7話 閉ざされた未来
十歳の誕生日は、雲ひとつない晴天だった。
嵐の前の静けさでもなく、不穏な予兆もない。
ただただ、美しく澄み渡った青空が広がっていた。
「おめでとうございます、ウィルフレッド様」
エマが恭しく頭を下げ、いつにも増して丁寧に整えられた正装を差し出す。
深紺のベルベットの上着に、純白のスカーフ。
袖を通すと、生地の心地よい重みが肩に乗った。
「ありがとう」
鏡に映る自分を見る。
緊張していないと言えば嘘になるが、手が震えるようなことはない。
やるべきことはやってきた。
今日行われるのは、その積み重ねの答え合わせに過ぎない。
過度な期待も、卑屈な不安もなかった。
ただ、淡々と結果を受け入れる準備はできているつもりだった。
儀式は、屋敷の地下にある「儀礼の間」で行われる。
石造りの冷たい空間には、すでに父上と母上が待っている。
中央には台座があり、その上には淡い光を放つ水晶球が鎮座している。
王都から招かれた魔術協会の神官が、祝詞のようなものを低い声で唱えている。
「参りました」
僕が静かに告げると、父上は無言で頷いた。
その視線は厳格で、何も語らない。
(大丈夫だ)
心中で繰り返す。
父上の評価はわからないけれど、僕が積み上げてきたものは嘘じゃないはずだ。
魔法の才能がどれほどのものかは未知数だが、少なくとも「侯爵家の長男に相応しい」と判断される程度の結果は出るはずだ。
そうでなければ、あの日々の努力は何だったのかということになってしまう。
「では、ウィルフレッド殿。水晶に手を」
神官に促され、僕は台座の前に立った。
水晶球は、大人の頭ほどの大きさがあった。
内部で白い霧のようなものが渦巻いている。
僕は一度だけ深呼吸をして、そっと右手を水晶にかざした。
ひやりとした冷たさが指先から伝わってくる。
僕は意識を集中し、身体の奥底に眠るはずの力を、水晶へと流し込むイメージを描く。
(光れ!)
僕は願った。
派手な輝きでなくてもいい。
僕が積み上げてきた時間の分だけ。努力した分だけ。
正しく、光ってくれればいい。
水晶の中の霧が動き始めた。
ゆっくりと回転し、色を変えようとする。
一秒。
二秒。
三秒。
一瞬の沈黙。
父上の表情は変わらない。母上も微動だにしない。
だが、室内の空気が、氷点下まで下がったような錯覚を覚えた。
水晶は、ぼんやりと灰色に濁ったまま、沈黙を守っている。
いつまで経っても、色は変わらない。光も放たない。
ただ、薄汚れたガラス玉のように、重く鎮座しているだけだ。
「……あれ?」
思わず声が漏れた。
接触が悪いのだろうか。
僕は手に力を込め、もう一度魔力を意識して送り込んだ。
けれど、水晶は反応しない。
吸い上げられる感覚すらない。そこにあるのは、底のない井戸に声を投げ込むような、圧倒的な徒労感だけだった。
「……判定を」
父上の声が、地下室の冷気をさらに凍てつかせた。
神官は額に脂汗を浮かべ、何度も水晶を確認し、そして気まずそうに口を開いた。
「魔力量……測定限界値、以下。属性……適性なし」
言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
測定限界値以下。
つまり、ゼロに近いということか?
適性なし。
どの属性魔法も使えないということか?
「……間違いではありませんか」
母上の声は冷静だった。震えてはいないけれど、その響きには絶対零度の冷たさが宿っている。
「この子は、侯爵家の長男です。王国の守護者の末裔です。水晶の不具合の可能性は?」
「い、いえ。装置は正常です。ですが、反応が一切ありません」
神官は言葉を選び、そして残酷な事実を告げた。
「ウィルフレッド様の体内には、魔力そのものが一切感知できません。微弱というレベルではなく、完全に『無』なのです。これでは、魔法を行使することは……極めて、困難かと存じます」
地下室に、完全な静寂が落ちた。
僕は自分の手を見つめた。
毎日の素振りで少しだけ皮が厚くなった掌。
ペンだこができた中指。
積み上げてきた手だ。
ただ、ひたすらに繰り返してきた手だ。
けれど、その手は今、何も掴んでいなかった。
視界の端、父上が背を向けたのが見えた。
「……儀式は終わりだ」
その声には、怒りも失望もなかった。
ただ、事務的な終了を告げる。それだけだった。
まるで、最初から期待などしていなかったかのように。
足音が遠ざかる。
母上もまた、表情を一切崩さず、無言で父上の後を追いかけ部屋を出て行った。
あの淡々と事実を認めてくれていた声は、もう聞こえなかった。
残されたのは、僕と、気まずそうに俯く神官だけ。
僕は動けなかった。
ショックで涙が出るわけでも、叫び出したいわけでもない。
ただ、理解ができなかった。
やるべきことをやっていれば、道は拓けると思い込んでいた。
歩みを止めなければ、最低限の場所には辿り着けると信じていた。
だが、現実はあまりにもあっけなく、僕の足元を崩した。
才能という壁の前では、僕の十年間の歩みなど、塵と同じだというのか。
灰色の水晶だけが、答えを拒絶するように沈黙している。




