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禁術②

扉の向こうは、広かった。


 広間と呼ぶには語弊がある。天井は見えなかった。どこまでも続く暗闇の中に、柱だけが等間隔で立ち並び、その先に玉座があった。石造りではなく、黒い骨を積み重ねて作られた玉座だった。人のものか、魔物のものか、あるいはその両方か——考えることをやめた。


 そこに、魔王がいた。


 ディムは足を止めなかった。止めれば、足が動かなくなる気がした。


 魔王は玉座に座っていた。いや、座っているというより、玉座に溶け込んでいるように見えた。巨大な体躯。人の形をしているが、人とは呼べない何かだった。肌は黒く、光を反射しない。目だけが赤く、それも炎のように揺れるのではなく、ただ静かに、確かに光っていた。感情のない光だった。怒りでも憎しみでもなく、ただそこにあるだけの、赤い光。


 ディムが十歩以内に近づいたとき、魔王は初めて動いた。


 玉座から立ち上がる。それだけの動作で、空気が変わった。圧力ではない。重力が、少しだけ増したような感覚だった。床が自分を引き下ろそうとしている。ディムは足に力を込め、それを押し返した。


「人間か」


 声は低く、広間に反響した。言葉として聞こえたが、耳よりも先に骨が受け取ったような感覚があった。


 ディムは剣を抜いた。


「勇者のディムだ。お前を倒しに来た」


 魔王は答えなかった。ただ、赤い目がディムを見た。値踏みするのでも、興味を持つのでもなく——虫を見るような目だった。眼前の存在を、障害としてすら認識していない目。


 それが、ディムの腹の底に火をつけた。


 怒りではなかった。正確には——怒りを通り越した何かだった。この目で世界を見てきたのか、と思った。この目で人を踏み潰してきたのか、と。


 魔王が動いた。


 速かった。レベルの差が、そのまま速度の差になっていた。人間の目には残像すら映らない動きで、魔王の拳がディムの側頭部に向かった。


 ディムは躱した。


 レベル1620の体が、その速度に反応した。筋肉が、神経が、今までとは違う精度で動く。頭が追いつく前に体が動いていた。紙一重で拳をかわし、後方に跳ぶ。床を踏み砕きながら着地した自分の足音で、初めて自分がどれだけの力を持っているかを理解した。


 魔王は表情を変えなかった。


 再び動く。今度は拳ではなく、手のひらから放たれた黒い魔力の塊だった。ディムは剣でそれを弾いた。衝撃が腕に走る。以前なら弾き飛ばされていた。今は、踏みとどまれた。


 攻撃に転じる。


 剣を構え、踏み込む。速度はディムが上回った。魔王の胸部に向かって横薙ぎに斬りつける。刃が黒い肌に触れ——弾かれた。


 硬い。


 剣に罅は入っていない。しかし腕に返ってきた感触は、岩を斬ったときのそれに近かった。レベル差が防御力にも現れている。単純に斬るだけでは削れない。


 ディムは即座に距離を取り、思考した。


 1620対1847。数字の差は二百を超える。速度ではディムが上回っている。しかし防御と攻撃力では魔王が勝る。一撃でも直撃を受ければ、致命傷になりうる。


 だとすれば、方針は一つだった。

 当てさせない。当て続ける。削り続ける。


 長期戦は不利だった。体力の消耗は双方に等しくかかるが、魔力の総量が違いすぎる。ならば——長期戦になる前に決める。


 ディムは息を整えた。一瞬だけ目を閉じ、開けた。


 魔王はまだ、同じ場所に立っていた。追撃してこない。戦いを楽しんでいるわけでもなく、試しているわけでもなく、ただ——待っていた。次に来る攻撃を処理するために。それだけのために。


 この存在に、何もない、とディムは思った。


 ただ強く、ただ壊す。それだけの存在。だからこそ、話せない。止められない。倒すしかない。

 ディムは駆けた。


 今度は剣ではなく、体ごとぶつかるように踏み込んだ。魔王が迎撃の魔力を練る。ディムはそれを読んでいた。放たれる寸前、軌道を変える。魔力が空を切る。その隙に懐へ入り込み、剣を逆手に持ち替えて、同じ箇所に三度連続で叩き込んだ。


 三度目で、何かが割れる感触があった。


 魔王が初めて、わずかに体を揺らした。


 ディムは跳び退りながら確認した。胸部に細い亀裂が走っている。黒い肌の下から、さらに黒い何かが滲み出ていた。傷口だった。


 削れる。


 その確認が、ディムの体をさらに速く動かした。

 戦いは、長くは続かなかった。


 正確には、長く感じなかった。実際に何度打ち合ったか、何度躱したか、ディムには数えられなかった。

体が動き続けた。思考が剥ぎ取られ、判断だけが残った。斬る。躱す。踏み込む。距離を取る。また踏み込む。


 どこかで肩に衝撃が走った。直撃ではなかったが、左腕が一瞬動かなくなった。


 構う余裕はない。


 右腕だけで剣を握り、踏み込む。魔王の喉元に切っ先を突き込んだ。刃が深く入った。それまでの亀裂が積み重なり、ついに防御が崩れた瞬間だった。


 魔王が、膝をついた。


 ディムは剣を引き抜かなかった。そのまま押し込む。魔王の巨体が、ゆっくりと後方に倒れていく。玉座が砕ける音がした。


 静寂が戻った。


 ディムは剣から手を離し、息を吐いた。肩が熱かった。左腕の感覚が戻ってきたが、まだ重かった。床に膝をつきそうになるのを、奥歯を噛んで堪えた。


 倒れた魔王の目が、まだ赤く光っていた。消えかけていたが、まだそこにあった。

 ディムは屈み込み、その目を見た。

 何かを言うかと思った。最後の言葉が、あるかと思った。

 魔王は何も言わなかった。


 ただ、こちらを見つめ続けていた赤い光が——静かに、消えた。

 それだけだった。


 ディムはしばらく、そこにいた。勝利の実感がなかった。達成感もなかった。あったのは、ただの疲労と、静けさだった。これほど長く追い続けた存在が、あっけなく消えたことへの——なんと表現すればいいのかわからない、空白だった。


 やがてディムは立ち上がった。剣を拾い、鞘に収めた。


 来た道を引き返す。

 扉を開けると、三人がいた。アレスは倒れたまま顔だけを上げていた。ブリギッドが目を見開き、ディアナが銃を下ろした。


 ディムは三人の顔を見渡して、笑った。


「終わったぞ」


 アレスが何か言おうとして、言葉にならなかった。ブリギッドが手で顔を覆った。ディアナは何も言わなかったが、銃を背負った手が、わずかに震えていた。


 ディムはその場に座り込んだ。膝が折れたのではなく、もう立っていなくていいと思ったからだ。

 肩の熱が、じわじわと広がっていた。



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