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黒猫は空に鳴く  作者: 北海 犬丸


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「それじゃあ、いくね」

 そう言って魔女は黒猫を一撫ですると、(ほうき)に跨るなり空高くへと舞い上がった。

 暁のしじまに、寂し気な鳴き声だけが響き渡る。


・*・*・*・


 ふぅ……。

 ヨハンは自分を叱咤するように息を吐き、鬱蒼(うっそう)と生い茂る森の入り口を見つめた。

 奥は薄暗くなっていて見通すことができない。

 どんな危険が待っているかも分からないその場所に、ヨハンはそれでも立ち向かわなければならなかった。

「ねえ、本当に行くの?」

 アンバーが、琥珀(こはく)色の瞳を不安げに揺らしながら訊いた。

「ここは魔女の森だよ。きっと魔女に見つかって、食べられちゃう!」

 グレイが、身を震わせながらも面白そうな声で囃し立てた。

「行くよ。メイの実はここにしか生えてないんだろ?」

 ヨハンがそう言うと、アンバーは軽く頷いて、けれどやはり不安そうな声色で返す。

「そうだけど、でも危ないわ」

「魔女が美人だったら食われても良いかも、俺」

「ちょっとグレイ! いい加減にして!」

「わわ、怒るなよアンバー! 魔女なんて噂だって!」

 グレイがへらへらと笑っているので、アンバーは思い切り蹴り上げる。

 そしてヨハンへと向き直り、手に持っていた布製の何かをヨハンへと手渡した。

「これはお守り。きっとあなたを助けてくれるわ!」

「ありがとう、アンバー。それじゃあ、行ってきます」

 ヨハンは受け取ったお守りを胸元に仕舞って、深い森へと歩き出した。

 ここは、正式な名前を【夜の森】という広大な森だった。

 昼でも薄暗く、中心部ではまるで夜のように真っ暗で、灯りが無いと前も見えないという。

 ヨハンの住むダレンの街はずれにあり、グレイが言っていた通り【魔女の森】とも言われている。

 その理由は単純で、この森には魔女が住むと噂されているからだった。

 もうずっと昔からある言い伝えだ。森に住む魔女は森に入った人間を見つけると食べてしまうとか、実験の材料にしてしまうとか。とにかく生きては帰れないので、森には立ち入ってはいけないという。

 もっとも、もしその噂が本当なら、一体誰がその話を広めたのだろうか。

 おおかた子供たちが入り込まないようにするための迷信だろうと、ヨハンは思っている。

 今でこそ木こりでも入り口までしか入らないような森だが、どうやら古い時代は中心部まで誰もが普通に入っていたような場所だったらしい。

 おかげで森に関する資料は少なくはなく、そこに載っていた【メイの実】こそ、ヨハンが求めている物だった。

 メイの実は、『内に秘めたる病を瞬く間に消し去る』と言われている。要するに、病を治す効能があるようだ。

 何百年も前の資料だから、信憑性(しんぴょうせい)はあまりない。それでもその記述に縋る方法しかなかった。

 ヨハンの友人であるメアリーが未知の病に侵されたのはたったの2日前。最初は高熱と嘔吐が酷かった。脇腹には腫れ物ができて痛々しいものだった。そして昨日、手の先が真っ黒に変色したのだ。

 街には大きな病院も図書館も無く、それが何なのか誰も分からなかった。藪医者はとにかく彼女を隔離しろとだけ言って、早々に去ってしまった。

 どんな病気なのかは分からなくても、死が近づいていることだけは分かる。

 ヨハンは図書館の片隅にあったメイの実のことを思い出して、森に入ると決めたのだ。

「急がないと」

 ヨハンは誰に聞かせるでもなくそう言うと、とにかく足場の悪い道を奥へ奥へと歩きだした。


・*・*・*・


 木々の隙間から辛うじて分かる太陽が90度ほど傾いた頃、ヨハンは開けた場所に辿り着いた。眩しさに目を細めながら陽光の下へ出れば、暖かな優しい風が頬を撫でる。

 豊かな草花が絨毯のように一面に広がっていて、蜂や蝶が楽しそうに踊っている。

「まるで楽園だ」

 ヨハンは思わずそう呟いていた。

 神の国だと言われても疑わないほど幻想的な光景に、ヨハンは一気に肩の力が抜ける。

 その場に座り込んでしまえば、もう動きたくないとばかりにごろりと寝ころんだ。

 青々とした空が皮肉げに雲を浮かべている。

メイの実が生えているというヨスガの(たき)は森の東側にあるというが、そこまでの距離がどれほどなのかまでは分からない。

もうとっくに過ぎているかもしれないし、その瀧はもうないかもしれないし、あるいはもうメイの実は絶滅してしまっているかもしれない。

何も確証が無くて、それでも前に進んできたが、ここに来てヨハンは心がすっかり疲れ切っていた。

それでも太陽の光は、まるでヨハンを囃し立てるように身を焦がす。

「詩人にでもなるかな」

 ヨハンは自嘲気味に笑う。随分と感傷的だと、可笑(おか)しくなったのだ。

 空も太陽も何も言わない。そんなことは分かっているが、そう思うのも仕方がない。

 暗いというのはそれだけで心を削る。柔らかな土は足を踏みしめるのに苦労したし、木々の合間に突然現れる崖にヒヤリとしたことは何度もあった。幸い方位磁針は使えたけれど、肝心の太陽がはっきりと見えなかったから、距離や時間を計測するのに難儀した。

 たった4時間、されど4時間。

 しかしそうこうしている間にも、メアリーの命は刻一刻と終わりへと近づいているはずだった。

 ヨハンはへこたれている暇はないぞと思い切り頬を叩き、嫌がる足を無理やり立たせた。

「あっちは……湖かな」

 古い地図をもとに自分の位置を特定しようとして見回すと、少し北側に湖のようなものが見える。

 湖の形が特徴的ならば地図と照合できるかもしれない。

 ヨハンは湖へと足早に近づいて、湖をぐるりと見渡した。

 三日月のような形をしていて、大きさは横が50mほどだ。大きくない。

 地図を見てみれば、確かに森の東側に小さな三日月の湖がある。おそらくここのことだ。

「入口からここまでが4時間なら、ヨスガの瀧まではあと3時間ほどかな」

 おおよその計算と方角を見極めて、ヨハンは目的地へと足を進め……ようとして、三日月の凹みに木造の小屋の様なものがあることに気付いた。

 朽ちていないところをみると最近まで使われていたものだろう。

 この森は東西南北が街に接しているから、東側の街の人たちが利用しているのかもしれない。

 ヨハンの住む南側の街では魔女の噂があるとしても、東側でもあるとは限らないからだ。

 もしそうだとすれば、森に付いてもっと新しい情報を持っている可能性がある。

 ヨハンは誰かいるかもしれないと、小屋へ立ち寄ることにした。


・*・*・*・


 小屋へと近づくと、そこが今まさに使われていることに気付いた。

 なにせ、料理の匂いがしたのだ。食欲をそそるそれの正体はおそらくシチューだ。

 これは好都合だと、ヨハンは家のドアへと近づく。

 トントントン。

 ヨハンはドアを叩いた。

 しかし、誰も出てくる気配はない。

 トントントン。

 もう一度叩いてみる。けれど、やはり誰かが出てくる気配はない。

 誰もいないのだろうか。

 もう一度ドアを叩いてみようとしたとき、後ろから少女の声がした。

「何か御用?」

 ヨハンはびくりと肩を上げて、慌てて振り返った。

 悪いことをしようとしていたわけではないけれど、こういうときは焦ってしまうものだ。

 ヨハンはまるで言い訳をするかのように口を開く。

「ああ、違うんです。ちょっと聞きたいことがあって。その、初めまして。俺、ヨハンといいます」

「……はじめまして。私はエナ。聞きたいことがあるなら、上がっていくと良いわ」

 エナと名乗る(はしばみ)色の髪の少女は、少し寂し気に挨拶をすると、ヨハンの横を擦り抜けてドアを開ける。

 ヨハンは居たたまれない気持ちのまま、エナの後へと続いた。

「わあ、広い!」

 ヨハンは肩見狭そうに部屋へと入るなり、驚きで思わず声を上げた。

 それというのも、小屋の中は外から見た時とは比べものにならないほど広く立派だったからだ。

 木造とは思えないほどしっかりとした壁には白を基調とした上品な壁紙が貼られているし、調度品も華美ではないが質素でもないちょうど良い塩梅。何よりもヨハンを驚かせたのが、他にも部屋があると分かるいくつかの扉だった。

 外から見た小屋は間違いなく木こりの休憩所にしか見えなかったのだ。

 まるで魔法のような出来事に、ヨハンははたと気付いてエナを見る。

「あの、変な事を聞くようで悪いですが……」

「あら、遠慮しなくて良いわ。そうよ、私は魔女なの。もうずっと昔からね」

「ま、魔女……」

 エナが何でもないことのように言うものだから、ヨハンは茫然と単語を口にすることしかできなかった。

 たしかに、魔女が住むとは言われていた。けれど本当に魔女が住むなんて、一体どこの誰が思うだろう。

 信じている人たちだって、自分で見たわけでは無くただ迷信を信じ込んでいるだけのはずだ。

 だが実際はどうだ。正真正銘、魔女はいる。それも、目の前に。

 嘘だろうと笑い飛ばすには、ヨハンが見た景色はあまりにも現実離れしすぎていた。

「魔女さんは……」

「エナで良いわ」

「その、エナは、ここで何を?」

「何をって、暮らしているのよ。自分の家だもの。当たり前でしょう?」

「そうですよね、当たり前だ……」

 つまりこの家は魔女の家で、ヨハンはうっかり足を踏み入れてしまったのだ。自分から。

 噂によれば魔女は人間を食べるとか、実験の材料に使うとか言われている。もし噂も本当だとすれば、自分はまずい状況に居るのではないだろうか。

 けれどもしヨハンに何かをする気があるなら名乗ることもないだろうし、すぐにでもヨハンを手にかけていただろう。何せ、ヨハンは彼女に背中を見せていたのだから。

 どう行動したものかと思案しながら視線を彷徨わせていると、エナは呆れたように椅子に座って、首だけでヨハンにも座るように促した。

「別に取って食ったりしないわ。失礼な人ね」

「す、すみません……」

「まあ、慣れてるけどね。それで、何が聞きたかったの?」

「あの、メイの実が欲しいんです。場所を知りませんか?」

「メイの実ねぇ……」

 ヨハンが尋ねると、エナは少し考える素振りを見せる。おそらく心当たりがあるのだろう。ヨハンは少し希望が見えた気がして、彼女の言葉の続きを待った。

 エナは何も言わないまま立ち上がり、そして奥の部屋へと向かった。付いていく訳にもいかず、ヨハンはただ彼女が出てくるのをじっと待つ。

 5分ほどした頃、エナのいる部屋の扉が開いた。

「あったわ。もう長いこと見てなかったから、ちょっと自信なかったんだけど……」

 エナはそう言って、ヨハンの前に小瓶に入ったドライフルーツを置いた。ピジョンブラッドの果実は命そのものを表すかのようにやや恐ろしげで、それでいてどこか神聖なものに見える。

 この実がメアリーの病を治してくれるのだ。もう彼女は随分と衰弱しているから乾いた身を食べるのは億劫かもしれないけれど。

 ヨハンが浮き足立っていることはエナにも明白だったようで、彼女は渋い顔をして、声色低く、大切な話をするような慎重な声で言った。

「この実は確かにあらゆる病を治すわ。貴方が助けたい人の病もね。けれど、その取扱いには十分に気をつけること。このメモに書かれたことは、必ず守るように」

「はい、分かりました! 本当になんとお礼を言ったらいいか……ありがとうございます!」

「本当にわかってる……? まあいいわ。ほら、もう用は無いんでしょ。帰った帰った」

 しっしと払われるように手を振られたが、気分のいいヨハンは気にならない。立ち上がってぺこりと頭を下げると、メイの実の入った小瓶を持ち足早に家を出た。

 湖のほとりに立つ小屋は、外から見るとやはり木こりの休み処にしか見えなかった。魔法とは不思議だ。ただ、噂にあるような怖さは感じない。むしろあの魔女からは、どこか親しみを感じた。


・*・*・*・


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