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さて、ヨハンは来た道を慎重に帰りながら、エナから渡されたメモを読んでみた。
一、メイの効果は一日にしてならず。小瓶には三つの小さな種が入っているが、一日一粒飲ませること。それ以上飲ませてはならないし、必ず三日続けること。
一、メイの効果は一度のみ。一度メイの実を与えた者は、その後メイの効果を受けることは無い。無理に与えようとすれば、その者は生命の理を外れることになる。
一、メイの効果を外聞してはならぬ。メイの実の効果は凄まじく、過去に悪い心を持つ人間がメイの実を巡って戦争を起こしたこともある。必ず神の奇跡とすること。
一、メイの実を探してはならぬ。メイの実は人の立ち入ることが難しい場所にあり、そこは神域と呼ばれている。加護なく無闇に立ち入ろうとすれば死を招く。
難しいことは書かれていないようだ。彼女があんまりにも神妙な面持ちだったからもっと厳しい条件があるのだと思っていた。少なくともヨハンにとって、これはさほど困らない問題に思える。
何にせよメイの実を手に入れることができた。これでメアリーを助けられる。それからのことはまた考えればいい。
ヨハンはメアリーやアンバー、グレイのことを考えながら帰途に付くのだった。
「ヨハン! おかえりなさい!」
ヨハンは街へ着くなりすぐにメアリーの家へと向かった。メアリーの家ではアンバーが看病していたようで、ヨハンを見るなり嬉しそうに立ち上がって駆け寄ってくる。
「無事で良かった! 帰ってこないんじゃないかと心配してたの」
「心配かけてごめん。ほら、これがメイの実。森を歩いてたら偶然森に詳しい人に会って、譲ってもらったんだ」
「お、それって魔女じゃねぇ? 食われなくて良かったな!」
グレイが茶化すように放った言葉を否定もできず、ヨハンは苦笑してしまう。本当に魔女だと伝えたら、性根は臆病な彼は卒倒するか、あるいは彼女に興味が出て自分も会いたいと言い出しかねない。それは何となく嫌だった。
あの家も彼女のことも、自分だけの秘密にしていたかった。
「この種を1粒飲ませること。それを三日間。それで治るって」
「それじゃあ早速飲ませましょう!」
アンバーが意気揚々と立ち上がる。しかしその瞬間彼女は体をぐらりと揺らし、その場に倒れてしまった。
「アンバー!」
「大丈夫か!?」
ヨハンとグレイは慌てて近付く。彼女の体を起こすと、酷く熱いことが分かった。つまり、熱が出ているのだ。それも、かなりの。
息が上がっていてどこか朦朧としているように見える。おそらく今表れた症状ではなく、気を張っていたアンバーが隠していたであろうことはすぐに分かった。メイの実に安心して、気が緩んだのかもしれない。
ヨハンとグレイが視線を交わすと、グレイは無遠慮に体を触り始める。この症状には覚えがあったからだ。ヨハンは手や足の指を見て、黒ずんでいる場所がないかを探す。
「……ヨハン、これって」
「…………うん」
腫れ物は無さそうだった。あるいは、探り当てられなかったのか。ただ、彼女の足の指が黒ずんでいた。間違いなくメアリーと同じ症状だ。
アンバーはずっとメアリーの看病をしていたから、感染してしまったのだろう。この病気は人から人へ移る病だったのだ。となれば、街でも同じような病に掛かってる者はいるかもしれない。医者が匙を投げてる以上薬があるとは思えず、メイの実は一人分しかない。
それに同じ空間にいるヨハンやグレイだっていつ感染するか分からない。あるいはメイの実を貰いにあの魔女の家へ行くか。彼女が快く渡してくれるかは分からないけれど、頼れるとすればそれだけだった。
「ヨハン、俺はもしもの覚悟はしてる。今した。お前は?」
「俺も、覚悟してる」
「それなら、とにかくメアリーかアンバーに飲ませてやろう」
「うん……でも、どちらに?」
アンバーの進行が早い。高熱を出したのがいつかは分からないが、少なくともメアリーの後のはずだ。それなのにもうメアリーと同じ状態になっている。
もう一度森に入ったとして、持って帰ってくるまでに彼女が生きていられる保証は無い。何せ、この病がなんなのか全く分からないからだ。どのくらいで死ぬものなのか検討も付かない。
彼女を森へ連れていく方法もある。道は覚えているし、エナに直接見せた方が適切な治療をしてくれるかもしれない。生きていてくれるならば。
「……ヨハン、俺の事を殴ってもいい。聞いてくれるか?」
「アンバーに飲ませたいんだよね」
「……。ごめん」
グレイが苦い顔で謝るが、ヨハンは彼を責めることができなかった。理由は簡単で、アンバーはグレイの子供を身篭っているからだ。結婚前なので誰にも言っていないけれど。
対して、メアリーには親も伴侶もいない。友人は多いけれど、彼らはメアリーが病にかかっていることを知っていて、助からないかもしれない覚悟もしている。
ヨハンだってメイの実に縋ったものの、心のどこかでは覚悟していた。
見殺しにするなら、メアリーだった。彼女はもう意識もないし、せめて安らかに眠れる場を用意してあげれば良い。
それにメアリーがもし正気を取り戻しても、アンバーをと言うだろう。彼女はそういう性格だった。
「三日間一粒ずつ飲ませるなら、今日二人に一粒ずつ飲ませて、その間にまた貰えば……」
「また貰える保証はないよ。今回はたまたまくれただけかもしれない。貰えなければ二人とも死んでしまう」
「俺たちで取りに行くとかは?」
「人が立ち入れない場所に生えてるらしい。神の加護が無いと行けないんだって」
グレイが頼りない口調で呟く言葉を、ヨハンは否定する。ヨハンだって今すぐにでも森に駆け出したい気持ちだったけれど、理性がそれを押し止めていた。
「とりあえず、アンバーに飲ませよう。それで、俺はまた森に行ってみる。また貰えたら、今度はメアリーに飲ませる。それでいい?」
「おい、もう夜だぞ。普通の森だって夜に入るのは危険だ」
「あそこはずっと暗いから、昼も夜も変わらないよ。とにかく、行ってくるから。あとは頼んだ」
ヨハンは自分に言い聞かせるようにしながら家を出て、森への道を無心で走った。何かを考えてしまったら恐怖に負けるような気がして。見えない闇がいつでも絡め取ろうと手を伸ばしてるような気がして、焦る気持ちだけが先走っていた。
・*・*・*・
「困り事かしら?」
ヨハンが森の入口に差し掛かった時、上空から馴染みのある声が聞こえてきた。彼女が誰であるかは見なくても分かる。空を飛べる者がいるとすれば、神か悪魔か、あるいは魔女だ。
「エナ。その、また実を貰えないかと思って向かってたんだ」
「だと思った。猫が悲しげに鳴く声がしたから」
「猫?」
「何でもないわ。それより、街はずいぶんと穢れてるのね。右も左も病人だらけ。気付かない?」
「え?」
ヨハンはそう言われて、街を見る。街は城壁に囲まれているけれど戦争が久しいため門が閉じられることはなく、塀もところどころに穴が空いている。おかげで中の様子を見ることは難しくない。
目を凝らすと、異様な静けさに満ちていることに気づいた。全ての家の門扉がぴっちりと閉められているのだ。扉も、窓も、まるで外部から身を守るように。路上には家に帰り付けなかったのか追い出されたのか、人が寝転がっている。あるいは、死んでいるのかもしれなかった。
メアリーの家は城壁のすぐ側だったし、ヨハンは街の様子を気にかけていなかったので気付かなかったが、以前見た景色と比べると随分と荒れている。アンバーが感染したのは、メアリーを看病していたからだけではないかもしれない。
「メイの実は、残念だけれどもう無いの。もともとは森の奥に生えていたのだけど、今は私も立ち入ることのできない場所に移されてしまったから」
「そう、ですか……」
「メイの実はね、別名を「神の林檎」と言うの。神が定期的に食べることで命を繋ぐための林檎よ」
「命を繋ぐ……? 神は死ぬんですか?」
「ああ、なんというべきかしら。まあ、そういう話があるってこと。ややこしくなるから割愛するわね。それで、そのお零れを人間が貰ってた。でも争いが絶えなくて、人の理を外れる者も出て……神域へ持ち帰られてしまったってこと」
「それじゃあ、もうメアリーは……」
敬虔な信者ではないにせよヨハンの知る神は全知全能で、愚か者に罰を与え憐れな者を救ってくださる唯一の神だった。だからエナの言っていることはあまりピンと来なかったけれど、なんにせよもうメイの実は無くて、メアリーの命が救われないことだけは理解できた。
それならば、少しでも彼女の側にいて看取ってやりたい。命の選択をしたのはヨハンとグレイで、どんな罰を受ける覚悟もあったけれど、せめて友として彼女の最期を看取ることだけは許して欲しかった。
ヨハンが肩を落としてメアリーの家へ帰ろうとすると、エナは慌てたように声を上げた。
「待って待って! 助からないとは言ってないわ!」
「え、じゃあ助かるんですか?」
「私を誰だと思っているのかしら。この街の人間を助ける義理は無いけど、貴方の友人を助けるくらい造作もないことよ」
「本当に!? でも、なんでそこまで……」
「それは秘密。さあ、メアリーちゃんの所へ行きましょうか」
エナが足取り軽くメアリーの家へと向かう姿を、ヨハンはなんとも言えない気持ちで追いかける。エナがヨハンに良くしてくれる理由が分からなかったからだ。
ヨハンは今日初めてエナに会ったはずだ。それなのに、エナは初めからずっと好意的だったように思う。今だって、街の人を助ける義理はなくてもヨハンの友人を助けようとしてくれている。覚えていないだけで、昔会ったことがあるのだろうか。
エナは聞いても教えてくれなさそうなので、ヨハンはとりあえず考えないことにして、メアリーの家へと足早に向かうのだった。
「はい、これで大丈夫よ。グレイと言ったかしら。貴方も移った様子は無いけど、一応この薬を五日間飲んでね」
エナはメアリーの元へ着くなり早々に、何やら紫色の怪しげな薬を飲ませた。自力で飲めなかったので口移しだったのは驚いたが、エナ以外は男しかおらず、さすがに未婚の女性に口移しはできなかったのでそういった意味でも助かった。
メアリーもアンバーも高まっていた呼吸が落ち着き、今は穏やかな寝息を立てている。腫れ物も爪の黒ずみも嘘のように消え、病状が回復したことは明らかだった。
グレイはエナから薬を手渡されると、泣きながら何度もその手を強く握り返した。
「ありがとう。本当にありがとう」
「お礼ならヨハンに言いなさい。ヨハンの友達でなければ、私は貴方達を見殺してたでしょうね」
「ありがとう、ヨハン。俺、お前に何をすればこの恩を返せるか……」
「い、いや、俺は何も……」
グレイが感謝を述べても、当の本人は本当に何も心当たりがない。エナも教える気は無いようだし、とにかくヨハンは困ることしかできなかった。
とにかく全てが無事に終わって、ヨハンはふぅと溜息を吐く。街の様子は気になるけれど、ヨハンにとっても街の人々はそれほど重要に思えず、どこか他人事のような気さえした。
ヨハンとグレイはその後、メアリーが無事回復したことを伝えれば街は大騒ぎになるだろうから、しばらくはメアリーが死んだことにしてしまおうと話し合った。可哀想なことではあるが、それこそメアリーに魔女の疑いがかかれば、今は廃れてしまった魔女裁判が復活しかねない。恐怖に駆られた人間は何をするか分からないのだ。
メアリーとアンバーが起きたら二人にも事情を説明することにして、解散となった。
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