。
「しぶといっ!」
次の瞬間、私の体が風船のように宙に浮いた。奴の腕が、しっかりと私を抱きかかえていた。
「わ、私をどうする気!?」
「少し黙ってろよ。悪いようにはしないって」
奴は周りの目など気にしないで、私を抱きかかえたまま、街の中を突き進んでいく。私は振り返る人と目が合うと、恥ずかしくなって顔を下に落とした。こいつ、信じられない。恥ずかしいっていう気持ちは、ないワケ?
数十分歩いた頃、奴は私を地面に下ろした。私はすぐに奴から離れた。奴がくいっと顔を上げたので、私はそっと顔を上げた。
「……ここ」
嘘でしょ、ここって。私たちが立っていた場所は、前に私が行きたくて仕方がなかった、小さなカフェレストランだった。数ヶ月前に雑誌で見つけ、いつか行きたいと、裕介に話していたのだ。
「どうして?」
私は奴の顔を見た。奴はにこっと笑った。
「前に、バイト先で裕介に話してたでしょ?」
奴はガチャンとカフェの扉を開けた。中からふわんっと、美味しそうなランチの匂いがした。私は少し戸惑って、奴の後に付いていった。
「メニューはこちらになります」
可愛い制服を着た店員が、水の入ったグラスを2つ机に置いた。
「ご注文の方、お決まりになりましたら、お呼びください」
ぺこりと丁寧にお辞儀をした店員は、店のカウンターの奥へ入っていった。
「決まったら言ってね」
奴はグラスに口を付けた。私はカチコチに固まっていた。今私の中は混乱しているのだ。行きたかったお店にいることに喜ぶ反面、奴のことだから何か考えているに違いない、という疑心。その2つの思いが私を固まらせているのだ。
「美樹ちゃんが考えてること分かるよ。俺が何か企んでるんじゃないかって、考えてるんでしょ?」
私はこくんと頷いた。
「私にあんなこと言っておいて、ここに連れてくるなんて、何かあるって考えるに決まってる」
「ヒドイなぁ。俺はただ、美樹ちゃんの顔が見たかったんだよね」
奴が座っている椅子がギッと鳴った。奴の顔が私に近づく。よく見たら男のくせに、まつげが長いことに気が付いた。私が叩いたせいなのか、片方の頬がうっすらと赤い。そんなに強く叩いちゃったっけ……と、私は少し罪悪感を感じた。
「ここ、本当は裕介と一緒に行きたかったんだよね?」
奴の目の奥が光ったように見えた。
「残念だねぇ、その頃にはすでに、裕介には彼女が出来ちゃって」
「っ!」
こいつに罪悪感なんて感じるんじゃなかった! やっぱりこいつは悪い奴、近づいてはいけない奴だ。
私はパラッとメニュー表をめくり、店員を呼んだ。奴は少しびっくりした様子だった。きっと奴の計算では、私が怒って店を出ていくとなっていたんだろう。でもあんたの思い通りなんか、なってやんない!
「この『店長オススメパスタ』と、『ハンバーグ丼』。それから『オムライスのスープセット』に、『チョコレートパフェ』。あ、あと『木苺のタルト』、『紅茶』に『オレンジジュース』をお願いします」
「……あ、はい、かしこまりました」
店員はあっけに取られたが、自分の仕事を思い出して伝票に書き込んだ。
「あなたは何にするんですか?」
私はふふんっと鼻を鳴らして奴を見た。
「……俺はコーヒーで」
どさどさと運ばれた食べ物を、私は次々と口に運んだ。後はラストのタルトだけだ。
「よく腹に入るよね」
奴が唖然とした顔で私を見た。私はきっと奴を睨んだ。
「女子高生を甘く見すぎですね」
私はタルトの端を、一口大にフォークに取った。それを口に運ぶと、木苺の香りが口の中に広がった。雑誌に載っていたとおり、木苺のタルトは絶品だ。
「何ですか? その顔」
私は奴の顔を見た。奴はクスクスと笑っていたのだ。やけに楽しそうに。
「美味しそうに食べるなって感心したの」
「それって、大食いだって馬鹿にしてるんですか?」
ふ、ふん。そんな笑顔に騙される私じゃないのよ。
「馬鹿にしてないよ。可愛いって思ったの」
そう言い放った奴の顔は、今まで見た笑顔の中で、一番輝いている笑顔に見えた。私は慌てて目線をタルトに戻した。手が震えてタルトが上手く切り分けられない。
冗談じゃない。何意識してるんだか。手も震えちゃって、私バカみたい。
「……バカみたい」
「え?」
「バカみたいって言ったの!」
私の重たかった黒い心が、風船のように少し浮いた感じがした。私はばくっと残ったタルトを、一口で食べた。カスタードクリームが口の回りに、べっとりと付いてしまった。
「おいおい、それはないだろ?」
奴は紙の布巾を数枚手に取った。私は手を出して布巾を受け取ろうとした。すると奴は、何の躊躇もなく私の顎を持ち上げ、手にした布巾でクリームを拭き取ったのだ。
「美樹ちゃんの顔、苺みたいになってるよ」
し、しまった。私、一瞬気が抜けてた。私はぐいっと奴の大きな手から顔を離した。ちらっと店の窓ガラスを見ると、自分の顔が見事に熟れた苺のようになっていた。
「裕介にも見せてあげたらいいのに」
「裕介は関係ないです!」
その後も、奴は何かと口を出して私をからかっては、ずっと笑顔でいた。私は奴の言葉に腹を立てながらも、心臓は太鼓の音を立てていた。黒い心に、さっきの奴の笑顔がぽとりと落ちた。
食事を終えて、私たちは店を出た。昼間より、人が増えているみたいだ。道は人で埋まっていた。
私、人混みって苦手なんだよね。
「さてと、もっと連れ回したいんだけど、俺これからバイトなんだよね」
奴は腕時計に目をやった。
「じゃ、生徒手帳を返して……」
「駄目。明日渡してあげる」
奴はニシシッと八重歯を見せて笑った。
「話が違うじゃない!」
奴は口笛なんか吹いてごまかそうとした。私はぐいっと奴の腕を掴んだ。そして奴の目の前に手を出した。
「もっと見たいんだよね、美樹ちゃんの可愛い顔っ」
「!」
私はまた顔を苺にして奴から離れた。奴はそんな私の反応を見てまた笑っている。
「明日付き合ってくれたら返すからさ」
明日? 明日って日曜日じゃない。休みの日ぐらい私は、家でゆっくりしたいのにっ。
「いい加減にっ……」
文句と一緒に、また叩いてやろうと勢いをつけたのに、後ろからやってきた高校生と、ドンッと肩をぶつけてしまった。その拍子で、前に倒れそうになった私を奴が抱き止めた。奴の大きな手が、しっかりと私を支えていた。
「す、すみません」
ぶつかった高校生は頭を下げて、人混みの中に消えていった。
「危なかったな」
「〜っ、離してください!」
私は奴の手から離れた。胸に手をやると、心臓がめちゃくちゃに揺れているのが分かるくらい、ドキドキ、と鼓動が伝わった。
「何なんですか……」
私は混乱していた。今朝までは奴を、とても嫌な奴で、二度と近づかないって思っていた。なのに、今は? 今もその気持ちは変わってない?
「何で優しくするんですか。前はこんなんじゃなかったっ」
だったらこの気持ちは何? これじゃ、まるで……。
「……俺はただ、美樹ちゃんのことを、ぐしゃぐしゃにしたいだけ」
奴はクスリと、いつもの余裕のある笑みを浮かべた。