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エナを森の入口まで送るため、ヨハンは彼女と夜道を歩いていた。寝静まる時間には少し早いのに、街は死んだようだ。おそらくヨハンが把握しているよりもずっと、あの病魔が襲っているのだろう。外に寝ている病人たちはたとえ病に打ち勝ったとしても、このままでは凍死してしまいかねない。それでも同じ空間に居たくないのだ、誰も。
「不衛生にしていれば、もっと病が広がることになるのに。死体の放置なんて病原体を撒き散らしてるのと同じだわ」
「エナは、この病に詳しいんですか?」
「さっきから気になってるんだけどなんでそんな丁寧な言い回しなの? 普通でいいわよ」
「あーいや、うん、そうする」
「この病に詳しいかって? まあね。この病はね、黒死病って言われてるの。何度か流行してる。打つ手立ては今のところないわ。それこそ、魔法でもないと」
「死を待つだけ?」
「そう。感染経路も分からないの。昔は同じ空気を吸うだけで病にかかるなんて言われてたけど、それは無いわね。もしそうなら、生き残る人はいないもの」
「……エナはかかったことがあるの?」
「私はかからないわよ。魔女だもの」
「そうなんだ」
それきり、言葉は続かなかった。森の入り口まではそう遠くない。箒に乗って帰るのかと思ったら、どうやらすごく体力を使うらしく、大人しく歩くのだそうだ。曰く、自宅までの近道があるらしい。
入口に着くと、それじゃあと言って別れる。きっとこの先彼女とはもう会わないのだろう。理由がない。彼女は森に暮らしていて、自分の存在を知られたくないように見える。ヨハンも彼女のことを好きに言いふらして、悪い人間が彼女を困らせるようなことになるのは嫌だった。
元々は別世界の人間だったのだ。今回、たまたま交わっただけの。そしてもう交わらない。それだけ。
それだけ、なのに。
「あの!」
ヨハンは去りゆく後ろ姿に声を掛けていた。何を言おうと思ってた訳じゃない。ただ、今声を掛けないとダメだと思ったのだ。
エナが足を止めて振り返る。
「なに?」
「また遊びに行ってもいいかな」
「……勝手にしたら」
エナはそれだけ言うと、さっさと森へと帰って行ってしまった。でもその一言がヨハンは嬉しくて、何故かとても心が踊るのだった。
満月の輝く月は澄み渡っている。
・*・*・*・
「また今日も来たの? 飽きないわね」
「エナの家って面白いから。飽きることなんてないよ!」
メアリーの一件以降、ヨハンはほとんど毎日のようにエナの家へ遊びに来ていた。ヨハンの言葉はただの口実ではなく、エナの家は本当に面白いのだ。実際の彼女の家は奥へ奥へと繋がっているし、地下にも街の図書館より沢山の本が収められた蔵書室がある。
ヨハンの家での過ごし方は、家の探検か、蔵書室で本を読むか、エナと他愛もないお喋りをするかだった。
甘いものが好きなようで、アップルパイやフルーツタルト、プディングなどを手土産にすると喜んだ。お茶の時間には一緒に食べるのが習慣になってる。
もうそんな生活をして、1ヶ月は経つだろう。
「エナっていつも薬品とにらめっこしてるけど、何やってるの?」
「研究よ」
「何の?」
「秘密」
「秘密ばっかだね。俺とのことも結局話してくれないし」
「魔女だから」
「それ理由になってないよね?」
ヨハンが不貞腐れても、エナは無視して研究を続ける。彼女が何かに夢中な時はあまり相手にしてくれないので、蔵書室へと足を運ぶことが多い。本を適当に選んで、日に当たりながら彼女の隣で静かに過ごすのが好きだった。
グレイ達からは恋をしてるのだと言われたけれど、それとは違うような気がしている。もっと穏やかで、温かく、信頼のある関係だと思う。どちらかと言えば親愛に近い。彼女のそばは酷く心地が良いのだ。
今日はどんな物語にしよう。この間読んだ騎士道物語は面白かった。たった一人に忠誠を誓う姿は憧れすら持てる。もし忠誠を誓うなら、エナがいい。彼女は良い顔をしなさそうだけれど。
ヨハンは本棚から適当にひとつ選んでエナの横に座り、ページをめくるのだった。
・*・*・*・
「エナ、子猫を連れてきたよ!」
また数日後、ヨハンは黒い子猫を連れてエナの家を訪れていた。
エナは子猫を見るなりうんざりした表情をする。
「ウチはペット禁止よ……」
「そんな事言わないで、ほら。友達の猫が子供を産んだんだ! エナ、一人だって言うから。これで寂しくないよ」
「もともと寂しいと思ってないわよ。はぁ……とにかく中に入って」
エナは気が進まなさそうではあったが、猫が嫌いという訳では無いようで、押し付けられた子猫を大事そうに抱えている。
ヨハンが子猫を連れてきたのは、なんの脈絡もないけど行動では無かった。どうやら整理整頓が苦手らしい彼女の代わりに部屋を片付けていたら、猫の餌入れや遊び道具が出てきたのだ。埃を被ってはいたけれど、過去に飼っていたことは間違いない。
そして、ヨハンはエナが一人でいることが心配だった。寂しくしてるとは思わないが、ヨハンと過ごしている彼女は孤独を生きれる性格には見えなかった。当たり前のようにヨハンを受け入れ、食事をし、話す姿は、本当は人が好きなのではと思わせるほどだったのだ。けれど彼女は魔女で、人の友達は自分以外居なさそうだ。作ろうともしてないし、身分を明かすのも簡単ではないだろう。けれど猫ならば、少しは孤独を埋めてくれるのではないかと思った。
ヨハンはこの先どうなるかは分からない。人が死ぬ理由なんて、病気だけでは無いのだ。せめてこの子猫が大きくなるまでは通っていたいと、そう強く思った。
・*・*・*・
「……大丈夫?」
「……エナ」
雨の強く降るとても寒い日、ヨハンは十字架の前でただ佇んでいた。後ろから声をかけられ、ゆっくりと振り返る。黒い服に身を包む彼女は、白百合の花束を持っている。
グレイがこの世を去ったのだ。近くの川が増水し、その氾濫を抑えるために男手が必要で。ヨハンもグレイも駆り出され、土嚢をひたすらに積んでいく作業をしていた。けれど運悪く、土嚢の一部が崩れてきた。ヨハンの上に。その時は何が起こったのかは分からなかった。気づいたら自分は倒れていて、グレイが土嚢に潰されていたからだ。
後から聞いた話だと、崩れ落ちた土嚢の真下に居たヨハンをグレイが思い切り弾きとばし、自分が下敷きになったらしい。彼は動揺するヨハンに向かって、あの時の仮をやっと返せると言った。
それが三年前の黒死病の件だとはすぐに分かった。だからより一層辛かった。ヨハンは何もしてないのに、エナがただヨハンに感謝しろと軽口で言ったことをずっと覚えていたのだ。感謝されることなんて何も無いのに。
誰もヨハンを責めることは無かった。不幸な事故だと言っていた。アンバーもその子供も、身代わりになられた側のヨハンを気遣っていた。
「そこは寒いでしょ。ほら、うちに帰って温かいものを飲むといいわ」
「……声を、掛けないで。酷いことを言ってしまう」
「言っていいわよ。言ってみなさいな」
ヨハンは促すエナをキッと睨みつけると、心のままに叫んでいた。雨音にさえ掻き消せないくらいの強い口調で、エナを責め立てるように。
「エナ、君があんなことを言わなければグレイは死ななかった! 俺は何もしてないだろ! なんで俺に感謝するように言ったんだよ!」
「事実だもの、仕方ないわ。彼が貴方の友達じゃなかったら私は彼を見殺しにした」
「それでも、言わなくて良いことだってあるんだよ! 君が、君がいなければ……君となんか、出会わなければよかった!」
口を突いて出た言葉は本心ではなかった。それはきっとエナにも分かっていたと思う。
彼女に出会わなければメアリーもアンバーもとっくに亡くなっていたし、エナと過ごした日々はヨハンにとっても良いものだった。
でも、だからこそこの渦巻く感情をどうして良いか分からなかった。いっそ出会わなければ、エナのことを知らずにいられれば、メアリーやアンバーの死を受け入れて、それはそれで静かに暮らせていたかもしれない。少なくともこんな苦しさは無かった。
エナがもしヨハンを大切にする理由を言ってくれたのなら、もっと納得できたかもしれないのに、彼女は頑なに話そうとしないのだ。それが余計に苛立たせた。
「……そう。私は、帰るから」
エナはそれだけ言うと、そっと白百合の花束をグレイの墓へ置いて、去っていった。
ヨハンはその姿を見届けることなくその場に蹲り、このまま全てが雨に流されてしまえばいいと思った。
・*・*・*・
グレイの死から半年。ヨハンは魔女の家へ行くことはなかった。酷いことを言ったから、どんな顔をして会えばいいのか分からなかったのだ。
それに何より、ヨハンが居なくても平気そうな様子を見るのが嫌だった。ヨハンはこの半年ずっとエナのことを考えていたけれど、もしかしたらエナはヨハンのことなんて忘れてしまったかもしれない。それこそあの黒猫が孤独を埋めていて、もうヨハンなんてお呼びでないかも。
「うじうじ悩んでるくらいなら、さっさと確認してきたらいいのに」
「で、でも……」
「グレイが泣くわね。自分のせいで二人の仲を引き裂いたって」
「グレイのことを出してくるのは卑怯じゃない?」
「そう思うならさっさと行け!」
「そうよ、仲直りできるうちにしておいた方がいいわよ~」
子供が生まれてから、アンバーは随分と頼りになる女性になっていた。子育てをする大変さも偉大さも、彼女といると実感する。
メアリーがヨハンとアンバーのやりとりをくすくすと笑いながら見ている。ふわふわした雰囲気の彼女は、ああ見えて怒ると怖いし推しも強いのだ。
女性二人に背中を押され、ヨハンはしぶしぶ魔女の家へと向かった。
首元にはかつてアンバーから貰った御守りがある。どうやらこれは獣の類が嫌がる成分が入っているらしく、あの日無事にエナの家まで辿り着けたのはこれのおかげらしい。アンバーは知らず知らずのうちに本当に身を守ってくれていたのだ。
今は家までの近道も知っているし、森の動物から襲われないよう魔法をかけてもらっているけれど、この御守りは今でも大事にしている。
近道を抜けて、エナの家の前に出る。けれどドアをノックする勇気がなくて裏へと回り、窓からこっそりと中を覗いた。
エナは黒猫と戯れていた。もうすっかり大人になった猫はそれでもまだやんちゃ盛りのようで、猫じゃらしに夢中だ。けれど少しして、エナはぱたりと遊ぶのをやめ猫を抱えると、悲しそうに溜息を吐く。そして、猫に何かを言っているようだった。
――今日も来ないのかしらね。
口の動きが読み取れたのは、そうであって欲しいと思っていたからか、偶然なのかは分からない。ただその様子にヨハンはいてもたってもいられず、鍵のかかってない窓を大きく開けた。
「ごめん、俺が悪かった!」
「わあ! び、びっくりした……ヨハン?」
「俺、酷いこと言ったよね。ごめん。それで来る勇気がなくて……。寂しがらせてた、ごめん」
「べ、べつに寂しがってなんて無いわよ」
「嘘。俺、この三年ずっと君の傍に居たんだよ? たった半年離れたくらいで変わるなんて思えない」
「ああ、もう。いいから、とにかく扉から入ってきて!」
エナが遮るようにそう言ったので、ヨハンはすぐに玄関へ回り、家の扉を開けた。そしてつかつかと入ると、エナをぎゅっと抱き締める。
「ごめん、ごめんなさい。俺、エナに会えてよかった。本当にそう思ってる。あの時は本心じゃなくて、いや、嘘だった訳でもないんだけど、その……」
「いいのよ、分かってるわ。また来てくれた。それでいい」
「俺、またここに来てもいい?」
「……勝手にすれば」
ぶっきらぼうなエナの言葉に、ヨハンは嬉しくなってさらに彼女を抱きしめ、苦情を言われるのだった。
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